霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

大晦日に来る「神」

2012年12月31日 | 心霊現象
今から随分前の話になる。
一頃、有名な話として、誰もが知るようになった「一杯のかけそば」の話だ。
貧しい親子が三人、大晦日の夜「蕎麦屋」へ入る。
注文は「一杯のかけそば」だけ。
親子でそれをすすって帰ろうとする。それを見た「蕎麦屋」のおやじは、三杯のかけそばを作って
御馳走した、という話があるかと思えば、お金をめぐんだりと、色々尾ひれがついて、日本中の話題の「物語」となった。


『白樺派の詩人だった千家元麿(せんけもとまろ)の「三人の親子」という一編がある。
大晦日の晩、母子三人が往来からガラス戸の中の餅をじっと眺めている。
10分ばかり立ち尽くして買わずにそっと歩み去る。
というそんな「詩」だ。
人は誰も見ていなかったが、<神だけはきっとそれをご覧になったらう>と詩は続く。
店のウインドーにせよ家々の窓にせよ、ガラスの向こうの華やぎや幸せが、胸にしみ入る時節でもある。』

と、ある紙面でこう結んでいた。


今よりはまだ、「童話」を聞いたり読んだりしていた頃。
決まって年の瀬は、悲しいが心温まる話で満ちていた。
「マッチ売りの少女」もそうだった。
その時降る雪は、決まってあまりにも「白く」、そしてあまりにも「冷たい」。
そして日本の童話は、必ずそんな大晦日の夜(晩)に、「神」が各家を訪ねられた。
その「姿」はどう見ても「神」ではない。
年をとり、ボロをまとい、今にも倒れんばかりの姿で家の前に立つ。
人里離れた一軒での出来事を、子供たちに一年の総まとめのように、祖母たちはきまって話す。
吹雪の中、倒れ込む「老人」を、どのように扱うか・・・、これが大晦日の晩に「その人」が出す
「結論」だった。もちろん「神の前」に出す答えである。
子供心にも、自分ならどうしたか・・・を考える。
老人が「神」の化身だと分かるはずもない。そんな中で計られてゆく、自分の心の在り様。
「このおいぼれが!」と言って、水をかける者。「大晦日に縁起でもない」と押しやる者。
にぎりめしを持たせて追いやる者、といろいろな場面を頭に浮かぶだけ例をだしては、年よりは
孫に話をふくらます。

この話の元は、神様二人の掛けだった、という人もいるが・・・?。
一人の神様は「全員が追い出す」方に賭けた。もう一人の神様は「いや、一人くらいは・・・」と、
人間の良心に賭けた。
結果、一番貧しい老人の家だけが、玄関を開け、一人の神様を入れてくれた。
食べ物は無いからと、湯をわかして飲ませてくれた。
その「薪(たきぎ)」さえも無くなりかける・・・という話の展開である。

その後、「鉢の木」という話を聞いて、日本人の感性の豊かさを知った思いがしたものだ。
落ち武者が吹雪の里をさまよう。
一軒の家にたどり着く。招かれて「囲炉裏」(いろり)へ座る。
貧しい老人が、薪が無くなると、自分が丹精こめた「盆栽」の枝を切って、囲炉裏にくべてくれた
話を知る。
落ち武者は感涙にむせび・・・、という話らしい。

生木がはたして燃えるかぁ?、なんて質問はナシだ。
落ち武者、吹雪、貧しさ、丹精込めたものを捧げる、・・・、「あなた」ならどうする?

これらの「話」は、一貫して我々に問うている。
そして「大晦日」だからこそ問うのであろう。


神が各家を回られる前に、「聖・クロース」が25日にやって来る。
えっ、知らない?。サンタ・クロースは「セイント(聖)クロース」なのです。
「クリスマス」で、聖人から何かをもらった人は、大晦日に来られる「神」の前に「何」をお返しするかを考えて、用意を怠りませんように。
神が欲しいのは、決して「物」ではありません。
どんな「心」を捧げるか・・・。
今からでも遅くはない、用意してお待ちください!


大晦日。
老人は思う。今年もよくまあ、生きてこれたものだと・・・。
そして思う。
「神」は、まだわたしをお召しにはならないのか・・・・とも。
新しい年、再び生きて、さて何をせよと・・・。

人生、生きてみてのもの。
結果は「あなた」が出すものではないのです。
精一杯生きれば、それが「あなた」であり、証明です。
他人は、・・・言いたければ何とでも言うがいい。
人にも上るが、太陽は間違いなく「あなた」にも上ってくる。
大晦日と正月。
いつもと同じ「時の移り」でしかない、と思われるか?
さにあらず! 時を区切る「遮断機」が落ちる前と後では、天と地の差があるのです。
「モンブラン」の頂上で見るご来光と、下宿のベランダから見る朝日の「差」ほどのものが
意識の差を生んで、次へと私達を誘うのですから・・・。
大晦日そして「しじま」、そして新年へと、「今」が確実に「過去」となる実感をもって今年を
締めくくりましょう。

(来年も、またのお付き合いを願いながら。合掌)