第2章 日本経済の特質と課題
第1節 今回の景気循環をいかに判断するか
65年の秋頃から回復した鉱工業生産は,66年,67年と2年引続いて大幅な上昇を続けた。年間を通じての上昇率は,66年 13.2%,67年 19.4%である。
しかし,これは,必ずしも両年における生産の伸びの強さを示す指標ではない。65年秋からの上昇の強さは,毎四半期ほぼ4%ないし5%の伸びで67年の暮まで続いたのである。したがって,66年および67年の実質的な成長力は同じであって,ただ65年が横ばいであったために,対前年比で表面的に差を生じたにすぎない。
2年続いての実勢ほぼ20%の鉱工業生産の伸び,67年の世界貿易の停滞,西欧諸国との輸出競争の激化等が重なっての国際収支悪化から,67年9月1日に,公定歩合1厘引上げを中心とする引締措置がとられ,さらに68年1月5日公定歩合はさらに1厘引き上げられて1銭7厘となった。ここに上昇過程に入って3年目にわが国経済は景気調整期を迎えたのである。
1. 昭和30年代の景気循環と今回の景気との比較
今回の景気循環過程は昭和40年代に入って最初のものである。次にその特質をみよう。
考察の視点は2つある。第1は,神武景気(昭和29年11月~33年6月),岩戸景気(昭和33年6月~37年10月),ポスト岩戸景気(昭和37年10月~40年10月)
という昭和30年代の3つの景気循環と今回の景気上昇過程つまり昭和40年代の最初の景気循環とに性格上の著しい相違があるかどうかという点である。第2は,今回の景気過程の検討の結果として,昭和40年代のわが国経済の動向につきなにほどかの判断資料がえられるかどうかという点である。この第2の点は,第1の点の検討結果に大きく依存する。
まず昭和30年代の3つの景気循環と今回の循環との比較を試みよう。
30年代の景気循環について,底からピークに至るまでおよびピークから底に至るまでの総需要およびGNEの各構成要素の増加寄与率と,今回の景気上昇過程におけるそれとの比較を行なうと,第Ⅰ-2-1表のごとくである。
民間企業設備投資のGNEに対する寄与率をみると,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気の上昇過程および今回の景気過程において,それぞれ24.7%,35.8%,23.8%,27.7%となっている。今回の景気循環の上昇過程は,昭和42年第4四半期までをとっており,データのつごう上ピークまでの期間をとっていないが,しかし,それにしても,今回の景気上昇における民間企業設備投資の演じた役割が,昭和30年代における2回にわたる設備投資の強成長期である神武景気および岩戸景気において演じた役割のちょうど中間の役割を演じたということはいえるであろう。
在庫投資の寄与率をみると,それぞれ38.7%,15.4%,15.3%,28.0%となっている。今回の景気循環における在庫投資の比重は,神武景気に次いで高い。これは,在庫循環的な性格も強いことを示している。
なお,以上の両要因の合計をみると,神武景気63.4%,岩戸景気51.2%,ポスト岩戸景気39.1%,今回の景気55.7%である。このように,需要の構成要素の増加傾向から判断すると,今回の景気の上昇過程は,神武景気,岩戸景気という昭和30年代の2大景気循環のそれと,ほぼ匹敵する内容を有していたといえるであろう。
なお,日本経済全体としての総固定投資の構造をみると,第Ⅰ-2-2表の示すごとく,若干の変化がみられる。製造業投資の比重をみると,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気を通算してみると,23.5%,28.9%,22.4%と推移しており,今回の景気においては,19.1%である。今回の景気に関しては,期間上の相違があるが,この計算からみる限りでは,比重が低下しているということはいえそうである。このことはポスト岩戸景気の同局面の数値をみると24.4%であることからも裏打ちされている。一次産業投資には傾向的に低下が認められる。そしてサービス業投資,住宅建設,一般行政投資等はその比重を高めつつある。
次に景気上昇の実勢を比較しよう。景気上昇の実勢としては,景気上昇のスピードをみることとする。実質GNPおよび鉱工業生産の季節修正済み四半期別データにより,景気のピークに至るまでの4四半期および8四半期の対前期比伸び率をみると第Ⅰ-2-3表のごとくである。
今回の景気は,一応1年間の実勢伸び率でみるとGNPに関しては,15.5%で昭和30年代のいずれよりも高い。鉱工業生産指数でみると19.3%で,神武景気には及ばないが,岩戸景気よりも大きくなっている。また2年間の伸び率でみると,GNPに関しては30.4%で岩戸景気に次いでいる。鉱工業生産に関しては,43.3%で神武景気,岩戸景気に及ばないが,岩戸景気との差はわずかである。要するに,GNPおよび鉱工業生産の実勢伸び率からみても,今回の景気は,神武景気,岩戸景気に十分匹敵しうるだけの上昇スピードを示したのである。
ところで,このような今回の景気の様相をみるとポスト岩戸景気当時にいわれていたいわゆる転型期観はどう判断きるべきであろうか,そして今後の景気判断上その意義はいかに評価さるべきであろうか。
2. いわゆる転型期の意義
今日の時点で振返ると,ポスト岩戸景気を転型期と名づけだのは,中期的循環の一局面に少しオーバーな名を与えすぎただけのことと思われる。しかし,このポスト岩戸景気の転型期は,昭和40年代の日本経済を考える場合,見逃すことのできない注目すべき特色を示したのである。それは,基本的には,わが国企業経営者の投資決意に関するひとつの実験であった。つまり,具体的な景気循環過程において企業家がいかなる投資決意を行なうかに関するひとつの貴重な注目すべき実例がそこに見出されると考えられるのである。
周知のごとく,昭和39年から40年にかけては,世界貿易も活発化し,わが国の国際収支も好転し,金融もきわめて緩んでいたにもかかわらず,企業の投資意欲は仲々回復せず,ついに公債発行を伴う財政による積極策が発動された。
このことは,つまり神武景気,岩戸景気を通じて,何物をもやきつくずばかりに燃え上った企業家の投資意欲が,過剰設備,採算悪化によって大きく冷えたことを示す。インノベーシヨン投資,シェア争い投資等も,当然のことながら,採算によって制約される。この点欧米の投資決定と同一である。大きな相違は,強烈なシェア争いにより,投資の上昇が爆発的であることである。
急上昇した投資は,過剰設備を産むが,一般的な投資の急上昇は,需要の大きな上昇をも伴うので結果として過剰度はさして大きくなることはなく,高度成長がもたらされたのである。欧米とくに欧州の企業家の競争排除的な,いわば合理的投資決定のもとにおいては,過剰度の発生は少いがしかし成長率は低められざるをえない。
神武景気,岩戸景気当時においては,企業家の投資決意に影響を与えたものは,インノベーシヨン採用,自由化対策,シェア拡大等種々の要因の複合であった。しかし,これらの複合要因の根底には合理的採算の視点が存在している。わが国企業家の投資決定と,欧米企業家の投資決定との相違は,この合理的採算視点の演ずる役割の大きさに見出されよう。わが国においては,合理的採算視点は,他の諸要因によって覆われており,あまり表面に出ないが,欧米においては,より大きな役割を演じているのである。
さて,ポスト岩戸景気においては,わが国企業家の合理的採算視点が現れ,景気は停滞し,成長率の鈍化から財政の歳入欠陥を生じ,歳入補填と景気刺激の両面から公債発行が登場した。景気停滞と公債発行と,2つながら原因は企業家のビヘイビアーにおける隠れたる要因の顕在化に求められる。これは昭和40年代の日本経済を考える場合留意すべき点である。
なお,昭和30年代の景気循環は,ポスト岩戸景気において以上のような特色を示したことの他に,30年代の前半において以下に述べるような若干の注目すべき構造上の変化を経験し,これと結びついていわば機構上の変化ともいわるべき変化が生じている。そして,これが昭和40年代に同一傾向のまま引継がれている。この点も注目すべきである。
3. 昭和30年代における前半と後半の相違
昭和30年代の前半と後半における相違―そしてその変化は現在にまで引継がれているのだが―を最も明瞭に示しているのは第Ⅰ-2-4表である。第Ⅰ -2-4表は,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気,今回の景気のそれぞれについて,消費者物価,小売物価,卸売物価,賃金の年率増減率を示している。
神武景気当時は,景気の上昇過程,下降過程において,物価および賃金は,それぞれそれに応じた変化を示している。物価および賃金は,上昇過程において上昇し,下降過程において下落ないし伸び率の鈍化を示している。しかし岩戸景気においては,消費者物価および賃金ともに,上昇過程における年率上昇率よりも下降過程における上昇率の方が高いのである。これは,岩戸景気の途中から労働力不足が顕在化し,次に説明するような賃金のほぼコンスタントな上昇が行なわれるに至ったことによるものである。なお,この賃金上昇が第三次産業の生産性の上昇を上回ることによって,サービス価格の継続的上昇を惹起する要因になった。この傾向は当然ポスト岩戸景気にもほぼ同様に引継がれている。そして,今回の景気の上昇過程は岩戸景気の上昇過程に生じた傾向をそのまま受継いでいるといえよう。昭和30年代の半ばに現れたこの変化は,40年代のわが国経済を考える場合にきわめて注目すべきことである。それは,この物価および賃金の動向の背後に,いわば機構的な変化ともいわるべき変化が生じ,この機構上の変化が40年代にも引継がれていると考えられるからである。
次にこの点を考察する。
4. 昭和30年代後半から40年代に及ぶ機構上の変化
る。個人消費支出の比率は,岩戸景気の上昇過程の途中まで一貫して低下しているが,以後ほぼ同一率を維持している。昭和30年代前半の低下は,この間における消費性向の低下のみによって説明しえられるものではない。消費性向は昭和30年の86.5が35年に82.4に低下し,36年以降は82±1の範囲内で横ばっているのであるが,この4%あまりの低下のみでは構成比の低下を説明するには不十分である。つまりこの間,家計部門の所得,消費の立遅れがあったのである。しかし,この立遅れは,36年以降には生じていない。これは労働力不足の激化を背景にして毎年10%前後の賃上げが行なわれ続けているからである。農業総産出額の44.4%(昭和41年)に達し農業収入の大宗を占める米の価格については,昭和35年に生産費所得補償方式が採用され,36年からは賃金,物価の上昇を反映して毎年相当な引上げがみられ,42年までの7年間にほぼ倍増である。つまり高度成長への立遅れは36年頃からみられなくなり,以後家計所得および消費ともに高度成長にキャッチ・アップする機構が日本経済にビルト・インされたのである。このような事情の下で,30年代後半以降,国民総支出に占める個人消費支出の割合がほぼ一定に推移するという事態がみられるようになった。
同じく政府の財貨サービス購入も,岩戸景気の後半から高い比率を維持し続けている。政府の一般行政費の比重は低下するかもしれないが,社会開発をはじめとする政府投資に対する需要は高まる一方なので,今後とも政府の財貨サービス購入は着実に増加し続けるであろう。
このように,家計消費と政府支出が着実に増加するので,投資支出もそれにつれて,着実に増加しよう。このことはつまりかなり安定的な成長機構が需要面に存在することを意味する。
もっとも,物価変動率が大きいときには,このようなことはいえなくなるであろう。
5. 昭和40年代の国際収支面の特色
以上ポスト岩戸景気(いわゆる転型期)の特質および昭和30年代前半および後半における経済機構上の変化をみた。これらの考察はそれぞれ昭和40年代の経済の特色を示すものであるが,昭和40年代と30年代を区分するひとつの重大な変化が国際収支面に現われている。第Ⅰ-2-5表は各景気段階ごとに,日本の対外支払手段の調達源泉別の構造を示している。データ上の制約から詳細にわたる分析はでぎないが,各景気段階ごとに次のような特色を指摘することは可能であろう。
神武景気においては,対外支払手段調達源泉としてなお特需の占める役割が無視できぬ大きさであった。また資本取引面は外国資本および本邦資本ともにそう大きな役割は演じていなかったように思われる。
岩戸景気においては,特需の役割は神武景気時代より比重を低めている。一方,資本取引面の比重が上昇している。これは外国資本の流入が急増し本邦資本の流出の増加を大きく上回ったことによるものである。外国資本の純流入額は,外貨調達源として12%に達している。
ポスト岩戸景気においては,貿易外収入の比重が上昇した。しかし,貿易外支払の上昇の方が大幅であるから収支としては赤字幅が拡大している。また資本取引は,昭和40年代に入って国内金利低下のため円シフトを起したので,外国資本の流入が低調であり,一方本邦資本の流出が大きかったので,資本取引全体としては赤字になっている。この資本取引の動向は注目される。
今回の景気においては,引き続き資本収支の赤字が示されている。これは外国からの資本の流入が低調である上に,既債務の返済が増加し,かつ本邦資本の流出が大きかったことによるものである。外国資本の流入の低調は,利子平衡税,対外投資の自主規制等のアメリカのドル防衛策の影響および海外金利上昇の影響等による。また本邦資本の流出は,延払信用および借款の増加によるものである。
このような資本収支の赤字傾向が30年代と40年代の国際収支面における変化である
第1節 今回の景気循環をいかに判断するか
65年の秋頃から回復した鉱工業生産は,66年,67年と2年引続いて大幅な上昇を続けた。年間を通じての上昇率は,66年 13.2%,67年 19.4%である。
しかし,これは,必ずしも両年における生産の伸びの強さを示す指標ではない。65年秋からの上昇の強さは,毎四半期ほぼ4%ないし5%の伸びで67年の暮まで続いたのである。したがって,66年および67年の実質的な成長力は同じであって,ただ65年が横ばいであったために,対前年比で表面的に差を生じたにすぎない。
2年続いての実勢ほぼ20%の鉱工業生産の伸び,67年の世界貿易の停滞,西欧諸国との輸出競争の激化等が重なっての国際収支悪化から,67年9月1日に,公定歩合1厘引上げを中心とする引締措置がとられ,さらに68年1月5日公定歩合はさらに1厘引き上げられて1銭7厘となった。ここに上昇過程に入って3年目にわが国経済は景気調整期を迎えたのである。
1. 昭和30年代の景気循環と今回の景気との比較
今回の景気循環過程は昭和40年代に入って最初のものである。次にその特質をみよう。
考察の視点は2つある。第1は,神武景気(昭和29年11月~33年6月),岩戸景気(昭和33年6月~37年10月),ポスト岩戸景気(昭和37年10月~40年10月)
という昭和30年代の3つの景気循環と今回の景気上昇過程つまり昭和40年代の最初の景気循環とに性格上の著しい相違があるかどうかという点である。第2は,今回の景気過程の検討の結果として,昭和40年代のわが国経済の動向につきなにほどかの判断資料がえられるかどうかという点である。この第2の点は,第1の点の検討結果に大きく依存する。
まず昭和30年代の3つの景気循環と今回の循環との比較を試みよう。
30年代の景気循環について,底からピークに至るまでおよびピークから底に至るまでの総需要およびGNEの各構成要素の増加寄与率と,今回の景気上昇過程におけるそれとの比較を行なうと,第Ⅰ-2-1表のごとくである。
民間企業設備投資のGNEに対する寄与率をみると,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気の上昇過程および今回の景気過程において,それぞれ24.7%,35.8%,23.8%,27.7%となっている。今回の景気循環の上昇過程は,昭和42年第4四半期までをとっており,データのつごう上ピークまでの期間をとっていないが,しかし,それにしても,今回の景気上昇における民間企業設備投資の演じた役割が,昭和30年代における2回にわたる設備投資の強成長期である神武景気および岩戸景気において演じた役割のちょうど中間の役割を演じたということはいえるであろう。
在庫投資の寄与率をみると,それぞれ38.7%,15.4%,15.3%,28.0%となっている。今回の景気循環における在庫投資の比重は,神武景気に次いで高い。これは,在庫循環的な性格も強いことを示している。
なお,以上の両要因の合計をみると,神武景気63.4%,岩戸景気51.2%,ポスト岩戸景気39.1%,今回の景気55.7%である。このように,需要の構成要素の増加傾向から判断すると,今回の景気の上昇過程は,神武景気,岩戸景気という昭和30年代の2大景気循環のそれと,ほぼ匹敵する内容を有していたといえるであろう。
なお,日本経済全体としての総固定投資の構造をみると,第Ⅰ-2-2表の示すごとく,若干の変化がみられる。製造業投資の比重をみると,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気を通算してみると,23.5%,28.9%,22.4%と推移しており,今回の景気においては,19.1%である。今回の景気に関しては,期間上の相違があるが,この計算からみる限りでは,比重が低下しているということはいえそうである。このことはポスト岩戸景気の同局面の数値をみると24.4%であることからも裏打ちされている。一次産業投資には傾向的に低下が認められる。そしてサービス業投資,住宅建設,一般行政投資等はその比重を高めつつある。
次に景気上昇の実勢を比較しよう。景気上昇の実勢としては,景気上昇のスピードをみることとする。実質GNPおよび鉱工業生産の季節修正済み四半期別データにより,景気のピークに至るまでの4四半期および8四半期の対前期比伸び率をみると第Ⅰ-2-3表のごとくである。
今回の景気は,一応1年間の実勢伸び率でみるとGNPに関しては,15.5%で昭和30年代のいずれよりも高い。鉱工業生産指数でみると19.3%で,神武景気には及ばないが,岩戸景気よりも大きくなっている。また2年間の伸び率でみると,GNPに関しては30.4%で岩戸景気に次いでいる。鉱工業生産に関しては,43.3%で神武景気,岩戸景気に及ばないが,岩戸景気との差はわずかである。要するに,GNPおよび鉱工業生産の実勢伸び率からみても,今回の景気は,神武景気,岩戸景気に十分匹敵しうるだけの上昇スピードを示したのである。
ところで,このような今回の景気の様相をみるとポスト岩戸景気当時にいわれていたいわゆる転型期観はどう判断きるべきであろうか,そして今後の景気判断上その意義はいかに評価さるべきであろうか。
2. いわゆる転型期の意義
今日の時点で振返ると,ポスト岩戸景気を転型期と名づけだのは,中期的循環の一局面に少しオーバーな名を与えすぎただけのことと思われる。しかし,このポスト岩戸景気の転型期は,昭和40年代の日本経済を考える場合,見逃すことのできない注目すべき特色を示したのである。それは,基本的には,わが国企業経営者の投資決意に関するひとつの実験であった。つまり,具体的な景気循環過程において企業家がいかなる投資決意を行なうかに関するひとつの貴重な注目すべき実例がそこに見出されると考えられるのである。
周知のごとく,昭和39年から40年にかけては,世界貿易も活発化し,わが国の国際収支も好転し,金融もきわめて緩んでいたにもかかわらず,企業の投資意欲は仲々回復せず,ついに公債発行を伴う財政による積極策が発動された。
このことは,つまり神武景気,岩戸景気を通じて,何物をもやきつくずばかりに燃え上った企業家の投資意欲が,過剰設備,採算悪化によって大きく冷えたことを示す。インノベーシヨン投資,シェア争い投資等も,当然のことながら,採算によって制約される。この点欧米の投資決定と同一である。大きな相違は,強烈なシェア争いにより,投資の上昇が爆発的であることである。
急上昇した投資は,過剰設備を産むが,一般的な投資の急上昇は,需要の大きな上昇をも伴うので結果として過剰度はさして大きくなることはなく,高度成長がもたらされたのである。欧米とくに欧州の企業家の競争排除的な,いわば合理的投資決定のもとにおいては,過剰度の発生は少いがしかし成長率は低められざるをえない。
神武景気,岩戸景気当時においては,企業家の投資決意に影響を与えたものは,インノベーシヨン採用,自由化対策,シェア拡大等種々の要因の複合であった。しかし,これらの複合要因の根底には合理的採算の視点が存在している。わが国企業家の投資決定と,欧米企業家の投資決定との相違は,この合理的採算視点の演ずる役割の大きさに見出されよう。わが国においては,合理的採算視点は,他の諸要因によって覆われており,あまり表面に出ないが,欧米においては,より大きな役割を演じているのである。
さて,ポスト岩戸景気においては,わが国企業家の合理的採算視点が現れ,景気は停滞し,成長率の鈍化から財政の歳入欠陥を生じ,歳入補填と景気刺激の両面から公債発行が登場した。景気停滞と公債発行と,2つながら原因は企業家のビヘイビアーにおける隠れたる要因の顕在化に求められる。これは昭和40年代の日本経済を考える場合留意すべき点である。
なお,昭和30年代の景気循環は,ポスト岩戸景気において以上のような特色を示したことの他に,30年代の前半において以下に述べるような若干の注目すべき構造上の変化を経験し,これと結びついていわば機構上の変化ともいわるべき変化が生じている。そして,これが昭和40年代に同一傾向のまま引継がれている。この点も注目すべきである。
3. 昭和30年代における前半と後半の相違
昭和30年代の前半と後半における相違―そしてその変化は現在にまで引継がれているのだが―を最も明瞭に示しているのは第Ⅰ-2-4表である。第Ⅰ -2-4表は,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気,今回の景気のそれぞれについて,消費者物価,小売物価,卸売物価,賃金の年率増減率を示している。
神武景気当時は,景気の上昇過程,下降過程において,物価および賃金は,それぞれそれに応じた変化を示している。物価および賃金は,上昇過程において上昇し,下降過程において下落ないし伸び率の鈍化を示している。しかし岩戸景気においては,消費者物価および賃金ともに,上昇過程における年率上昇率よりも下降過程における上昇率の方が高いのである。これは,岩戸景気の途中から労働力不足が顕在化し,次に説明するような賃金のほぼコンスタントな上昇が行なわれるに至ったことによるものである。なお,この賃金上昇が第三次産業の生産性の上昇を上回ることによって,サービス価格の継続的上昇を惹起する要因になった。この傾向は当然ポスト岩戸景気にもほぼ同様に引継がれている。そして,今回の景気の上昇過程は岩戸景気の上昇過程に生じた傾向をそのまま受継いでいるといえよう。昭和30年代の半ばに現れたこの変化は,40年代のわが国経済を考える場合にきわめて注目すべきことである。それは,この物価および賃金の動向の背後に,いわば機構的な変化ともいわるべき変化が生じ,この機構上の変化が40年代にも引継がれていると考えられるからである。
次にこの点を考察する。
4. 昭和30年代後半から40年代に及ぶ機構上の変化
る。個人消費支出の比率は,岩戸景気の上昇過程の途中まで一貫して低下しているが,以後ほぼ同一率を維持している。昭和30年代前半の低下は,この間における消費性向の低下のみによって説明しえられるものではない。消費性向は昭和30年の86.5が35年に82.4に低下し,36年以降は82±1の範囲内で横ばっているのであるが,この4%あまりの低下のみでは構成比の低下を説明するには不十分である。つまりこの間,家計部門の所得,消費の立遅れがあったのである。しかし,この立遅れは,36年以降には生じていない。これは労働力不足の激化を背景にして毎年10%前後の賃上げが行なわれ続けているからである。農業総産出額の44.4%(昭和41年)に達し農業収入の大宗を占める米の価格については,昭和35年に生産費所得補償方式が採用され,36年からは賃金,物価の上昇を反映して毎年相当な引上げがみられ,42年までの7年間にほぼ倍増である。つまり高度成長への立遅れは36年頃からみられなくなり,以後家計所得および消費ともに高度成長にキャッチ・アップする機構が日本経済にビルト・インされたのである。このような事情の下で,30年代後半以降,国民総支出に占める個人消費支出の割合がほぼ一定に推移するという事態がみられるようになった。
同じく政府の財貨サービス購入も,岩戸景気の後半から高い比率を維持し続けている。政府の一般行政費の比重は低下するかもしれないが,社会開発をはじめとする政府投資に対する需要は高まる一方なので,今後とも政府の財貨サービス購入は着実に増加し続けるであろう。
このように,家計消費と政府支出が着実に増加するので,投資支出もそれにつれて,着実に増加しよう。このことはつまりかなり安定的な成長機構が需要面に存在することを意味する。
もっとも,物価変動率が大きいときには,このようなことはいえなくなるであろう。
5. 昭和40年代の国際収支面の特色
以上ポスト岩戸景気(いわゆる転型期)の特質および昭和30年代前半および後半における経済機構上の変化をみた。これらの考察はそれぞれ昭和40年代の経済の特色を示すものであるが,昭和40年代と30年代を区分するひとつの重大な変化が国際収支面に現われている。第Ⅰ-2-5表は各景気段階ごとに,日本の対外支払手段の調達源泉別の構造を示している。データ上の制約から詳細にわたる分析はでぎないが,各景気段階ごとに次のような特色を指摘することは可能であろう。
神武景気においては,対外支払手段調達源泉としてなお特需の占める役割が無視できぬ大きさであった。また資本取引面は外国資本および本邦資本ともにそう大きな役割は演じていなかったように思われる。
岩戸景気においては,特需の役割は神武景気時代より比重を低めている。一方,資本取引面の比重が上昇している。これは外国資本の流入が急増し本邦資本の流出の増加を大きく上回ったことによるものである。外国資本の純流入額は,外貨調達源として12%に達している。
ポスト岩戸景気においては,貿易外収入の比重が上昇した。しかし,貿易外支払の上昇の方が大幅であるから収支としては赤字幅が拡大している。また資本取引は,昭和40年代に入って国内金利低下のため円シフトを起したので,外国資本の流入が低調であり,一方本邦資本の流出が大きかったので,資本取引全体としては赤字になっている。この資本取引の動向は注目される。
今回の景気においては,引き続き資本収支の赤字が示されている。これは外国からの資本の流入が低調である上に,既債務の返済が増加し,かつ本邦資本の流出が大きかったことによるものである。外国資本の流入の低調は,利子平衡税,対外投資の自主規制等のアメリカのドル防衛策の影響および海外金利上昇の影響等による。また本邦資本の流出は,延払信用および借款の増加によるものである。
このような資本収支の赤字傾向が30年代と40年代の国際収支面における変化である