、小沢官房長官、支持率危険水域でも、支持をしてる人達の為に鳩山総理と反小沢分子の大幅改造を断行して新発進し直せ

マイナス思考げ危機感ゼロ党内でケンカしてる暇あるかそんなバカ閣僚は即解任し仕事する若手と交代させ、一致団結選挙に突進。

第2章 日本経済の特質と課題

2009-12-09 22:43:00 | 執行部に不満なら小沢に直訴する度胸もて
第2章 日本経済の特質と課題


第1節 今回の景気循環をいかに判断するか

65年の秋頃から回復した鉱工業生産は,66年,67年と2年引続いて大幅な上昇を続けた。年間を通じての上昇率は,66年 13.2%,67年 19.4%である。
しかし,これは,必ずしも両年における生産の伸びの強さを示す指標ではない。65年秋からの上昇の強さは,毎四半期ほぼ4%ないし5%の伸びで67年の暮まで続いたのである。したがって,66年および67年の実質的な成長力は同じであって,ただ65年が横ばいであったために,対前年比で表面的に差を生じたにすぎない。
2年続いての実勢ほぼ20%の鉱工業生産の伸び,67年の世界貿易の停滞,西欧諸国との輸出競争の激化等が重なっての国際収支悪化から,67年9月1日に,公定歩合1厘引上げを中心とする引締措置がとられ,さらに68年1月5日公定歩合はさらに1厘引き上げられて1銭7厘となった。ここに上昇過程に入って3年目にわが国経済は景気調整期を迎えたのである。

1. 昭和30年代の景気循環と今回の景気との比較
今回の景気循環過程は昭和40年代に入って最初のものである。次にその特質をみよう。
考察の視点は2つある。第1は,神武景気(昭和29年11月~33年6月),岩戸景気(昭和33年6月~37年10月),ポスト岩戸景気(昭和37年10月~40年10月)
という昭和30年代の3つの景気循環と今回の景気上昇過程つまり昭和40年代の最初の景気循環とに性格上の著しい相違があるかどうかという点である。第2は,今回の景気過程の検討の結果として,昭和40年代のわが国経済の動向につきなにほどかの判断資料がえられるかどうかという点である。この第2の点は,第1の点の検討結果に大きく依存する。
まず昭和30年代の3つの景気循環と今回の循環との比較を試みよう。
30年代の景気循環について,底からピークに至るまでおよびピークから底に至るまでの総需要およびGNEの各構成要素の増加寄与率と,今回の景気上昇過程におけるそれとの比較を行なうと,第Ⅰ-2-1表のごとくである。
民間企業設備投資のGNEに対する寄与率をみると,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気の上昇過程および今回の景気過程において,それぞれ24.7%,35.8%,23.8%,27.7%となっている。今回の景気循環の上昇過程は,昭和42年第4四半期までをとっており,データのつごう上ピークまでの期間をとっていないが,しかし,それにしても,今回の景気上昇における民間企業設備投資の演じた役割が,昭和30年代における2回にわたる設備投資の強成長期である神武景気および岩戸景気において演じた役割のちょうど中間の役割を演じたということはいえるであろう。
在庫投資の寄与率をみると,それぞれ38.7%,15.4%,15.3%,28.0%となっている。今回の景気循環における在庫投資の比重は,神武景気に次いで高い。これは,在庫循環的な性格も強いことを示している。
なお,以上の両要因の合計をみると,神武景気63.4%,岩戸景気51.2%,ポスト岩戸景気39.1%,今回の景気55.7%である。このように,需要の構成要素の増加傾向から判断すると,今回の景気の上昇過程は,神武景気,岩戸景気という昭和30年代の2大景気循環のそれと,ほぼ匹敵する内容を有していたといえるであろう。
なお,日本経済全体としての総固定投資の構造をみると,第Ⅰ-2-2表の示すごとく,若干の変化がみられる。製造業投資の比重をみると,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気を通算してみると,23.5%,28.9%,22.4%と推移しており,今回の景気においては,19.1%である。今回の景気に関しては,期間上の相違があるが,この計算からみる限りでは,比重が低下しているということはいえそうである。このことはポスト岩戸景気の同局面の数値をみると24.4%であることからも裏打ちされている。一次産業投資には傾向的に低下が認められる。そしてサービス業投資,住宅建設,一般行政投資等はその比重を高めつつある。
次に景気上昇の実勢を比較しよう。景気上昇の実勢としては,景気上昇のスピードをみることとする。実質GNPおよび鉱工業生産の季節修正済み四半期別データにより,景気のピークに至るまでの4四半期および8四半期の対前期比伸び率をみると第Ⅰ-2-3表のごとくである。
今回の景気は,一応1年間の実勢伸び率でみるとGNPに関しては,15.5%で昭和30年代のいずれよりも高い。鉱工業生産指数でみると19.3%で,神武景気には及ばないが,岩戸景気よりも大きくなっている。また2年間の伸び率でみると,GNPに関しては30.4%で岩戸景気に次いでいる。鉱工業生産に関しては,43.3%で神武景気,岩戸景気に及ばないが,岩戸景気との差はわずかである。要するに,GNPおよび鉱工業生産の実勢伸び率からみても,今回の景気は,神武景気,岩戸景気に十分匹敵しうるだけの上昇スピードを示したのである。
ところで,このような今回の景気の様相をみるとポスト岩戸景気当時にいわれていたいわゆる転型期観はどう判断きるべきであろうか,そして今後の景気判断上その意義はいかに評価さるべきであろうか。

2. いわゆる転型期の意義
今日の時点で振返ると,ポスト岩戸景気を転型期と名づけだのは,中期的循環の一局面に少しオーバーな名を与えすぎただけのことと思われる。しかし,このポスト岩戸景気の転型期は,昭和40年代の日本経済を考える場合,見逃すことのできない注目すべき特色を示したのである。それは,基本的には,わが国企業経営者の投資決意に関するひとつの実験であった。つまり,具体的な景気循環過程において企業家がいかなる投資決意を行なうかに関するひとつの貴重な注目すべき実例がそこに見出されると考えられるのである。
周知のごとく,昭和39年から40年にかけては,世界貿易も活発化し,わが国の国際収支も好転し,金融もきわめて緩んでいたにもかかわらず,企業の投資意欲は仲々回復せず,ついに公債発行を伴う財政による積極策が発動された。
このことは,つまり神武景気,岩戸景気を通じて,何物をもやきつくずばかりに燃え上った企業家の投資意欲が,過剰設備,採算悪化によって大きく冷えたことを示す。インノベーシヨン投資,シェア争い投資等も,当然のことながら,採算によって制約される。この点欧米の投資決定と同一である。大きな相違は,強烈なシェア争いにより,投資の上昇が爆発的であることである。
急上昇した投資は,過剰設備を産むが,一般的な投資の急上昇は,需要の大きな上昇をも伴うので結果として過剰度はさして大きくなることはなく,高度成長がもたらされたのである。欧米とくに欧州の企業家の競争排除的な,いわば合理的投資決定のもとにおいては,過剰度の発生は少いがしかし成長率は低められざるをえない。
神武景気,岩戸景気当時においては,企業家の投資決意に影響を与えたものは,インノベーシヨン採用,自由化対策,シェア拡大等種々の要因の複合であった。しかし,これらの複合要因の根底には合理的採算の視点が存在している。わが国企業家の投資決定と,欧米企業家の投資決定との相違は,この合理的採算視点の演ずる役割の大きさに見出されよう。わが国においては,合理的採算視点は,他の諸要因によって覆われており,あまり表面に出ないが,欧米においては,より大きな役割を演じているのである。
さて,ポスト岩戸景気においては,わが国企業家の合理的採算視点が現れ,景気は停滞し,成長率の鈍化から財政の歳入欠陥を生じ,歳入補填と景気刺激の両面から公債発行が登場した。景気停滞と公債発行と,2つながら原因は企業家のビヘイビアーにおける隠れたる要因の顕在化に求められる。これは昭和40年代の日本経済を考える場合留意すべき点である。
なお,昭和30年代の景気循環は,ポスト岩戸景気において以上のような特色を示したことの他に,30年代の前半において以下に述べるような若干の注目すべき構造上の変化を経験し,これと結びついていわば機構上の変化ともいわるべき変化が生じている。そして,これが昭和40年代に同一傾向のまま引継がれている。この点も注目すべきである。

3. 昭和30年代における前半と後半の相違
昭和30年代の前半と後半における相違―そしてその変化は現在にまで引継がれているのだが―を最も明瞭に示しているのは第Ⅰ-2-4表である。第Ⅰ -2-4表は,神武景気,岩戸景気,ポスト岩戸景気,今回の景気のそれぞれについて,消費者物価,小売物価,卸売物価,賃金の年率増減率を示している。
神武景気当時は,景気の上昇過程,下降過程において,物価および賃金は,それぞれそれに応じた変化を示している。物価および賃金は,上昇過程において上昇し,下降過程において下落ないし伸び率の鈍化を示している。しかし岩戸景気においては,消費者物価および賃金ともに,上昇過程における年率上昇率よりも下降過程における上昇率の方が高いのである。これは,岩戸景気の途中から労働力不足が顕在化し,次に説明するような賃金のほぼコンスタントな上昇が行なわれるに至ったことによるものである。なお,この賃金上昇が第三次産業の生産性の上昇を上回ることによって,サービス価格の継続的上昇を惹起する要因になった。この傾向は当然ポスト岩戸景気にもほぼ同様に引継がれている。そして,今回の景気の上昇過程は岩戸景気の上昇過程に生じた傾向をそのまま受継いでいるといえよう。昭和30年代の半ばに現れたこの変化は,40年代のわが国経済を考える場合にきわめて注目すべきことである。それは,この物価および賃金の動向の背後に,いわば機構的な変化ともいわるべき変化が生じ,この機構上の変化が40年代にも引継がれていると考えられるからである。
次にこの点を考察する。

4. 昭和30年代後半から40年代に及ぶ機構上の変化
る。個人消費支出の比率は,岩戸景気の上昇過程の途中まで一貫して低下しているが,以後ほぼ同一率を維持している。昭和30年代前半の低下は,この間における消費性向の低下のみによって説明しえられるものではない。消費性向は昭和30年の86.5が35年に82.4に低下し,36年以降は82±1の範囲内で横ばっているのであるが,この4%あまりの低下のみでは構成比の低下を説明するには不十分である。つまりこの間,家計部門の所得,消費の立遅れがあったのである。しかし,この立遅れは,36年以降には生じていない。これは労働力不足の激化を背景にして毎年10%前後の賃上げが行なわれ続けているからである。農業総産出額の44.4%(昭和41年)に達し農業収入の大宗を占める米の価格については,昭和35年に生産費所得補償方式が採用され,36年からは賃金,物価の上昇を反映して毎年相当な引上げがみられ,42年までの7年間にほぼ倍増である。つまり高度成長への立遅れは36年頃からみられなくなり,以後家計所得および消費ともに高度成長にキャッチ・アップする機構が日本経済にビルト・インされたのである。このような事情の下で,30年代後半以降,国民総支出に占める個人消費支出の割合がほぼ一定に推移するという事態がみられるようになった。
同じく政府の財貨サービス購入も,岩戸景気の後半から高い比率を維持し続けている。政府の一般行政費の比重は低下するかもしれないが,社会開発をはじめとする政府投資に対する需要は高まる一方なので,今後とも政府の財貨サービス購入は着実に増加し続けるであろう。
このように,家計消費と政府支出が着実に増加するので,投資支出もそれにつれて,着実に増加しよう。このことはつまりかなり安定的な成長機構が需要面に存在することを意味する。
もっとも,物価変動率が大きいときには,このようなことはいえなくなるであろう。
5. 昭和40年代の国際収支面の特色
以上ポスト岩戸景気(いわゆる転型期)の特質および昭和30年代前半および後半における経済機構上の変化をみた。これらの考察はそれぞれ昭和40年代の経済の特色を示すものであるが,昭和40年代と30年代を区分するひとつの重大な変化が国際収支面に現われている。第Ⅰ-2-5表は各景気段階ごとに,日本の対外支払手段の調達源泉別の構造を示している。データ上の制約から詳細にわたる分析はでぎないが,各景気段階ごとに次のような特色を指摘することは可能であろう。
神武景気においては,対外支払手段調達源泉としてなお特需の占める役割が無視できぬ大きさであった。また資本取引面は外国資本および本邦資本ともにそう大きな役割は演じていなかったように思われる。
岩戸景気においては,特需の役割は神武景気時代より比重を低めている。一方,資本取引面の比重が上昇している。これは外国資本の流入が急増し本邦資本の流出の増加を大きく上回ったことによるものである。外国資本の純流入額は,外貨調達源として12%に達している。
ポスト岩戸景気においては,貿易外収入の比重が上昇した。しかし,貿易外支払の上昇の方が大幅であるから収支としては赤字幅が拡大している。また資本取引は,昭和40年代に入って国内金利低下のため円シフトを起したので,外国資本の流入が低調であり,一方本邦資本の流出が大きかったので,資本取引全体としては赤字になっている。この資本取引の動向は注目される。
今回の景気においては,引き続き資本収支の赤字が示されている。これは外国からの資本の流入が低調である上に,既債務の返済が増加し,かつ本邦資本の流出が大きかったことによるものである。外国資本の流入の低調は,利子平衡税,対外投資の自主規制等のアメリカのドル防衛策の影響および海外金利上昇の影響等による。また本邦資本の流出は,延払信用および借款の増加によるものである。
このような資本収支の赤字傾向が30年代と40年代の国際収支面における変化である

第2節 世界貿易の今後の動向

2009-12-09 22:36:22 | 執行部に不満なら小沢に直訴する度胸もて

第2節 世界貿易の今後の動向


前節にみたように,67年の世界経済および世界貿易は不振であったが,68年には世界経済および世界貿易は上向くと予想されている。また同じく貿易の伸びに関しても,OECD事務局は,OECD加盟国の輸入の伸び率は,67年の5.1%が68年には8.5%になると考えている。
ところで,67年11月18日のポンドの14.3%の切下げ,それに引き続き今年3月に至る期間内にみられた3回の金投機の波の高まり,本年1月1日のジョンソン大統領のドル防衛対策の発表,3月17日からの金プール廃止に伴う金の二重価格制の出現等,現行の国際通貨制度は激動期の様相を呈している。
68年の世界経済は基調としては,67年より上向くことは,OECDの見通しの述べるごとくであろう。しかし,68年の世界経済が近来にない複雑な問題を抱えていることもまた疑いえぬ事実である。次にこれらの問題を,世界貿易と国際流動性問題およびドル防衛策等をめぐる諸問題に分けて考察することとする。後者は広義においては前者の一部をなす問題である。

1. 世界貿易と国際流動性

1947年から67年に至る期間における世界の輸入は,名目で年平均ほぼ7.1%の増加である。また51年から67年の期間における世界輸入の年増加率は,同じく名目で5.9%である。
このような世界貿易の伸びを支えてきた国際流動性の構成は第Ⅰ-1-4表に示すごとくである。公的準備中の金は,年平均でわずかに0.9%しか増加していない。したがって,この点の不足を補ったのが,ドルを中心とする準備通貨である。
表にみるごとく,金の比重の減少と準備通貨の比重の上昇とが著しい。
ところで,このように準備通貨が供給されたことは,基軸通貨国たるアメリカおよびイギリスの国際収支が赤字であったことを意味する(第Ⅰ-1-3,4,5図)しかし,また同時に基軸通貨国の国際収支の赤字が継続することは,基軸通貨国の対外債務の増大を意味する。そしてかかる短期債務の償還請求が大量に行なわれるときには,国際通貨機構の動揺が避けられないこととなる。基軸通貨国が,かかる事態の発生を防ぐためには,国際収支を改善することが,最も基本的な対策となる。しかし,国際収支が改善された場合には流動性不足の問題を生ずるので,それに備える必要がある。SDR(IMFの特別引出権 Special Drawing Rights)がその対策として考えられたのである。
次に,第2次大戦後におけるアメリカ,イギリスの国際収支と流動性との関連等をみよう。
まず基軸通貨ドルの撤布要因をみよう。アメリカのドル撤布つまり国際収支を,貿易要因(受取:商品輸出,運輸・旅行・その他サービスの受取,支払:商品輸入,運輸・旅行・その他サービスの支払,民間・政府送金),威信(Prestige)
要因(受取:軍関係輸出,軍事贈与に伴う輸出,政府債務,支払:軍関係支出,
軍事贈与,政府贈与,政府資本の流出)および世界企業要因(受取:ロイヤルティー等・投資収益の受取,直接投資・証券投資による流入,その他の民間債務,支払:投資収益の支払,民間資本の流出)の3要因にわけて図示すると第 Ⅰ-1-6表,第Ⅰ-1-6図および第Ⅰ-1-7図のごとくである。この3要因のうち貿易要因は,59年の小さな赤字を除いては終始一貫して黒字である。第Ⅰ-1-7表の賃金コストの推移に示すごとくアメリカの国際競争力上の立場は弱化していないからである。また世界企業要因は,赤字,黒字が交錯しているが,概して黒字基調である点は注目される。
60年代に入って対欧直接投資が急増してからも,通算すれば必ずしも赤字ではないのである。しかし,威信要因は,終始一貫して巨額の赤字を示している。いま,46年から67年に至る22年間の平均をみると,貿易要因は3,290百万ドルの黒字,世界企業要因は476百万ドルの黒字,威信要因が5,309百万ドルの赤字である。別に誤差脱漏が118百万ドルあって,国際収支全体としては11,425百万ドルの赤字となっている。
かかる威信要因による赤字は,第2次大戦後のアメリカ国際政治上の地位によるコストである。最初は,マーシァルプラン等による自由陣営の復興援助があり,次いで朝鮮戦争と,それに引き続く冷戦体制下での海外軍事支出および援助支出が続き,最後にベトナム戦争がくる。アメリカの立場からいえばこの威信要因による支出は,自由世界全体のためにするアメリカの犠牲的負担である。したがって,この要因によるドル撤布が,今日,自由世界諸国により厳しく批判されることになるということは,必ずしも自明の理ではなかったであろう。
だから60年代におけるニュー・エコノミックスの実験のプロセスにおいて,エコノミストは,ドル撤布の継続に対し必ずしも十分の注意を払ったとはいいきれないこととなったのである。なお,かくのごときドル撤布の結果,アメリカの短期債権,債務関係は第Ⅰ-1-8表のごとく変化した。既に55年からアメリカの短期債務は,アメリカの自由金準備および短期債権保有額をこえたのである。60年代におけるアメリカの国際収支は,数度のドル防衛措置にもかかわらず,引き続き赤字を続け,アメリカの短期対外ポジションは悪化し続けた。
かかるアメリカの国際収支の悪化を主たる要因としてユーロダラー市場が急速に発達している。

なお,以上のようなアメリカ,イギリスの国際収支の悪化,国際通貨不安の進行の背景に,これら両国の世界経済における相対的地位の低下が進行していた。貿易面,鉱工業生産面およびGNP面において,米,英,EEC,日本の相対的比重の推移をみると,第Ⅰ-1-8~11図の示すごとくである。貿易の面では,対世界輸出対比でアメリカおよびイギリスの輸出は,53年の21.2%および9.8%が,66年には,それぞれ14.7%および6.9%に低下している。
EECは19.1%から25.9%へ増加し,日本も1.7%から4.8%に増加している。鉱工業生産面でみると,アメリカを100として,イギリスの比重は,50年の19.4%が67年には14.7%となっているのに対し,EECは31.9%から45.9%へ,日本は3%から14.3%へとその比重を高めている。GNPに関しても,アメリカを100として,イギリスは,55年の13.3%が66年13.9%となり,EECは,33.5%から42.6%へ,日本は5.8%から12.7%へと上昇している。
次にイギリスについてみると,37,38年頃には,金外貨準備と短期対外債務とがほぼ均衡していたが,しかし第2次大戦中および戦後に債務が累増し50~51年頃には債務が準備の3倍に達し,以後改善されていない。45年のポンド債務残高3,693百万ポンドは67年末には5,350百万ポンドに達している。内訳は,国際機関1,540百万ポンド,スターリング諸国2,442百万ポンド,非スターリング諸国1,368百万ポンドである。これに対し,イギリスの金外貨準備は1,123百万ポンドに過ぎない。

かかるイギリスの短期債務超過の問題は,EEC加盟にとって大きな問題となっているほか,今やドルの弱体化という新しい事態の下においては,ポンドの動揺は,さらに広範囲の通貨の動揺を引き起こす懸念があるので,67年11月のポンド切り下げ後のイギリスの国際収支の動向が注目される。
ポンド切下げ直後NIESR(国立経済社会研究所:National Institute of Eco- nomic and Social Research)は67年の経常収支は350百万ポンドの赤字,68年の経常収支は,375百万ポンドの赤字と予想した。しかし67年の経常収支の実績は514百万ポンドの赤字と,予想を大きく上回っている。NIESRは,この
見通しの変化に応えて今年2月改定見通しを発表し,67年の経常収支は500百万ポンドの赤字,68年の経常収支は収支均衡としている。この経常収支均衡の場合基礎収支は1億ポンドの黒字である。なおこの経常収支均衡の場合の68年の輸出の伸びは対前年比21.9%増,輸入の伸びは対前年比11.1%増と見込まれている。一方本年1~4月の輸出入の対前年同期比は,輸出が10.2%増,輸入が21.2%増である。貿易収支尻をみても67年1~4月合計70百万ポンドの赤字が今年は283百万ポンドに達している。これはかなり注目すべき事実である。
2. ドル防衛策をめぐる諸問題

ポンド切下げ後の金投機の激化,国際通貨不安の深刻化のさなかに,ジョンソン大統領は,68年1月1日,国際収支30億ドル改善のためのドル防衛対策を発表した。
このドル防衛策は,情勢の悪化を反映して従来発表されたドル防衛策のうちではもっとも徹底したものである。
すでに60年11月,アイゼンハワー大統領は,7項目から成るドル防衛策を発表し,主として政府支出(軍事支出)の削減を試みている。これは60年第3四半期の国際収支赤字が年率46億ドルに拡大し,10月 ロンドンの金市場相場が
1オンス40ドルを超えたことに対する対策であった。なおこの金価格の騰貴に対処しての金相場の安定のための国際協力関係が発展して61年末の国際金プールの結成となった。
ケネディ時代においては61年2月国際収支改善教書が発表され,63年7月には金利平衡税が新設された。
ジョンソン時代に入ってからは,65年2月,銀行,企業の対外融資に自主規制枠が設けられ,12月 これがさらに強化され,ついで今回のドル防衛策の発
表に至ったものである。その内容を具体的にかつ詳細に検討すると次のことがわかる。すなわち,第1はもしアメリカの行政府が規制内容をそのまま適用するならば,直接投資の規制および金融機関融資の規制は,予定以上の効果を挙げうるはずであるということである。次に海外旅行の抑制,海外軍事支出の削減等に関しては,海外旅行税が議会で否決されたこと等のこともあって,見通しは必ずしも明らかでない。
また,輸出促進および非関税障壁撤廃措置のうち注目を要するのは,非関税障壁撤廃要求の一部としてEECの国境税調整措置の是正を求めるが,容れられない場合には,みずから国境税調整を行なうことを検討せざるをえない旨明らかにした点である。これはその後輸入課徴金新設案に変化しているが,この変化の理由は第1は,国境税調整をGATTの許容範囲で行なうとすると,低率になって効果が乏しいこと,第2はアメリカが考えたような国境税調整の仕方は,いわゆる「かくれた税」の調整であり,他の国も同じくこれを採用しうること等であったと考えられる。輸入課徴金案が実現した場合,その世界経済への悪影響が大きいので,EEC,英国およびわが国等は,ケネディ・ラウン
ドの繰上げ実施を行なうことにより,輸入課徴金の新設を取り止めることをアメリカ政府に求めており,アメリカ政府としてもとりやめる方向にある。
なお,このようなドル防衛策の発表にもかかわらず68年3月に第3波ゴールド・ラッシュがあり,この結果さらに推定6億ドル~7億ドルの金が失われ,遂に3月15日より3月31日までロンドン金市場は閉鎖され,金プールは解消し,金の二重価格制が出現するに至った。11月以降3月に至るまでの金プールの金売却は,約24意ドルに達するといわれる。
なおこのロンドン金市場の閉鎖中に,3月29~30日 ストックホルムで10カ
国蔵相会議が開催された。これは67年9月リオデジャネイロのIMF総会においてその大綱の決定が行なわれていたSDR創出に関する最終的な意見調整の場であった。将来の国際流動性需要に応ずるための新準備資産の検討開始が63年10月に決定されて以来5年振りの成果である。
SDRは①新準備資産の創設を,IMFという国際機関を通じて全加盟国を含む多角的な制度として考えたこと②金とリンクすることなく割当てを受けられるという各国の合意による流動性創出であること等の面で国際金融史上画期的な意義をもっている。
なお,ドル防衛策に基づく輸入阻害的措置の新設を政府が構想中のアメリカにおいて,輸入制限運動が激化していることも注目すべき現象である。
68年3月27日 米上院は,物品税延長法案のライダー(付帯法案)として繊維
品の輸入制限に関するいわゆるホリングス法案を可決した。同法案は繊維品の輸入総額を61~66暦年の年平均以内に抑えることをめざすものである。しかし本法案は上下両院協議会に回付され,そこで成立を阻止された。なおホリングス法案以外の法案でアメリカ議会に提出されている主要な保護主義法案は14をかぞえる。なかでも本年5月1日提出のハーロング法案は全品目をカバーしうる広範な保護立法を目指している。これらの法案は,いずれも議員提出法案であり,自己の属する選挙区の利害に動かされての行動であるとみられる。67年から68年にかけてアメリカにおける保護主義的動きが盛んになった理由としては,ケネディ・ラウンド終了まで抑えられていた保護主義的要素が吹き出したこと,アメリカ社会に存在する一般的挫折感がこれを助長していること,68年が選挙の年であること等が考えられる。
しかし,自由貿易主義を一貫して主導してきたアメリカの国際経済政策上の立場を弱めるような保護主義の動きに対しては,アメリカの行政府は一貫して反対の態度を維持している。



第1節 世界貿易の推移

2009-12-09 16:56:28 | 執行部に不満なら小沢に直訴する度胸もて

第1節 世界貿易の推移


立と国際関係の多極化等を経て現在に至っているとき,それを経済的に支える国際貿易は,第Ⅰ-1-1図のごとくに推移している。これは両大戦間の相対的安定期といわれる1925~29年の間の国際貿易の伸び率4.9%と比較しても,かなり目ざましい伸びといえよう。
60年以降の伸び率は50年以降の伸びに比較してもこれを上回る姿を示しているが,このことは世界経済の潜在成長力が依然として,きわめて強いことを示すものであろう。この点は,現在の国際通貨不安による世界経済の一時的混乱が収束された後にわれわれがいかなる世界に直面するかを予想する場合忘れてはならない事実である。
なお,67年の世界貿易の伸び率は4.7%(実質5.5%)であって,60年代においては,61年の4.5%(実質5.1%)に次ぐ低成長率であった。これは,たまたまアメリカ,カナダおよびイギリス,フランス,西ドイツ,オランダ等のイタリアを除く欧州諸国が同時に景気後退を経験したことによるものである。いわば正常な景気循環の一局面というべき現象であり,国際通貨不安とは関係はな
かった。アメリカにおいては,在庫調整が景気後退の主因であったし,西欧においては,西ドイツの不振が,近隣諸国の景気後退をうながしたのである。
この結果第Ⅰ-1-1表のごとく,主要国の実質経済成長率は,概して前年を下回り,とくに西ドイツが負の成長率を示したことが注目される。
61年以来長期繁栄を続けてきたアメリカ経済は,65年から66年にかけての過熱状態の後,在庫調整の過程に入り,鉱工業生産の低迷,設備投資の減退に直面し,67年上期を通じて景気停滞の状況にあった。しかし4月に公定歩合が,4.5%から4%へ引き下げられ,設備投資税額控除等税制面からの投資刺激策の実施,軍事支出の増大による下支えもあって,在庫調整の終了とともに回復に向い,68年に入って上昇傾向はさらに強まり,国際収支面の問題を激化させることとなった。西欧諸国の経済も,イタリアを例外として,停滞裡に推移した。イギリスは66年7月からの引締め政策のあとをうけ,67年年初からは一連の有効需要刺激策が執られ,景気は一時立直るかにみえたが輸出の停滞,輸入の増加により貿易面の改善は永続きせず,加えて,中東紛争に端を発した短資の流出,港湾ストの悪影響もあって,第3四半期には国際収支は再び急速に悪化し,11月にはポンドが14.3%切下げられるに至った。
西ドイツ経済は,66年のなかば頃から急速な下降局面に入り,67年上期には実質国民総生産は年率で3.4%減と戦後はじめての低落を示した。しかし67年初めから金融財政面でリフレーション政策に転換したこともあり,年央には景気が底入れし,以後緩慢な回復の様相をみせ,本年に入ってから民間設備投資,在庫投資が回復し,輸入も増えはじめている。なお66~67年における西ドイツの不振は,基本的には,賃金上昇のため利潤が抑えられて企業家の投資決意が衰えたことおよび財政金融政策が不適切であったことによるものといわれでいる。
フランスは,輸出の約1/4を占めるドイツ向け輸出の停滞に災いされ,,67年に入って景気は下り坂となった。このため政府も景気刺激策に転換したが,国内需要の伸び悩みから回復力は弱く,本年1月からさらに積極的な景気振興策がとられることとなった。
イタリアはEEC諸国のなかにあって,ひとり順調な拡大を持続した。輸出面でドイツの不利な影響をうけた点はイタリア経済も例外ではないが,域外輸出の伸長と内需の堅調がこれを補ない,しかも物価が安定的に推移したことは注目される。
このような西欧,アメリカのほぼ同時的な景気後退の中で,発展途上国経済も総じて停滞した。しかしベトナム特需関連の東南アジア近隣諸国および中近
東の一部産油国は引き続き好調であり,他の諸国の停滞と顕著な対照をみせた。
これを地域別にみると,インド,セイロン,ビルマなど西南アジア諸国は一次産品市況の低迷,農作物不振などにより輸出が伸び悩み,ベトナム特需関連地域の諸国は輸出入とも好調で国内的には工業化の進展を図り,輸出産業の育成に努めてその経済成長のテンポはかなり早かった。
中南米ではアメリカの原材料,食料の輸入需要減退により,またアフリカは西欧の輸入需要減退により輸出が不振であり,貿易収支の悪化から輸入制限を強めた国もある。
中近東では中東戦争の当事国たるイスラエル,アラブ連合諸国は停滞した。
これに対し,共産圏は,ソ連,東欧諸国の経済改革が進捗し,前年に引続き順調な推移をみせたが,中共では文化大革命の激化により流通,輸送機能の低下をきたし,工業生産も全国的規模で停滞したとみられる。
さて以上のような世界の経済情勢を反映して,世界貿易の伸びも第Ⅰ-1-2表,第Ⅰ-1-3表にみるとおり,67年は66年に比べてほぼ半減している。
先進工業国については,輸出が前年の10.4%から5.3%へ,輸入が11.2%から5.6%へとそれぞれ鈍化し,発展途上国については輸出が前年の7.0%から1.3%へ輸入が7.8%から2.2%へと大きく低下している。この結果世界貿易に占める発展途上国の比重は65年以来,輸出入とも低下傾向を続けている。
これを四半期別にみると世界の輸出は,前年同期比で第1四半期の7.5%から第4四半期の2.4%へと傾向的に低下した。しかし先進工業国のみについてみると第3四半期の2.5%を底に第4四半期には2.9%へとやや回復している。これは主としてヨーロッパ工業国の景気底入れによるものである。世界の輸入については,前年同期比で66年第3四半期の9.8%から67年第3四半期の1.5%まで傾向的に落ち込みをみせた。しかしアメリカ,西ドイツの輸入は第4四半期にはようやく回復の傾向をみせはじめた。

第1章 世界経済の基本動向

2009-12-09 16:52:56 | 執行部に不満なら小沢に直訴する度胸もて

第1章 世界経済の基本動向


昨年11月18日のポンド切下げ以降に,世界経済に生起した諸事象は,正にひとつの時代の転換を予告するものである。
経済的見地からこれをみれば,ポンド切下げ(67年11月18日),金投機(67年11月,12月,68年3月),米政府のドル防衛策発表(68年1月1日),金の二重価格制の出現(68年3月17日)等のことは,第2次大戦後,実物面では順調に推移してきた世界経済が,60年代に入ってから従来もしばしば経験してきた国際通貨制度上の問題の解決に,遂にのっぴきならぬ形で直面したことを示している。世界経済は,67年秋から,いわば貨幣面と実物面の乖離の解決過程に入ったのである。
国際政治的見地からこれをみれば,かかる経済面の動きは,現在の各国際勢カ間の均衡に影響を与えることにより,60年代の欧州の安定,米ソ冷戦の緩和,中ソ対立の激化等によって,益々明確化しつつあった国際政治の多極化を一応の完成に近づかしめることになるであろう。
現代世界においては,国際経済と国際政治とは密接に関連している。そして,国際経済関係が緊密化し,国際経済政策上の問題の処理が,より一層国際的視野から吟味検討を要求するようになっているとき,そこで調和化されるべき各国のナショナル・インタレストに基づく主張は,益々明確な対立を示すようになる傾きがある。国際流動性の問題の討議の過程等においても,インターナショナルな主張とナショナルな主張とが交錯してあらわれた。
以下まず67年を中心とする世界貿易の推移を説明し,その将来の動向を探り,最後に68~69年における世界経済の課題を検討する。

第1部 世界経済と日本貿易

2009-12-09 16:48:45 | 執行部に不満なら小沢に直訴する度胸もて

第1部 世界経済と日本貿易


わが国貿易の成果は,これを担当する民間各企業の努力およびこれを背後から支える政府の貿易振興諸施策の効果によるところ大なるものがある。しかしながら,世界の景気情勢およびそれによって規定される世界貿易の動向および日本経済の一般的景気情勢によって,さらに大きく基底的に制約されていることも疑いえないところである。
したがって,67年を中心とするわが国貿易の実情を明らかならしめるために,まず,その前提として,第1章において67年を中心とする世界景気の基本問題を吟味する。次いで第2章において,昭和40年代における日本経済の特質を考察する。これは,30年代における3度の景気循環の後はじめて迎えた40年代最初の景気循環に際して,30年代の経済と40年代の経済との異同を検討することが,今後の安定的貿易拡大策の立案に際して裨益するところ多大であるからである。最後に第3章において,67年のわが国貿易の進展を,世界貿易および日本経済の一般的景気情勢の進展との関連において説明する。