霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

ここだけの話(その三)親殺しの真相

2011年10月31日 | 心霊現象
「ここだけの話」はこれをもって終わりにしょうか
と、つい思ってしまいます。

次から次へと忘れたことが、思いだされてついつい
書いていますが、これは最初から原稿がない事例でした。

本が出版されていたら、この世に出ることはなかったはずの
「事情」が、まるで生き物のようにブログを「ジャック」する
とは・・なぜ今こんなにはっきりと思い出してしまうのでしょう。

いやはや、びっくりするやら、戸惑うやら、そして今私は
不眠症になりかけています。



では、最後のお話です。


ある日、電話のむこうで、口ごもる男性がいます。
「私は60歳をこえています。今独身です。
 何度かは、結婚出来そうな時があったんですが、
 結局一度もまとまる事なく今に至っています。
 
 もう、歳も歳ですから、せめてお茶のみ友達のようにして、
 余生を送れたらと思っています。
 女性の縁が遠いらしいのは、察しがつきますが、
 今後どうすれば、いいのかお聞きしたくて電話しました。」

言葉づかいも丁寧で、熱心に語るその男性は、広島からかけていた。
後日という事で、広島から土、日を利用して上京された。


さっそく守護霊に聞きましょう、という事でその男性J氏は、霊能者
K氏と向かい合って座られた。
最初という事で、私がお聞きしている。

が、しばらく私が何を聞いても守護霊は語らない。
口をもごもごしているだけだ。
K氏は出てもらいにくそうに、こちらももぞもぞしている。
J氏はまるで、自分が悪いかのように、落ち着かない。

ようやく、K氏の口が動いた。

私 「お名前とご出自を・・」

守護『(黙して語らず)
   (いや、語れないようだ。語りずらいのだ。ようやく話はじめる)
   あまりに罪重く、今は名をさしひかえる。
   身分は、因島、隠岐の島の水上水軍。しかし、水軍とは
   名ばかりの、いわゆる海賊であった。

   私の罪は、女性からの呪いによる。
   略奪、凌辱、思いの限りのし放題、許されるわけがない。
   いまそなたが、この場に婚姻の事で訪ねることは、
   私の胸をえぐるようなものである。
   誠に、誠に、すまなく、伏して詫びる次第である。
   すべて、自分から派生したことであり、
   その罪の深さにうちふるえる。
   自分の犯した罪を、少しでも軽くしてもらいたい。
   霊界で解放されていく分、そなたに結ばれる婚姻が
   あるはずである。
   ただただ申し訳なく、今はそれだけを伝えたい。』


つまりJ氏の先祖は、海賊で、女性に対して「やりたい放題」の
無頼三昧だったという。結果、女性の怨みというような生易しいもの
ではなく「呪い」を一身に受ける身になったという。

『あの世においての、色情の罪は重い、実に重い。
 今は耐えて祈ってほしい』


と言わざるをえないこの人も守護霊であった。
しばらくは、三人とも無言のまま、きまずさが漂った。

K氏は次回という事で、降霊を打ち切った。
よほど苦しかったのか、K氏は一時外へ出て行った。

その時である。
何を思ったのか、J氏は私の方を向くと、
「実は、もう50年前になります、【じこう】でしょうが・・」
じこう?・・もしかして「時効」の事?
いったい何を言い出すんだこの人は。

逃げるに逃げられず、私は一人で話を聞くハメになった。

 「私と兄は、中学生の時、漁師の父親を海に沈めて殺したんです。
  警察は、不思議な事だ、漁師が水におぼれるか?と一度は、われわれ
  兄弟を疑ったらしいですが、証拠もないし、親をまさか殺しはしない
  だろうと、不可解な殺人の思いを残して、【事故】で処理されました。

  まさか、中学生の男の兄弟は二人で、実の父親を殺すか?・・と
  誰も思うほど、そこは平和な地域でしたから。
  死因は事故による溺死。
  これで、一件は落着しました。
  その事は、いまの今まで誰にも言わず、兄弟で、隠しとおしてきました。
  実は兄も独身です。
  今日の守護霊さんの話と関係してるんでしょうか?」

 
私は、わからないと言って、戻ってきたK氏に場をゆずった。
今度は、私が新鮮な空気を吸いに外へ出た。なぜ今になってその
話をはじめたのかを、私はその時聞かなかった。つつけば、何かが出る。
それを今ここで出して何になるだろう。

その後のK氏とJ氏の対話のくわしい事は知らない。
ただ、私に広島まで来て、墓参りに同行してほしいと依頼
されたが、K氏が断ってくれたらしい。
「行かない方がいい。」
K氏はただそれだけを私に伝えた。

その後連日のように、「神戸牛」が届いた。
その意図は明らかだった。
しかし、私が広島に行く事はなかった。
J氏の足はだんだん遠のいていった。




私は思う。事実を曲げる事も、忘れる事も出来ないのだ。
そして「事実」は一つだ。
今も迷宮入りの事件は確かにある。
しかし、必ず誰かによって引き起こされた事である以上、
犯人は存在する。存在しなければ、事は起こらなかった。
何年、何十年、誰かがどこかでその罪を懐述したとして、
すでに時はすぎた。
人の世では、罪に問う時間は切れたかもしれない。
しかし、心あるいは魂、あるいは胸の内で、何かがうごめきは
していないだろうか。
魂は、(霊といってもいい)永遠という長さで続くその所で
住む。
魂に深く「刻印」されてあの世まで持っていくのだ。



この一つの事例もまた、ため息まじりにご紹介した次第である。

   
   

ここだけの話(その二)論介という人 2

2011年10月31日 | 心霊現象
私がアルバイト先で知り合った、一人の女性。
李 叔。私よりも断然若い女性だ。
何で親しくなったのか、今でも不思議でしょうがない。

彼女は「いつも悩む事がある」と、私に話した。

「日本へ来るのは、本当は嫌なの。
 でも、韓国へ帰ると、またまた来るハメになる。
 どうしてだかわからないけど。
 そろそろ国に落ち着いて、母や妹に心配かけないように、
 落ち着かないと、ね。

 でもなぜ、日本なのかしら、それも何度も何度も。」


後日K氏にそんな話をした。
「その理由はすぐわかる。
喫茶店でよければ、行ってもいい。」という事で、
彼女「李」さんとK氏と私の三人で会う事になった。

話はしてあるので、早い。
イスに腰掛けるとすぐにK氏が話をはじめた。

「あなたの背後の方は、守護霊じゃない方が出てきています。
 急いで、李さんに伝えたいのです。
 なぜ、日本なのかを。
 そしてなぜ、何度にもわたって繰り返すのかを。
 
 のんげ?・・のんげって言ってる。
 人の名前ですね。きーせん(生姓)さんですよ。

 あの世に行って、自分は罪の重さをしみじみ感じていると。
 「他殺と自殺」の罪っていってます。
 一つは自らの命を滅したことによる罪。
 いま一つは他人をも死に至らしめた罪。この二つの罪は重い
、と。
 あの世で悟らされた論介さんは、あなたの体を借りて、
 何度も何度も日本との行き来を、繰り返している
 そうです。

 李さん!今あなたが付き合っている男性、いるでしょ。
 彼の背後はね、【小西行長】ですよ。
 日本の歴史、知ってます?

 ん~、つまりね、朝鮮出兵、朝鮮の役の時代の何かを
 清算したい霊界の作用とでもいうか・・
 歴史の中に隠された人の心、悲しみや、怨みは
 消えて無くなっていないから。
 まだまだ、どこかで、誰かが同じ事をさせられて
 いるんでしょう。
 霊界も必死だから、心根のやさしい、きっとやって
 くれるだろうという人に、すがるような思いで、
 今を託しているんでしょうね。

 あの世からの「白羽の矢」といったらいいでしょうか・・」


彼女は、韓国で母から導かれクリスチャンだそうである。
守護霊だの清算だのと、聞きなれないことを目の前に出されて
戸惑ったのではないかと、後で聞いてみた。

「みんなわかります。」とニッコリと答えた彼女をみて、
胸をなでおろすとともに、「論介」さんの今後を彼女に
期待した。

今度は私が韓国へ行くことを約束して、彼女を見送った。



今ここへきての「韓流ブーム」の裏側に何があるのだろう。

考えすぎでしょうか・・
そう、私の悪いくせ!!



ここだけの話(その二)論介という人

2011年10月31日 | 心霊現象
「論介」とは人の名前です。
「のんげ」と発音します。日本の人ではありません。
朝鮮の人です。それも女性です。
変わった名と思われるでしょうが、生姓(きーせん)の名前です。
だから、論介(のんげ)さんは、女性です。

このブログをお読みになっている方で、いったい何人のかたが、
この名前を知っていらっしゃるでしょうか?
やはり日本と同じく韓国の歴史も、戦国の世は、女性の名前も存在も
表舞台にはあがってきにくいようです。

さすがに韓国の人は、かなりの方が、「のんげ」さんを知っています。
名前だけではなく、どういう人で、何をしたかを。
これからお話する事は、歴史の一コマが、国によってこうも違うもの
かという証明でもあります。
それぞれの国で、勝手にそれも都合よく解釈されているといえば、その
とおりですが、これからお話する事は、「一つの殺人」における
事の転末を当事者が語る事に、意味があります。

結論から申し上げますと、殺したのは、「論介」。
殺されたのは、「加藤清正」。
時は、朝鮮出兵の時。そうです、話は豊臣秀吉によって強行された「朝鮮の役」
にまでさかのぼります


日本では「清正」といえば、熊本城の城主、有名な武将です。
なぜか、「虎退治の猛将」と異名をとっています。

朝鮮の役は、日本のありとあらゆる武将がかりたてられ、うむをいわさず、
出兵させられた難多い戦争でした。
この時最初に出兵した軍は、加藤清正、福島正則、小西行長、島津氏等々
そうそうたる名将と、かず多い兵が送り込まれました。


さて話は、加藤清正の攻めた朝鮮の、ある城の落城の事から
はじまります。

辛酸の極めをつくした戦いのあと、一つの城が落ちた。
落ちのびた者はわずか。その中に城主の奥方がいた。
探しまわる日本兵の目をのがれ、彼女は姿を変え、身分をかえ、
再びその場に現れた。
その姿は、城主の奥方から、生姓(きーせん・酌婦)に変わっていた。
その名を「論介」(のんげ)と名乗った。

彼女は日本の武将「加藤清正」の酒宴だけに集中し、接待し酌婦を続けた。
彼女の目的はただ一つ。夫の敵、家臣の敵清正の「命」をとること。
女としての「武器」はすべてつかった。
城主の奥方としての「たしなみ」は、ことのほか役立った事だろう。
身がふるえるような屈辱にも、ひたすら耐えて、時はたっていく。
情をかけ、芸をみがき、誰にも増して清正の心を自分に向けなければ
ならない。
二番ではない、清正にとって一番の「愛しい人」にならなければならない。

心が萎えていく時、彼女は落城の折の夫の姿を思い出しては、おのれの弱さを
叱責し、ふるいたたせた。
「論介」は、清正からことあるごとに、贈り物をもらった。
その品は必ず、「指輪」を所望した。
誕生日、戦勝祝い等に贈られた指輪は、彼女の指にはめられ、一つ一つ
増えていった。
右の指に五個、そして、左の指に五個。
10本の指に全部はまった時、私の役目はおわる・・・
清正は、女のほしがる品をその都度、何を疑う事もなく
贈り続けた。


待ちに待ったその時が、ようやく訪れた。
「論介」の指10本に、すべて指輪がはまった。
彼女は清正を誘い出した。
「私のいとしい人、二人だけで思いでの場所に・・」
とかなんとか言って誘ったのだろう。
長い時間と深い情をかけられた清正は、メロメロになって
何の警戒心もなく、彼女の誘う「断崖絶壁」までついて行く。
満願の笑みをうかべて、論介は清正に抱きつく。
「決して離さないわ。」とか何とか言ったかもしれない。
その間に清正の背に回されていた両手の指は、しっかりと
組み合わされた。
10個の指輪は、がっちりと組み合わされ、大の男が
振りほどく事はもはや無理な状態だった。

「愛しい人!死出の旅路を共にまいりましょう・・」

彼女は清正をしっかりと両手に抱いたまま、身を投げた。
清正はあらがう間もなく彼女とともに断崖から落ちていった。


事の転末は、大体こんなところでしょうか。
まるで、見てきたように物を言い。と言われそうですが、
この後、これから語る「論介」さんのあの世からの懐述
を聞いていただければ、おわかりになるでしょう。

それは、私が一人の韓国人女性と知り合う事から、はじまりました。