メモ帳

各種メモ代わり

テレビ・ラジオ

2017-02-03 15:13:53 | 団塊の世代
テレビが我が家にやってきたのが小6のころ?。
それまではメディアと言えば、ラジオだけ。

さすがに「君の名は」は聞いていなかったが、
 笛吹童子~ひゃらあり、ひゃらりこ、ひゃりーこ、ひゃられーろ・・・(放送期間1953年1月5日~12月31日?)
 赤胴鈴の介
 一丁目一番地
あたりから
 ラドン(なかなか情報が見つからない!)


白黒テレビ時代の番組で記憶しているものはあまりない。
 高校2年のときに東京オリンピック程度であろうか?
どちらかというとスポーツ嫌いの傾向もあり、東京オリンピックもあまり熱心には見ていなかった。

カラーテレビは結構早く我が家にやってきた。
浪人するか、金のかかる私学に進学するかと思っていた次男坊(わたしのこと)が現役で地元の国立大学に入学が決まり、私学の入学金・授業料として準備していた学資が不要となり、喜んだ父親が誰にも相談せずに注文したカラーテレビが突然やってきた。

大学1年が終わった時、父の転勤とともにカラーテレビは親と一緒に行ってしまい、小6の時の白黒テレビが私の4畳半の下宿に残されていった。
当時は学生の下宿にテレビを持っている者は皆無に近かった時代である。

保育園・幼稚園

2017-02-01 23:03:44 | 団塊の世代
団塊の世代で保育園・幼稚園に行っていた者はどの程度何だろう。

当時は専業主婦が圧倒的であり、私の母もそうだった。
会社の社宅(木造平屋)に住んでいたこともあり、団塊の世代である、
周りの社宅には同じ年がごろごろ、±1歳までいれると、それこそ雨後の筍、
履いて捨てるほどいた。そんな仲間と朝から夕方まで外で走り回っていた幼児時代。
保育園・幼稚園に行っている者は周りにはいなかった。

小学校に入る前の年の7月末頃に親の転勤で福岡に移った。
現在は九州新幹線で1時間半ほどらしいが、当時は蒸気機関車SLの夜行列車で、
博多に着いたのは雨の朝だった。
一か月ほどは社宅が空くのを待って仮住まい。
8月間tに鳥飼の社宅に入った。

社宅であるが以前とは違い、3戸のみ、うち1戸は関連会社のものだった。
隣には1歳年上の男の子と少し大きなお姉さんがいた。別の隣(関連会社)には
もっと大きなお姉さんが二人か三人かいた。
同い年はいなかった。いわゆる隣組には沢山いたのですが両隣の社宅はこんな感じだった。

小学校入学まで半年余りということで、幼稚園に行くこともなく、何して過ごしていたのでしょう?

翌年の4月、子供の足で10数分の所にある鳥飼小学校へ入学。
団塊の世代の一期生が学童になった年である。

友達もできて(あまり覚えていないのですがね)普通に過ごしていたある時、
「幼稚園の同窓会」とかいう話を仲間の中で話しているのが聴こえてきた。
なんと仲間の多くは小学校に入る前に幼稚園というものに通っていたということを初めて知った。
当然ですが、その幼稚園の同窓会の日は一人ぼっちになってしまった。うらやましかった!

幼稚園ってどんな所だったんだろう!?

2部授業

2017-02-01 17:01:44 | 団塊の世代


・・・四年生だけがこの旧制中学校の校舎で授業を受けた。それも早番(はやばん)、遅番(おそばん)の二組に分かれた二部授業である。
二部授業という言葉を知っている人も今日では少ないであろう。戦後の、それも都会で生じた現象 だった。遅番組は早番組が給食を食べている頃に登校して、よだれを垂らして廊下で待つのである。
脱脂粉乳のミルクとコッペパンとマーガリンの三点セット に、おかずは一品ほどの給食だった。それでもまだ当時は食糧事情が良くなかったので、窓越しに早番組が給食を食べているのを待ち遠しそうに眺めていた。
(瀬戸 武彦  (ドイツ文学) のエッセイより)



3年生まで1学期は2部授業だった。
 早番は1時限目~3時限目+給食で帰宅
 遅番は給食+4時限目~6時限目
これが隔週で入れ替わったのかな?そこはよく覚えていない。

夏休みの間に突貫工事で木造2階建ての校舎増設が終わり、2学期3学期はは解消されていた。
4年生では別の記事に書いたように、学区再編成、新しい小学校の設置があり、2部授業は解消された。
それでもクラスメートは57人、何クラスあったんだろう?

小学校の担任の先生、7人!

2017-02-01 14:59:55 | 団塊の世代
小学校が6年間であることは、団塊の世代も、現在の平成の子でも同じである。
最近だと、クラス替えが3年生なるときと、5年生になるときの2回が多いと聞いている。
すなわち、1・2年は同じ仲間で、担任の先生も同じ、3・4年も同様、そして5・6年も。
ということで、親の都合で転校しなければ、6年間の担任の先生は3人程度。
運がよければ、クラス替えはあっても前の学年と同じ先生のクラスになることもあり、そうすれば6年間の担任の先生は少なくなる。

私の場合、運が悪かったんでしょうね?
転校もせずに同じ鳥飼小学校に6年間通ったのに、担任の先生は7人なってしまった。
鳥飼小学校自体が昭和27年に草ヶ江小学校から分離してできたばかりの新設校だったが、その後も戦後の引き上げ?なのか、学期ごとに転入生が続々と続き、当時の学級定員(何人だったのでしょう?)を超えてしまい、2年生になるときに学年のクラス数が増えることになってしまい、普通であればクラス替えがない1年生から2年生になるときクラス替えがあった。不運にも?1年のときの担任の釈迦野?先生のクラスには入れなかった。
さらに(このあたりは記憶が曖昧な所もありますが)運が悪く?、クラスが増えても先生が足りない!!!なんてこともあったのか、1学期だけ別の先生になってしまい、夏休み明けの2学期から正規の平井先生が着任して担任をしてもらった。これで3人。

2年から3年になるときは、普通通りクラス替えがあり、またしても担任はかわり、別の記事に載せたクラス写真の笠先生が担任となった。

3年から4年になるとき、クラス替えがあったかどうか?4年のときのクラス写真で確かめてみなくては・・・
写真がどこに行ったか・・・・
手元にあるデータによると、クラス写真に写っているクラスメートの人数が
 小2 57名
 小3 65名
 小4 57名
 小6 55名
となっており、また一クラス増えたのか?クラス替えがあったようでもある。いずれにしろ担任の先生は変わってしまった。
4年生の2学期から、隣の当仁小学校が母体になり、南当仁小学校を分離することに伴い、校区が変更になり、鳥飼小学校の校区の一部が南当仁小学校の校区に編入された。その連中は2学期から新しい南当仁小学校に通うことになるので、このクラス替えで前もって、その連中のクラスができたことを記憶している。

現在、鳥飼小学校は「城南区」にあるが、「鳥飼」という町(地区)は中央区と、城南区にまたがっており、すべてが鳥飼小学校の校区だった。それがこのとき、鳥飼であっても、鳥飼小学校と南当仁小学校とに分割されてしまった。

さらに、鳥飼小学校から南当仁小学校へ編入されてしまった地区の一部は、2学期から南当仁ひ移らず、鳥飼小学校で卒業することが許されてた。
住んでいたのがその特殊な場所で、南当仁小学校へ移ることなく、鳥飼小学校に残留することにした。

2学期からクラスが減り少しさみしくなった。

4年から5年になるときは当然、クラス替えがあり、担任も変わった。
この頃になると、担任が変わるのには慣れてしまった。

5年から6年になるときはクラス替えもなく、普通は担任も変わらないものだ。他のクラスはそうだった。
なのに、何故か?私のいた1組だけは担任が変わってしまった。5年のときの担任が他校へ転勤だったのかな?

ということで、2年のときの1学期と2・3学期で担任が変わったことを含め、合計7人の先生に担任をしていただくことになってしまった。

クラスメイト(小学校)

2017-01-31 16:06:15 | 団塊の世代


小学校3年生のときの学級写真。
最近の小学校の学級定員40人(40人超えるとクラスが増えるので、実際のクラスはは30人余り)と比べるとあまりに多いので、数えてみた。数えるたびに数が合わないので、印刷して、数えた者は鉛筆で×していって、重複・落ちなく数えたら65人(男34人、女31人)いた。これが「団塊」の世代である。

現在だったら、2クラス分ですね。
そういや写真に先生が二人写ってる!?
いやいや担任の先生は前列真ん中の笠先生だけ。
最近の「副担任」なんて制度は無かった。

じゃあ、もう一人の左に立っている高木先生は?
先生は音楽の専科(?でいいのかな?)で、担任のクラスを持たなかったので、この学級写真に入っている。

現在だったら2クラス合同の授業を普通の教室でやっている、
65人が教室にいることを想像してほしい!

想像される通り、教室の後ろに空きスペースはほとんど無い!
すし詰め状態である。

これが何クラスあったんでしょうねえ?

小学校の卒業アルバムでは7クラスでしたが、
小学校に入学してから、卒業するまでの6年間に新しい小学校が2つでき、そのたびに、学区が分割され、新しい小学校に移って行った仲間がたくさん(どれくらいだったのでしょう?)いた。

「団塊の世代」の記録開始にあたり

2017-01-31 15:50:30 | 団塊の世代
2017年も睦月が過ぎ去ろうとしており、古希が近づいてきている。世間では少子高齢化と騒いでいるが、好き好んで高齢化しているわけでもなく、自然体で過ごして生きているだけである。日本「国」は人口減少が進んで、50年後には6000万人だ、5000万人だと予想が飛び交っている。政府関係者が大喜びしそうな「高齢者」の定義を65歳から75歳へ変更しようという提案もあった。新しい定義になれば、まだ高齢者ではなく、年金はまだ早い、もっと働け!と時の政府からしりを叩かれそうである。

最近、若い連中と話すと、ホンマに「戦後は遠くなりにけり」で、冗談で言ってた「昔、日本はアメリカと戦ったんだよ、知ってた?」が冗談でなくなってきた。ということは団塊の世代がどう生きてきたか、なんてことは伝わるわけがない。どこぞにひっそりと思い出しながら記録しておくことにしよう。

思い出しながら書くので正確さにかけるのは仕方がない。意識的にウソを書こうとは思わないが、書かれた記事がウソかホントか(誤りがあるか、正しいか)は読む人が確かめる努力をして欲しいものだ。

覚書(自分のために)

2017-01-17 04:38:38 | 算数・数学
http://infowetrust.com/history/
RJ Andrews January 9, 2017
A History of DataViz

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8
あたらしい人工知能の教科書 プロダクト/サービス開発に必要な基礎知識2016/12/17
多田 智史、 石井 一夫
単行本(ソフトカバー)
¥ 2,808

折り紙で証明する三角関数の加法定理

2016-12-25 02:22:20 | 算数・数学
FBで流れてきた情報です。

折り紙で導出する三角関数の加法定理
http://www.yukisako.xyz/entry/kahouteiri

こんなの好きですね。

最後の図を2枚再掲させていただきます。




数式による「メリークリスマス」

2016-12-25 02:09:18 | 算数・数学
FBで流れてきた情報です。

担任の数学教師から「メリークリスマス」
https://1kando.com/39917

いいですねぇ!
オリジナルはTwitterでの発言のようです。
写真を再掲させていただきます。


日帰り登山用バッグの中身

2016-09-20 01:58:54 | 山・旅行
虫干しを兼ねて?日帰り登山用ザックの中身を全部出してみた。
基本的にどこに行くときでもザックの中に入っているものである。
晴れていても雨具は入ったままですね。
水筒に水を補給し、500mLペットボトルのお茶1本、弁当(コンビニのおにぎり4個)を追加すれば準備完了。
おにぎりは3個が昼食用、1個は非常用(山を下りてきて廃棄することが多いかな)です。



以下、ブロック別に