いつも読ませていただいているフォロー様のブログ記事に
よく結婚式の祝辞で使われる夫婦を支える言葉として「20代は愛情、30代は努力、40代は忍耐、50代は諦め、60代を過ぎれば感謝」という言葉があった。
直ぐ、私自身の過去を鑑みて(その通りだなぁ~ピンポイントなことを言うなぁ~)と思った。
私はいま感謝の時なのかぁ~お互いにあまり感謝していないようだけれど、どちらかというと諦めッ。
ふと思ったこと
でも女性も働く(賃金を得られる働き)ようになったこの頃、いわゆる晩婚化現象で30代40代の結婚も多くなった。
ということは、結婚は(努力と忍耐)から始まる。
愛情は?(惚れた腫れたは...)の時期が無い?(当然、あったかもしれないがそれだけでは結婚しない、もしくはできない)
だとしたら…努力と忍耐が目の前にあったら…結婚のハードルが高いのではないだろうか...だから未婚も多いのかな?と思ってしまった。
お互いが自立してしまったら(自立…文字通り自分だけで立つ…本当の意味は違うが)やはり共同生活は(努力と忍耐)なのだ。
だったら(しない選択)も(生き方の自由)の選択ができる現代は(有り)だ。
愛情だけで結婚しようとしても、低収入での生活設計とか、家庭の格差とか、親の説得やらなにやらでハードルが高いのも確かなのだけれど、
まぁ惚れた腫れたの熱(エネルギー)の高さなので、反面失敗も多いのかな…愛情って不確かなものだし、ある意味噴火しない火山の様で、デンジャラスです…
今時なのかもしれない
息子さん(40代前半)と、もう20年近く交際をしている娘さんがいるので、お母さんである知人が何故結婚しないのか?と聞くと
最初のうちは「両親が働いているので病気の祖母の面倒を見ながら家事をしているので家を出られない」ということだった。
その時は「そうか、おばあちゃんの介護をしているのでは仕方ない」と納得し、
その後彼女の祖母が亡くなった時に再度聞くと、「彼の収入が少なく生活ができない」と息子の収入が理由とのことだった。
そこで母親である知人は「この家で同居すれば、家賃は要らないし、その辺にパートにでもでれば十分やっていけるし、自分たちも応援する」と提案した。
すると「長い間家庭内生活を送ってきたのでもう外に出て働きたくないので、できれば専業主婦がいい」との返事でどちらかというと同居にも不安を感じているらしかった。
彼女の両親はというと、彼女が結婚し家を出るとなると、家事をする人がいなくなるので結婚にはあまり乗り気ではないらしい。
知人はそれに対してもちょっととなって、その後はそのままになっている(交際はしているけれど結婚はしていない)らしい。
知人は私に「もし、反対に自分がその娘さんの親なら、いままでおばあちゃんの看護で婚期(死語?)を遅らせていたのだから今度は温かく送り出すと思うけど」と聞いてきた。
うんん・・・当然のように同居して、夫の収入を手助けし、子育てしてきた私だったらそれしか選択肢はないけれど、20代の熱の高さでデンジャラスを選んでしまった私としては、
今更「努力や忍耐」はできないという娘を、そこに送り出したくないというのも分からないでもない。
時代が変わったのか?息子しかいないからわからないのか?・・・とにかくよく分からない
でも世の中はそのような流れにはなっている。やっぱり時代が変わっているのだ。
そう、結局のところ、もう私もじゅうぶん歳をとって古い考えの人間と化しているのだろう・・・か
秋らしくコスモスとコキア(空地の工事前にお隣からいただいたもの…大きくなるかなぁ~)を植えてみた。
私もその方をフォローされていただいているので朝 読んで 納得でした。
我が家には未婚の息子2人(私たちとは一緒に住んでません) 私たち夫婦は結構早い結婚だったけれど 息子たちの意思に任せてます。
ただ 周りの友だちを見ると私は、ゆらぎますが。
コメントありがとうございます。
結婚が(家)でなく(個人)になってきて、価値観(結婚観)が多様化してきているのだと思います。
一見するといい方向に向いてきているようですが、
逆に今の若い人達のほうが大変のような気もします。
話は変わりますが、いま道東旅を読ませて(見させて)頂いていますが、
この間、秋田、青森をコロナが収まったら行きたい第一候補にしていましたが、
何だか北海道もいいかな…なんて思ってしまいました。(^^;)
いつも楽しい旅のお話ありがとうございます。(^.^)