舌鋒するどく自民党指導者の金権体質を指弾していた人が、ふしだらとしか表現のしようがない自らの資金管理の不明朗さの説明に明け暮れている。
天下り根絶を党是に掲げて国民に信を問うたにもかかわらず、誰もが見ても「渡り」としか思えないような人事を、およそ国民が納得するとは思えないような珍妙な屁理屈で天下り人事ではないと言い張る。
ちょっと振ればボロボロと出てくれるはずの「ムダ使い」は逃げ水だったことが明らかになり、ムダ使いのカタログと揶揄した14兆円の経済対策でも、真に必要としている人たちの轟々たる非難を買ってまで削っても、削れた金額は3兆円にも満たなかった。
削ると約束したものを削れなかったのに、やるといったことはやると言うものだから、来年の概算要求は前代未聞の数字になり、数字に表れない「事項要求」などというイカサマを数字化すれば、今年度よりも10兆円以上も多い100兆円の大台にすら乗ってしまうかもしれない。
鳩山代表の資金管理と同じくらいの「ふしだらさ」が、国家の予算編成でも発揮されつつあるように見える。
脱官僚依存政治は部分的には実現したかもしれないが、主要公約の実現がすべて財源頼みとなっている中で出現したのは現役・OBを総動員した旧大蔵ファミリーへの依存という、ある意味、純化された官僚依存政治になってしまった。
今日からスタートした事業仕分けも、財務省主計局の予算編成権は手つかずのままで、財務省の掌で民主党議員を中心とする仕分け人が踊らされているだけのように見える。
「刷新送り」の権限を手にすることで、主計局はますます各省に対して睨みがきくことになった。
多少は脱官僚依存になったかもしれないが、その一方でますます旧大蔵省ファミリー依存となってしまった民主党政治は、いったい何を実現したのだろうか。
日本の国家安全保障の根幹である日米同盟に関しては、13年かけて沖縄と国が血のにじむような努力で積み重ねた普天間移転についても、初めて国家権力を行使する高揚感からか、既に一度消えた案も含めて、新閣僚たちがあれこれ思いつくアイデアを「披露」して、政権についた後も政治同好会カルチャーが健全だということを内外に強く印象付けてしまった。
どれもこれも、政権交代を選択した以上、ある意味「想定内」の事態であり、政権選択権を得た国民が支払うべき民主主義のコストだということなのだろう。
アメリカではオバマ大統領の支持率が50%に低下し、11月初めに行われたバージニアとニュージャージーでの知事選挙では、オバマ大統領自ら現地入りしてテコ入れしたにもかかわらず共和党に勝利を許してしまった。
もちろん知事選挙は、純粋な国政選挙ではなく、地元政治が色濃く反映されるが、多くの識者はオバマ人気の陰りがその根底にあると見ている。
例えば、BBCの
北米担当の記者のブログは、オバマ政権は、「熱狂の後、実現の手前」のビミョーな状況にあると言い、「実現」がそもそも訪れないことがはっきりすると、彼の立場はますますビミョーになるだろうと述べている。
民主党はマニフェストを掲げての政権選択が国民との契約だと言った。
それはそのとおりだが、その契約は、ビジネスマン同士のクールな契約というよりは、結婚のようなものだ。
ビジネス契約は、事前に取り決められた約束事を文字通り実行すれば済むのに対して、結婚という契約に終わりはない。
その契約関係を続かせるためには、当事者の不断の努力が求められ続けるのだ。
「結婚が人を最も幸せにするのは、それに至るまでの過程においてだ」と言われるが、結婚前の「熱狂」は、一度結婚してしまえば、後は「冷めるだけ」というエントロピー増大の法則が当てはまる。
結婚を婚姻関係という永続的な関係として定着させるためには、結婚後の夫婦の間で新たな関係構築の努力がされ続けなければならない。
オバマ大統領が苦しんでいるのはまさにその点だし、民主党は、他の連立与党の足の引っ張りもあって、国民との新たな関係構築に成功していない。
国民から見れば、「別れた旦那」が酷すぎる男だったし、まだ十分に改心していないようなので、すぐに寝返ることはないかもしれない。
しかし、前の旦那も十分に心を入れ替えて別人のような立派な男になれば、浮気っぽい国民なので、そっちに心が動いてもおかしくはない。
与党効果というものがある。
政党が与党になることによって、その支持基盤にどのような影響が生じるかというものだ。
今回、民主党を政権与党に押し上げたのは、無党派層を中心とする浮動層だ。
この人たちの怒りを利用して政権交代を成し遂げたことで、この政治的エネルギーは一応の充足をみた。
政権交代が実現した政党は、厳しい経済社会や外交の現実を前に、必然的に「不都合な決断」を迫られることになる。
すると、政権交代に政治的エネルギーを提供してきた浮動層は一転して、「なんだ、口ほどにもない奴らだな」という幻滅をジワジワ味わうことになる。
総選挙で勝利するために、徹底的に新政権の期待値を上げる戦略をとる以上、これは仕方のないことだ。
したがって、これらの人たちに対する与党効果は、長期的にみれば低減効果となる。
イラクからの撤退を約束して選挙に勝利したオバマ大統領が、アフガン増派の決断を迫られて苦しんでいるように、最低でも普天間基地は県外移設だと安請け負いをして自分たちに投票させた民主党は、結局のところ、現行移設案の歴史の重みを覆すことはできず、場合によってはそれに押しつぶされることになるかもしれない。
期待が大きかった分だけ、沖縄の人たちの裏切られたという気持ちも大きいことだろう。
このような負の与党効果の一方で、プラスの効果もある。
与党が握る政治的権力を頼って自らの権益を確保しようとする勢力に対する効果だ。
これまで自民党のコア支持層だった人たちが、民主党が与党になることによって民主党に頼ろうとする。
医師会や特定郵便局長会、経済界、そして少なくなった公共事業のパイにあずかろうとする地方の首長などだ。
これらの人たちに対する与党効果は、長期的には逓増効果だろう。
小沢氏が以前、民主党が与党として予算編成を二回こなせば、自民党の息の根を止められると豪語したのは、そのくらいの実績を重ねれば、このプラスの与党効果が確固たるものになるという意味だろう。
ただし、一般的には低減効果の方が逓増効果よりスピードが速い。
なので、政権の支持率は一般的に、ハネムーン期間が終われば低落していくというカーブを描くことになる。
オバマ大統領の支持率曲線も、まさにこの傾向をなぞっているのだ。
このような支持率の「放物線」に逆らうためには、上向きの政治エネルギーを与え続ける必要がある。
小泉政権の放物線がかなり遠くまで届いたのは、次から次へと抵抗勢力を仕立て上げて、上向きの政治エネルギーを供給し続けることができたからだ。
ぞくぞくするような悪役がプロレスを最高に盛り上げ、とんでもない悪代官が水戸黄門をますます面白くするのだ。
鳩山総理の支持率も順当に低下を続け、今や60%ちょっと。
民主党への轟々たる追い風も、次第にやみつつある。
11月8日に行われた葛飾区長選挙では、ファースト・レディの幸夫人や蓮ぼう議員、海江田議員などを投入して戦ったにも関わらず自民党候補に完敗した。
また、酒田市長選挙でも、僅差ながら自民党推薦候補に負けた。
選挙を戦った人たちの実感では、民主風が肌で感じるくらいに弱まっているという。
鳩山総理自身も最近では、自らの資金管理の問題のほかにも、税金の申告漏れやら、資産公開リストへの記載漏れやら、カネにだらしがない政治家の代名詞になりつつある。
さらには、政権交代を成し遂げたことに満足しきっているのか、総選挙前のような勢いは感じられず、自らも「総理とはオーケストラの指揮者のようなものだ」などと言う始末だ。
小泉政権が「総理として成し遂げたいこと」を次々と繰り出してはそれを燃料にして政権のエンジンにしていったのとは対照的だ。
歴代の長期政権を見ればわかるように、総理は政権のエンジンでなければならない。
国民に政治エネルギーを供給し続け、周囲の連中を蹴飛ばし、引っ張り続けなければならない。
タクトを振るだけでは誰もついてこないのだ。
ひょっとすると、政権交代を成し遂げた鳩山総理は、どう考えても他に選択肢のない普天間基地の移設問題の現行案での幕引きと一緒に政権を降りる気なのかもしれない。
野党時代に鋭い批判を続けていた政治とカネの問題で、自己弁護に惨めな姿を世間に晒し、ポストに恋々と固執するのは、自ら潔しとしないことだろう。
それを見越して、ポスト鳩山狙いの党内駆け引きが水面下で慌ただしくなっているのかもしれない。
政権の基盤さえまだ定まっていないこの時期に再び政局を迎えるという事態を、ガラス細工の連立政権が乗り越えることができるのだろうか。
秋深まる政治物語は、ますます目が離せない。