アルジェリアの日揮エンジニア拉致事件、心を痛めております。
5名の皆さまのご無事を心より願っておるものです。
管理人は、フランス在勤時代にかの国に通いつめました。
あの頃に、元大使(故人。非常にお世話になりました)からご依頼いただきしたためた拙文が、日本アルジェリアセンターのHPに残っておりました(12年前の肩書き)。
かの国はこういう国ということでご参考まで。
この文章をしたためてから12年の歳月が経っておりますが、この中で希望したシチュエーションへ何歩か近づきつつも、道半ばのところで今回のような事が起こったのは非常に残念です。
繰り返し、当事者の皆さまのご無事を心より願うとともに、大使館皆さまの奮闘を期待しております。
URLは↓
http://www.japan-algeria-center.jp/andalg/jp/andalg20011010j.html#andalg31j
****************************************************************************
(以下コピペ)
変化しゆく国に通いつめて
在セネガル日本国大使館
一等書記官 兼 医務官
勝田 吉彰
私は在フランス日本国大使館の医務官として前任地パリに勤務していた頃、その職務の一 環として在アルジェリア日本国大使館への巡回検診として定期的にアルジェを訪れる機会 に恵まれた。
医務官としての職務だから、その本旨は大使館員のみなさんの健康管理、つまり診察や 血液検査・尿検査、保健指導といった事を2泊3日のタイトな日程でこなしてとんぼ帰り してくる…というものだから、基本的には"空港と大使館"だけの訪問である。
このような 訪問形態はアルジェリアに限ったことではなく、ガボン・カメルーン・コンゴ民主共和国 といった国々についても同様なのであるが、アルジェリアに関しては特に印象が強く、格 別の思い入れを感じるのである。
当時のパスポートのビザ欄をめくって、赤いアルジェリアの入国ビザを数えてみると 、6回分押されている。初回は1996年、最終回は2000年である。 初訪問の96年、アルジェリアはテロリストの活躍最盛期であった。当時パリからの直 行便は運行停止され、行きも帰りもそれぞれ隣国チュニジアで1泊しての遠回りを強いら れた。
空港に着くと銃を持参の警備員にぴったりガードされ、囮と共に2台1組で猛スピ ードで疾駆する防弾車のスリルを味わうという、到着早々から他の巡回先では期待すべく もない経験が出来た上、高い塀と無数の監視カメラで守られた大使館コンパウンドに入る と、その分厚い鉄扉は固く閉ざされて帰りの日まで食べる時も寝る時も含めて一切外出不可となったが、しかしそれだけに館員の皆さんとは三食を共にして密接に接し、興味深き話を多々聞くことが出来た。
小生が到着する前日に空港管制塔に迫撃弾が打ち込まれた話 や市場の真ん中で爆弾が連発する話などは、窓外から聞こえてくる銃声のBGMによりリアリティーがぐっと増し、下手な怪談よりはるかに背筋を冷やしてくれるものであった。
もともとの本職は精神科医(精神保健指定医)で ある私は、未知の国を訪れると、その国の精神病院の見学をおねだりするのを楽しみにし ている。しかしこの国では、病院テロなるものが横行し、早い話、爆弾を積んだ"ニセ救急車"が病院敷地に侵入してドカン!というのが流行っていたので医療機関の視察は避けるべきことであった。
こういった環境下で職務に邁進される館員の皆さんの心理的ストレス状況は想像に難く なく、そのフォローは極めて重要な任務の一つであった。 そのようなおどろおどろしい雰囲気で始まった私のアルジェ通いであったが、ブーテフ リカ政権の誕生を境にして、回を追うごとに変化が見られるようになってきた。
99年あたりからは、空港送迎の防弾車はいつしか囮の1台がなくなり小生が乗車する 車の単独走行となり、その走りっぷりも、超特急から急行程度に、"形相変えた全力疾走" から、中央車線の車の流れとも協調できるものとなっていった。
仕事を終わり夜更けのグ ラスを傾けながらの語らいも、銃声のBGMは聞こえなくなり、心地よい酔いを自然に楽 しめる時間となっていった。
その次の訪問からは、昼食ぐらいは外出も可能になり、アルジェ訪問5回目にして初め て空港ー大使館線以外の車窓をめでることができた。
この街が緑豊かな美しき場所であるというのはこの5回目にして初めての発見であった 。車窓を説明してくれる同乗者によるガイドは「ここは銃撃事件の現場だった」「ここは 車爆弾で○人亡くなった現場」etc…と、ありがちな観光ガイドとはおよそかけ離れた内 容が続いたが、表面的に眺める限り日々の営みは粛々と流れているように観察された。

そして2000年に入り最後の巡回では、夜は大使館敷地から出て市中のホテルに宿泊 するという革命的(?)なことが可能になった。用意されたホテルは、敷地入口で車のトランクを開けさせて爆発物チェックをする強面ガードマンや玄関先でピーピー音をたてる 金属探知器といった少々ユニークな舞台小道具が気分を盛り上げてくれるけれども、これらを通過したあとはごく快適な四つ星ホテルであった。
緑豊かな中庭にはのどかな雰囲気 が流れ、昼下がりのカフェを楽しみつつ周囲のテーブルを眺め回してみると、ビジネスス ーツに身を包んだ英語、ドイツ語、フランス語の集団が三々五々、ポータブルパソコンを たたきながら何組もミーティングをしている。アルジェリアに平安の兆し(及びそれがも たらすであろう利権)を嗅ぎつけた目ざとい集団 が早くも蠢き始めている現場…・ということのようであった。
セネガルへの転勤辞令により、2000年前半で終了したアルジェ通いであったが 、「政権の変わった国」「変化しゆく国」というものを、時系列を追って観察する機会に 恵まれたのは僥倖の限りであり、実に面白い体験であった。特にアルジェリアにおいては 、日常何げない所に"変化"を肌で感じることが出来(この点、同じ巡回検診先かつ「政権 の変わった国」という条件を満たしながらも終始同様の光景が目についたコンゴ民主共和 国あたりと対称をなす)、小生の思い入れもひとしおである。
その後聞くところによれば、パリからアルジェへの直行便も再開され、小生の後任者は チュニジア経由の遠回りを強いられることなく、2時間あまりのフライトで欧州内路線の ような気軽さでアルジェ入りしているようである。
さらに5年後、10年後、この国が「この仕事をしているのでなければ、まず訪れるこ とのない国」ではなくなり、アルジェ空港のロビーにお揃いのバッジをつけた日本人の一 行が闊歩し、"出国カードの書き方"を添乗員が大声で説明する…・といった光景が現れる日を期待したい。
その時には、小生ももう一度その場に降り立ち、「昔々自動小銃を持っ た軍隊が立っていた場所」や「かつて若かりし頃、防弾車に押し込まれて全力疾走した高速道路」で再びの感傷にひたってみたいと思っている。