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小学校の担任の先生、7人!

2017-02-01 14:59:55 | 団塊の世代
小学校が6年間であることは、団塊の世代も、現在の平成の子でも同じである。
最近だと、クラス替えが3年生なるときと、5年生になるときの2回が多いと聞いている。
すなわち、1・2年は同じ仲間で、担任の先生も同じ、3・4年も同様、そして5・6年も。
ということで、親の都合で転校しなければ、6年間の担任の先生は3人程度。
運がよければ、クラス替えはあっても前の学年と同じ先生のクラスになることもあり、そうすれば6年間の担任の先生は少なくなる。

私の場合、運が悪かったんでしょうね?
転校もせずに同じ鳥飼小学校に6年間通ったのに、担任の先生は7人なってしまった。
鳥飼小学校自体が昭和27年に草ヶ江小学校から分離してできたばかりの新設校だったが、その後も戦後の引き上げ?なのか、学期ごとに転入生が続々と続き、当時の学級定員(何人だったのでしょう?)を超えてしまい、2年生になるときに学年のクラス数が増えることになってしまい、普通であればクラス替えがない1年生から2年生になるときクラス替えがあった。不運にも?1年のときの担任の釈迦野?先生のクラスには入れなかった。
さらに(このあたりは記憶が曖昧な所もありますが)運が悪く?、クラスが増えても先生が足りない!!!なんてこともあったのか、1学期だけ別の先生になってしまい、夏休み明けの2学期から正規の平井先生が着任して担任をしてもらった。これで3人。

2年から3年になるときは、普通通りクラス替えがあり、またしても担任はかわり、別の記事に載せたクラス写真の笠先生が担任となった。

3年から4年になるとき、クラス替えがあったかどうか?4年のときのクラス写真で確かめてみなくては・・・
写真がどこに行ったか・・・・
手元にあるデータによると、クラス写真に写っているクラスメートの人数が
 小2 57名
 小3 65名
 小4 57名
 小6 55名
となっており、また一クラス増えたのか?クラス替えがあったようでもある。いずれにしろ担任の先生は変わってしまった。
4年生の2学期から、隣の当仁小学校が母体になり、南当仁小学校を分離することに伴い、校区が変更になり、鳥飼小学校の校区の一部が南当仁小学校の校区に編入された。その連中は2学期から新しい南当仁小学校に通うことになるので、このクラス替えで前もって、その連中のクラスができたことを記憶している。

現在、鳥飼小学校は「城南区」にあるが、「鳥飼」という町(地区)は中央区と、城南区にまたがっており、すべてが鳥飼小学校の校区だった。それがこのとき、鳥飼であっても、鳥飼小学校と南当仁小学校とに分割されてしまった。

さらに、鳥飼小学校から南当仁小学校へ編入されてしまった地区の一部は、2学期から南当仁ひ移らず、鳥飼小学校で卒業することが許されてた。
住んでいたのがその特殊な場所で、南当仁小学校へ移ることなく、鳥飼小学校に残留することにした。

2学期からクラスが減り少しさみしくなった。

4年から5年になるときは当然、クラス替えがあり、担任も変わった。
この頃になると、担任が変わるのには慣れてしまった。

5年から6年になるときはクラス替えもなく、普通は担任も変わらないものだ。他のクラスはそうだった。
なのに、何故か?私のいた1組だけは担任が変わってしまった。5年のときの担任が他校へ転勤だったのかな?

ということで、2年のときの1学期と2・3学期で担任が変わったことを含め、合計7人の先生に担任をしていただくことになってしまった。

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