皆さん、こんにちは!
高井良ゼミのたかいらです。
GWも終わり、これから夏休みまで、長い日常が続きます。といいつつ、GWもひたすら日常でしたので、
何も変わっていないというのがほんとうのところです。今では貴重になった爽やかな季節、愛おしみながら、
ゼミでの学び、講義での学びを深めていけたらと思っています。
さて、本年度のゼミ、Starterの二週目のテーマは、「自分の「気になるニュース」を紹介し、メンバーのコメントを聴く」です。
私は、GW中の新聞記事から、「治安維持法から100年」、そして「「配給された自由」はいま」という東京新聞の社説を
紹介し、言論・表現の自由の尊さと、これらを守るための私たちの日々の思考・実践の大切さについて、話しました。
ゼミ生からは、「無自覚にマイノリティの人を排除している可能性があることに意識的でありたい」というコメント、
「生まれたときから自由があったため、当たり前であると思っているが、そういう世代からこそ、日本の過去の歴史や
世界の実情から学ぶことが大切」というコメント、「日本の報道の自由度ランキングが低迷しているなか、学校教育のなかで、
言論・表現の自由の価値と適切な使用法について学ぶ機会をもちたい」といったコメントがありました。
異質だと思う人たちを排除する(=ある人たちには自由が守られなくてもよいと考える)ところから、言論・表現の自由が
少しずつ蝕まれて、気づいたときには、言論・表現の自由が奪われてしまっている状態になる、ということを学びました。
「治安維持法」の時代に、労働者の過酷な生活を小説として綴った『蟹工船』の著者である小林多喜二が国家権力による
酷い拷問によって惨殺された、あまりにも痛ましい事件を思い起こしながら、ある人たちには自由が守られなくてもよいと
考えることの恐ろしさについて、思いを馳せました。言論・表現の自由が守られるための前提条件として、すべての人の
基本的人権を尊重するというものがあります。ほかの人の基本的人権を踏みにじる「権利」や「自由」というのは、
行使すべきではないのです。これらを「権利」、「自由」と主張したら、すべてがおかしなこととなります。
ほかの人を尊重するということは、決して容易いことではありません。しかし、ゼミ生のコメントから、ほかの人を
尊重することこそが、私たち自身が人間らしく生きることの土台であるということを気づかされました。
コメントしてくれた皆さん、ありがとうございます。
続いて、三人のゼミ生の本年度の研究計画書の読み合わせをしました。三人ともに大変素敵な先生、師匠との出会いを
経験しており、私も学びたいと思えた方々揃いで、インタビュー、そしてライフヒストリーが楽しみになりました。
アクティブで、ポジティブで、モチベーションを高めてくれる教育者の方々の存在は、ゼミ生からの話を聴くだけで、
こちらも元気が湧いてきます。教育とは、今を充実させるとともに、希望を育てていくことだと、また教えられた
次第です。
来週のゼミからは、自分史の読み解きに入ります。今年のテーマは「私の転機」です。トップ・バッターは、
私です。三人のゼミ生から、さまざまな角度から分析してもらえることを楽しみにしています。
それでは、どうぞお身体を大切にお過ごしください!
また来週お会いしましょう。