「母親やめてもいいですか」にしかわたく/絵 山口かこ/文
育児体験記、実録。
不妊治療、流産を経てやっと子どもができる。
うれしくて「たから」と名付ける。
しかし、授かった娘は広汎性発達障害だった。
著者は思い描いていた「子育て」と現実のギャップに苦しむ。
結局、療育に疲れて離婚し、子どもを手放してしまう経緯が綴られる。
私はたからが可哀想なんじゃなく
自分が可哀想なのだ・・・・・・
「療育」とは目の前の課題をひとつひとつ丁寧にクリアしていくこと
日常のなかで継続していくものであって、明確なゴールは存在しない
そもそも「障害」なんだから病気のように「治す」ものじゃないんだよね
虐待を受けてる子の6割近くが発達障害をもってるんだってね
【心の理論】
他者の心を推測・想定する能力。広汎性発達障害の子が「心の理論」を獲得するのは9~10歳頃といわれている。
【ネット上の紹介】
幼い時に父を亡くした私の夢は「家族をつくって平凡に暮らすこと」。だが、不妊治療、流産を乗り越え、ようやく授かった娘は広汎性発達障害だった。娘が幸せになる手がかりを探して療育に奔走するも、わが子と心が通いあわないことに悩む。さらに将来を悲観し、気づけばうつ状態に。チャット、浮気、宗教…現実逃避を重ねるなか、夫に突きつけられた離婚届。娘と離れ、徐々に現実から目をそらし逃げていたことに気づくのだが…「親は子どもの幸せを諦めてはいけない」娘の障害受容ができず、一時は死をも考えるほど、どん底に落ちた著者の絶望と再生の物語。
「たから誕生」
「親ばかですか」
「愚痴ってもいいですか」
「私の娘、ヘンですか」
「療育ってなんですか」
「普通の子は可愛いですか」
「死んだらダメですか」
「子は鎹ってホントですか」
「チャットは逃避の始まりですか」
「女になっていいですか」
「信じる者は救われますか」
「娘を手放していいですか」
「たからはたからですか」
「母親続けていいですか」