よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

一人二足歩行散歩、いつか遍路道

2007年11月19日 | Weblog

日曜の午後、自宅から歩いて岡豊城趾にある高知県立歴史民俗博物館に行くことにする。

最近、時間を作っては五台山に登るなどして歩くことを心がけているが、せいぜい一時間程度の運動にしかならない。一日がかりで歩く、ということをしてみたいが、休日にも雑用がありそうもいかない。半日やっと体が空いたので試運転のつもりで出かけた。

片道二時間くらいの心算で、風は強いが天気晴朗で往路はうっすら汗をかく程度。最初卸団地北の産業道路を東にまっすく車道脇の歩道を歩き、国分川に出会ってからは、川岸の土手を高知大学医学部の前まで進んだ。

国分川にかかっている橋の元に酒屋があり、そこに遍路道の立て札がある。二十九番国分寺から、三十番善楽寺へと。私は運動のつもりだったが、いつのまにか遍路道を歩いている。

実家の五台山でも山を歩くといつのまにか遍路道を歩いている。昔たくさんの人がいろいろな用向きでこの土地を歩き回ったに違いないが、遍路道がその道から分かれたりつながったりする。人の縁か道の縁か、時の縁なのか。

幕末の志士たちの活動をどう評価していいのか知らないが、熱い心持ちで日本中を歩き回り、走り周りしたことは間違いない。今の時代に「日本を洗濯」などは出来そうもないが、歩き回ることは出来そうに思う。歩いて歩いて、何かに出会うか、何か出来ることがあるか。

日本の戦国時代に長宗我部氏の居城だった岡豊山にある、高知県立歴史民俗博物館、略して「歴民」。車道脇の立て看板で「四国のみち」というコースの一部に含まれていることを知る。ここから土佐山田の谷秦山の墓まで10キロの道のりとのこと。ここからさらに10キロは難しいが、次の機会には試してみたい。帰り道はJRでもいい。車中の缶ビールがうまそうだ。

「四国のみち」は、こんなにたくさんある、と後で知る。
http://www.skr.mlit.go.jp/road/smiti/smitigai.html

博物館の特別展示は、高知県の発掘調査の歴史について。大森貝塚発見が近代日本の考古学の契機だった。

休憩室においてあるパンフレットで「自転車展」というのを知るが、とても行けそうにない。
http://www.be.city.nantan.kyoto.jp/hiyoshi-shiryokan/jitensya/jitensya.htm

帰り道、岡豊城趾の城山をぐるりと一回りし、また国分川の川岸に出た。

城山の南側に石組みをした土手のような構築物が川に突き出ていたが、昔の船着き場だったろうか。「土佐日記」の紀貫之も国司としてこの前をとおり、国分寺に入ったのだろうか。

などなど思いながら川の右岸をまた二時間弱かけて歩いて帰った。西日に向かって川面の渡り鳥を見ながら。思い立った「半日旅」がもう終わる。



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