源氏物語が来年で千年だそうです。
源氏物語は、いつ書かれたのか不明とされているので、千年と言われてもマユツバな印象を受けますが、この機会を失うと、また千年待たなくてはならないので、何らかの理由をつけて千周年にしたかったのでしょう。
源氏物語は、実に多くのメディアで描かれています。
与謝野晶子や瀬戸内寂聴の現代語訳、「あさきゆめみし」などの漫画、英訳本、さらには映画やドラマ。
読めば読むほど深遠な世界に触れることができます。
中でも、私が好きなシーンの一つが、「若紫」で幼い紫の上が登場するシーンです。
扇のように豊かな髪をゆらし、泣きじゃくりながら登場する紫。
「犬君が雀の子を逃がしてしまったの。伏せ籠に入れてあったのに…」
大切に籠に入れていた雀を、犬君が籠をひっくり返してしまったのか、雀を逃してしまった。それを惜しんで泣いている幼い少女。
源氏物語の中でも、有名なセリフです。
恥ずかしながら私、この場面に出てくる「犬君」は、つい最近まで「犬」だと思っていました。
「君」は、犬をちょっと上品に呼ぶ呼び方なのだろうと。
上流階級のお姫様独特の言いまわしだと思っていたのです。
実は、犬君という女の子なのですね。
君、とは、平安時代に、接尾語的に童女などの名につける言葉なのだそうです。
それに気づいたのは、英訳本を読んでいた時でした。
"Inuki let my baby sparrows loose." The child was very angry.
"I had them in a basket."
この訳を読んで、不思議に思ったのです。
なぜ A dog let my… ではないのか。
なぜ Inuki などと日本読みを残すのか。
奇妙に思って調べたら、何のことはない。
「犬君」という童女の固有名詞だから、訳しようがないのです。
この英訳本を読まなければ、一生、「犬君」は犬だと思ってしました。
英訳から原典の真の意味を知る。
これもまた、不思議な言葉の乱反射かもしれません。
http://blog.goo.ne.jp/syusakuhikaru/e/5949593f7280a4ddedd14ad7c0c5ef58
源氏物語は、いつ書かれたのか不明とされているので、千年と言われてもマユツバな印象を受けますが、この機会を失うと、また千年待たなくてはならないので、何らかの理由をつけて千周年にしたかったのでしょう。
源氏物語は、実に多くのメディアで描かれています。
与謝野晶子や瀬戸内寂聴の現代語訳、「あさきゆめみし」などの漫画、英訳本、さらには映画やドラマ。
読めば読むほど深遠な世界に触れることができます。
中でも、私が好きなシーンの一つが、「若紫」で幼い紫の上が登場するシーンです。
扇のように豊かな髪をゆらし、泣きじゃくりながら登場する紫。
「犬君が雀の子を逃がしてしまったの。伏せ籠に入れてあったのに…」
大切に籠に入れていた雀を、犬君が籠をひっくり返してしまったのか、雀を逃してしまった。それを惜しんで泣いている幼い少女。
源氏物語の中でも、有名なセリフです。
恥ずかしながら私、この場面に出てくる「犬君」は、つい最近まで「犬」だと思っていました。
「君」は、犬をちょっと上品に呼ぶ呼び方なのだろうと。
上流階級のお姫様独特の言いまわしだと思っていたのです。
実は、犬君という女の子なのですね。
君、とは、平安時代に、接尾語的に童女などの名につける言葉なのだそうです。
それに気づいたのは、英訳本を読んでいた時でした。
"Inuki let my baby sparrows loose." The child was very angry.
"I had them in a basket."
この訳を読んで、不思議に思ったのです。
なぜ A dog let my… ではないのか。
なぜ Inuki などと日本読みを残すのか。
奇妙に思って調べたら、何のことはない。
「犬君」という童女の固有名詞だから、訳しようがないのです。
この英訳本を読まなければ、一生、「犬君」は犬だと思ってしました。
英訳から原典の真の意味を知る。
これもまた、不思議な言葉の乱反射かもしれません。
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