霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「黄色いカラス」と「白いカラス」

2012年12月30日 | 心霊現象
「カラス」は黒いと決まっている。
しかし、本当にそうだろうか?

最初に書いた「黄色いカラス」。
聞き覚えのある方は、もう往年の方だけだろう。
なぜかといえば、これはある映画の題名だったからだ。
「黄色いカラス」がいるわけがない。
そんな「いるはずもない」カラスを、絵に書いた子供の心理を描いた映画であった。
私が小学生の時に、「映画(ライブラリー)」の授業の中で見せられたものである。
だから、昔の話だ。
この絵を描いた子供の「生活環境」が、心理状態に一つの危機感を与え、それが表面に出たと、
精神医学の先生が警鐘をならした。
その絵から何が見えてきたか・・・。
病んだ世界、子供も大人も、国でさえ「病んで」いた。
黄色は文字通り「危険信号」だったのだろう。


次の「白いカラス」とは。
生態学的にみれば、ありえるそうだ。
突然変異とか、遺伝子の異常などで生まれ、この地球のどこかで現に飛んでいるという。
が、今私がここで言う「白いカラス」とは、信仰の程度を計る「言葉」として使われた「ある教団」での話になる。
上に立つ者の言葉を、「絶対に信じる」というものの例えだった。
 『今カラスが飛んでいった。白いカラスだ!』と。
そう言われて、私が見たもの(カラス)は、間違いなく「黒」だった。
「しかし、あなたは違うと言ってはいけない」・・・、これが信じるという行為だと教えられる。
最後の最後まで、私には身に付かなかった「信仰の極意」だった。
要は、神の言葉を自分の感覚で勝手に解釈してはなりません、という事らしいが・・・。
「色盲(しきもう)」でもない限り、自分が見た色は「その色」以外には見えない。
(「しきもう」は、差別用語らしく今は使わない)

私の判断基準は、確かに神からみればおおいに違う部分もあるだろう。
が、犯罪や殺人に関しては、「違う」と叫ぶ心のアンテナがある。
そのすれすれまで「カラスが白い」と見えてくる目を養う?には・・・。
宗教がもつ「狂気」をみる思いがした。
盲信からは、いったい何が見えてくるのだろうか・・・。
時間とともに感覚、感性の狂った修正が計られたら、もう「マインドコントロール」の域を脱して、
「人間改造」の犯罪以外のなにものでもなくなる。
今でこそ「オーム」の信者がやろうとした「ポア」の教えと行為は、この世の規範には「悪」であり
「犯罪」となる。
が、彼ら教団内部の規範からすれば、信仰の極みだったはずである。
「主」がいう言葉のごとくに行動する。それは、心の底から正しいと思える「信仰」の裏付けをもって成せる行為のはずである。
結果、彼らは何を見たか?・・・。

私は結果、「公安」に引っ張られた。
当然である。日本の法が「否」をつきつける行為をあえてやるには、それなりの覚悟をもってやるしかない。が、「殺人」と「自殺」の強要だけは突っぱねて、脱会するつもりでいた。
私が何をしたか・・・。「選挙違反」である。これでも「りっぱな罪」である。
「ポスター貼り」と、相手方のそれを剥がす役目である。
夜中、早朝と、時間の制約のない「信仰生活」が、その「行為」を「良し」と思わせるまでに「麻痺」をしていく。
パトカーが私の脇に止まるまで気が付かない。(熱心というか、バカというか・・・)
パトカーに乗せられて、○○警察署まで行く。その先案内されるのは、「公安」であった。
まず、始末書を書き、両手の指全部の指紋をとられる。
その時の感覚が実に不気味だ。本人は悪いとは思っていない。むしろ「良い事」をしていると思って
いる。(神のため、国のためにやっている・・・と)
この感覚は、多分「オーム」の信者も同じ感覚だったろうと、今にして思う。
が、彼らは「人の命」にまで手をだした。最後には「天皇のポア」までが計画されていたと聞く。

私の場合は「公安」の受けが、まだよかった。
彼らもどちらかといえば、日本を思い、左傾化をよくは思っていなかった。
「お願いしますよ。だからね、あなたがたの政治活動も分かるけど、我々も法に触れることをね、見逃すわけにはいかないんですよ。ましてや、あなた、目の前で「電柱」にしがみついてポスタ貼るなんて・・・。我々のつらい想いも察してくださいよ。現行犯ですよ、現行犯あなたは!
でも、ここだけの話、手錠、かけなかったでしょ。始末書と指紋は形式と思ってくださいね」と。
未成年じゃない私は、一応の形をふんで、無罪放免?となった。が、未成年者は親元へ連絡され、
「もらい下げ」をしてもらわなければならないのだ。
信仰と親の狭間で揺れた「若者」も多くいたことは、察するにあまりある。
この時はたいがい、「やれ」といわれたからと、言い訳をする。
しかし、信仰に言い訳はきかない。
そう言われても、行為が決定となって「自分のした事」になる。
多分、「白いカラス」の暗示は、あの世へ行っても「言い訳」として自分を守ろうとするのだろう。
そんなところに「信仰」はない、と私は思っている。
「刑務所」にはいる、ということも「勲章」だと思っているのは「ヤクザ」だけではない。
宗教家、いや宗教に染まった者たちもそうである。
過去の「信仰者」は、世の為政者に背き、法を法とせず、ただ「神」の声にのみ耳を傾けた、と
教えられる。結果、十字架にもつき、獄死もする。

時間が経って歴史が流れた時、真実が語られるだろうが、真の信仰者は「白いカラス」に操(あやつ)られはしない。
自分と神の間に人は介在しない。
「神」でなければ「サタン」だ。そのどちらかの「声」に、自分の信仰を賭けた。
ならば、自分で撒いた種は、自分で刈ればいい。

「信仰」という同じ体験をした私は、「オーム」の彼らが、何を思い、何に躓(つまず)いたかを
少しは分かるような気がしている。
あれだけ頭も良く、高学歴だった彼らの何が不足だったのか・・・。
今現在も、名前を変えた「その教団」に入る若者が、後を絶たないと聞く。
その原因の一つに「親が教えてくれないから・・・」と、言っているそうだ。



この間TVを見ての話です。
「今、なぜ黒か?」と。
日用品に「黒」が好まれているそうです。
食器、まな板、綿棒にカイロ。
「よごれが分かりやすい」事が理由だそうな。
食品も黒だ。
イカスミ焼きそば、黒ビール、竹炭ロールケーキ。
黒いかまぼこ、黒いなると。黒いどら焼き、黒いラーメン、黒いサイダー。
黒ぎょうざ、「黒い恋人」(「白い恋人」の黒バージョン)。
「黒の夢枕」なんてのもある。これは備長炭入りの枕だとか。

『色から見る現代の世相』と名打っての特番でした。
なるほど、ここでやっと「黒いカラス」が思いっきり羽ばたける「時」を迎えたようで、私も黒い
時を楽しみましょうかねぇ~。


年の瀬だけは、「黒い年の瀬」にならないことを祈りますが・・・。