今日は仙台市内で夕方から懇親会があった。
1時間以上も早く着いたので近くの「桜岡大神宮」に芭蕉句碑を訪ねた。
桜の節は賑わうこの一角も、低く差し込む西陽を受けて閑散としていた。
鳥居を潜った左手に歌碑があり、これかと1枚写真を撮ったが、どうも違うようだった。
萩の花 こぼれつぎつつ 水澄めり 梧逸
※遠藤梧逸・・岩手県前沢町生まれ。仙台二高、東大卒
ホトトギス主宰の俳人高浜虚子に師事
目指す芭蕉句碑は中々見つからなかった。
手前にある茶屋に入って、茶も頼まずに句碑の所在を尋ねると、わざわざ外まで出て近くまで案内してくれた。
それは神社の北側裏手にあった。
丈が1.5メートルほどの割と大きい碑であった。
逆光で中々見えにくかったが、流れるような変体仮名入りの文字で
風流のはしめや奥の田植うた 者世越(はせを)
と刻まれていた。
傍らの石柱に、芭蕉の200回忌にあたる「明治26年(1893年)5月に、甫山 烟岳など「総俳士連」によって建てられた」ことが記されていた。
「田植塚」といわれているらしい。
※奥の細道(元禄2年1689)須賀川での句
「風流の初やおくの田植うた」
句意
「みちのくの名所旧跡を巡る本格的な風流の旅が、ひなびた田植唄を聞くことから始まった」
1時間以上も早く着いたので近くの「桜岡大神宮」に芭蕉句碑を訪ねた。
桜の節は賑わうこの一角も、低く差し込む西陽を受けて閑散としていた。
鳥居を潜った左手に歌碑があり、これかと1枚写真を撮ったが、どうも違うようだった。
萩の花 こぼれつぎつつ 水澄めり 梧逸
※遠藤梧逸・・岩手県前沢町生まれ。仙台二高、東大卒
ホトトギス主宰の俳人高浜虚子に師事
目指す芭蕉句碑は中々見つからなかった。
手前にある茶屋に入って、茶も頼まずに句碑の所在を尋ねると、わざわざ外まで出て近くまで案内してくれた。
それは神社の北側裏手にあった。
丈が1.5メートルほどの割と大きい碑であった。
逆光で中々見えにくかったが、流れるような変体仮名入りの文字で
風流のはしめや奥の田植うた 者世越(はせを)
と刻まれていた。
傍らの石柱に、芭蕉の200回忌にあたる「明治26年(1893年)5月に、甫山 烟岳など「総俳士連」によって建てられた」ことが記されていた。
「田植塚」といわれているらしい。
※奥の細道(元禄2年1689)須賀川での句
「風流の初やおくの田植うた」
句意
「みちのくの名所旧跡を巡る本格的な風流の旅が、ひなびた田植唄を聞くことから始まった」