「館蔭の杜」を眺めつ つれづれに

窓外の森を眺めながら時々の想いを綴る

道祖神路と芭蕉句碑(名取市植松)

2015年06月29日 | 日記
奥の細道の宮城入り最初の句「笠島は・・・」の句碑を訪ねて名取市植松地区周辺を探して歩いた。

先日(6月26日)「実方中将の墓」の一角に近年建てられた句碑は見てきたが、「館腰」の辺りにより古いものがあると聞き、是非この目で確かめたいと思い朝から出かけた。

おおよその目星は「旧道一ノ橋付近」ということで、旧国道4号線沿いの周辺一帯を小一時間かけて捜したが見つからなかった。
行きずりの方や郵便局でも訪ねたが確かな情報は得られず、最終的には畑仕事をしている方から具体的な場所を教えていただいた。

奥州街道(旧国道4号線)が愛島方面から伸びる直線道路(県道258号線)と交差する北側200メートルほどの橋の袂にある


民家の生垣に埋まるようにして立っていた。



高さ1メートルほどの石碑の正面には「道祖神路」、その右側にある小さな石柱には「笠嶋」と刻してあった。
いずれも笠島への「みちしるべ」として建立されたものと思われる。



脇に立っている名取市の標柱には、正面に「道祖神路(芭蕉の句碑)道標」と、右側面に「笠島はいづこ皐月のぬかり道 はせを」の道標に刻まれている句の内容が、左側面には「笠島塚または芭蕉塚とよばれ安政3年(1856)仙台城下河原町の小西利兵衛と地元の人々によって・・」と表示されていた。

道祖神路(芭蕉の句碑)道標の左側面を見ると、流れるような書体で

「笠島はいづこ皐月のぬかり道 はせを」

と彫られているのを確認できたが、その大半が生垣の中に埋もれていて全体を写真に撮ることはできなかった。



ここから道祖神社(佐倍乃神社)や実方中将の墓のある山際までは5~6キロはあると思われる。
周囲は平坦な田圃で五月雨の中とはいえ、先の山裾まての見通しは利いたのではないだろうか。
だからこそ泥濘の中を日暮れまでに行くことはできないと断念したのではないかと想像する。

紀行文の「・・・・藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、「是より遥右に見ゆる山際の里を、みのわ・笠島と云、道祖神の社 、かた見の薄、今にあり」と教ゆ。・・・・」「是より遥に見ゆる山際の里」のくだりは「左」の違いではないかといわれているが、この碑の前に立って見ると道祖神社や実方中将の墓は遥か右手方向にあることから、私には余り違和感は感じられなかった。

碑に刻まれた句の全体像を写すことはできなかったが、目で確かめられたことに満足感を覚えた。

次は、岩沼の竹駒神社にある歌碑と二木の松を見ることにしたい。