これからの子どもの英語教育を考える、ということで、
元国連事務次長の明石康さんの講演を聴く機会がありました。
国際語、として英語が位置づけられている現在、
ますますグローバル化していく現代社会では、英語は必要不可欠であるということ。
ただし、ネイティブではないのだから、訛のある英語でもかまわないこと。
そして、ただ単に英語がしゃべれるではなくて、英語でものを考えられる
ようになっていくことが大切であること。
ですから、教養のある人間としての英語を考えた時に
いままでの日本人が受けてきたような
文法や読解の力を付ける教育を否定するものではないこと。
今現在、日本人の教養が落ちてきていること。
常任理事国入りを目指す国民として
これは国民全体的な問題ではないかということ。
しかし国民全体の文化程度の底上げも大事だけれど
リードしていくもの(精鋭)の進歩も大切だということ。
たくさんのお話の中で、心に残りました。
とても真面目な気持ちになって、会場を後にしました。
私たちは、それが特徴だったはずの、勤勉、という大切なものを
昨今、忘れている、というか、忘れてしまおうとしているような気がしました。
ダサくてもいいのだ、地道というのはいいことなのだ。
それを貫けるだけの強さを育てなくてはいけないのだ。
と、思ったことでありました。
・・・・・
真面目じゃーん。
元国連事務次長の明石康さんの講演を聴く機会がありました。
国際語、として英語が位置づけられている現在、
ますますグローバル化していく現代社会では、英語は必要不可欠であるということ。
ただし、ネイティブではないのだから、訛のある英語でもかまわないこと。
そして、ただ単に英語がしゃべれるではなくて、英語でものを考えられる
ようになっていくことが大切であること。
ですから、教養のある人間としての英語を考えた時に
いままでの日本人が受けてきたような
文法や読解の力を付ける教育を否定するものではないこと。
今現在、日本人の教養が落ちてきていること。
常任理事国入りを目指す国民として
これは国民全体的な問題ではないかということ。
しかし国民全体の文化程度の底上げも大事だけれど
リードしていくもの(精鋭)の進歩も大切だということ。
たくさんのお話の中で、心に残りました。
とても真面目な気持ちになって、会場を後にしました。
私たちは、それが特徴だったはずの、勤勉、という大切なものを
昨今、忘れている、というか、忘れてしまおうとしているような気がしました。
ダサくてもいいのだ、地道というのはいいことなのだ。
それを貫けるだけの強さを育てなくてはいけないのだ。
と、思ったことでありました。
・・・・・
真面目じゃーん。