愛宕神社…の銘が入った石碑は下部が判読困難である。ここで時間を食うわけにもいかず走り出した。視界に入ってきた岩国南バイパスは幅の広い近代的な道路である。ここまで銭をかけるのはやはり米軍関係者の利便性を考慮したということか。
私は真っ直ぐ行かずに自転車・歩行者専用道路の方に迂回した。もしや、人と出会えるかも、と思ったからである。予想は見事に的中した。厚着をした爺さんが自転車に乗って向こうからやって来た。
両手を上げて左右に大きく振ると年寄りは止まってくれた。私は次の訪問先に何分で付くのかを知りたくて土地勘のある彼に訊いた。
「あそこまで走っていくんか。んー、30分くらいかのー」
「えー。そんなにかかりますか。ショックだ。もうええ加減脚が疲れてきたんでね」
「まーそう言わんと頑張り。もう少しの辛抱よ」
爺さんは意味ありげな笑みを浮かべ東の方角へ消えた。運良く追加情報を得た私はバイパスの下を潜り牛野谷町(うしのやまち)3丁目に入った。
私は真っ直ぐ行かずに自転車・歩行者専用道路の方に迂回した。もしや、人と出会えるかも、と思ったからである。予想は見事に的中した。厚着をした爺さんが自転車に乗って向こうからやって来た。
両手を上げて左右に大きく振ると年寄りは止まってくれた。私は次の訪問先に何分で付くのかを知りたくて土地勘のある彼に訊いた。
「あそこまで走っていくんか。んー、30分くらいかのー」
「えー。そんなにかかりますか。ショックだ。もうええ加減脚が疲れてきたんでね」
「まーそう言わんと頑張り。もう少しの辛抱よ」
爺さんは意味ありげな笑みを浮かべ東の方角へ消えた。運良く追加情報を得た私はバイパスの下を潜り牛野谷町(うしのやまち)3丁目に入った。
昭和17年に発行された岩国市街地図から愛宕地区を拡大してみた。尾津に養老院と愛宕國民学校(○文マーク)がある。後者は現在の市立愛宕小学校(尾津町1丁目1-11)と思われる。
玖珂郡愛宕村は明治22年(1889)に牛野谷村・門前村・尾津村の3つが合併して誕生した。村の名は愛宕神社にちなんでつけられたという。我々が時々新聞で目にする愛宕山再開発問題の記事はこの辺りの話なのである。
愛川橋南詰を通過しておよそ10分後、道端で祠を発見した。石柱には周芸第五番霊場、聖徳地蔵尊という文字が刻まれている。
聖徳地蔵尊の由来
この地蔵尊は、天明二年丑の年、光格天皇の時代に、この世の中の心配、苦労、難儀をする人を救わんと、諸国修行中歳老いて、この場所に成仏世良る。
私はお接待の箱にあったパープー婆(一大卒)が書いた通貨に関する本を貰った(裏表紙の厳つい顔写真を見ただけで未だに読んではいないw)。祠のすぐ先が竜ヶ鼻バス停留所である。門前町1丁目1番までは順調に進んでいた。しかし、誰とも出会うことがなく少し寂しい気分になっていた。
玖珂郡愛宕村は明治22年(1889)に牛野谷村・門前村・尾津村の3つが合併して誕生した。村の名は愛宕神社にちなんでつけられたという。我々が時々新聞で目にする愛宕山再開発問題の記事はこの辺りの話なのである。
愛川橋南詰を通過しておよそ10分後、道端で祠を発見した。石柱には周芸第五番霊場、聖徳地蔵尊という文字が刻まれている。
聖徳地蔵尊の由来
この地蔵尊は、天明二年丑の年、光格天皇の時代に、この世の中の心配、苦労、難儀をする人を救わんと、諸国修行中歳老いて、この場所に成仏世良る。
私はお接待の箱にあったパープー婆(一大卒)が書いた通貨に関する本を貰った(裏表紙の厳つい顔写真を見ただけで未だに読んではいないw)。祠のすぐ先が竜ヶ鼻バス停留所である。門前町1丁目1番までは順調に進んでいた。しかし、誰とも出会うことがなく少し寂しい気分になっていた。
門前橋南詰の住所は門前町3丁目。門前の地名の由来は『玖珂郡志』にこう書かれている。
中世に喜楽寺という大きな寺があり、この寺の門前にある村のため、門前と呼ばれるようになった
また『山口県の地名 日本歴史地名体系36』に江戸期の門前村の様子が掲載されているので少し紹介しておこう。
…寛永二〇年(一六四三)に岩国荘を分割してできた小村の一つで…
…庄屋一人、刀禰が一人おり、藤谷組代官に属した。
…開作地の一部に二〇町歩の塩田が造成されたが、これは成功せず、蓮田に転じたようである。
…村の氏神は今津村の白崎八幡宮。宗門はすべて村内の浄土真宗本願寺派の光福寺であった。…
門前川沿いを北西に進む。覚悟はしていたが、強烈な向かい風でランニングには最悪の状態である。髪の毛がごっそり吹き飛ばされるような感じの中、愛川橋南詰を通過した。
中世に喜楽寺という大きな寺があり、この寺の門前にある村のため、門前と呼ばれるようになった
また『山口県の地名 日本歴史地名体系36』に江戸期の門前村の様子が掲載されているので少し紹介しておこう。
…寛永二〇年(一六四三)に岩国荘を分割してできた小村の一つで…
…庄屋一人、刀禰が一人おり、藤谷組代官に属した。
…開作地の一部に二〇町歩の塩田が造成されたが、これは成功せず、蓮田に転じたようである。
…村の氏神は今津村の白崎八幡宮。宗門はすべて村内の浄土真宗本願寺派の光福寺であった。…
門前川沿いを北西に進む。覚悟はしていたが、強烈な向かい風でランニングには最悪の状態である。髪の毛がごっそり吹き飛ばされるような感じの中、愛川橋南詰を通過した。