あまくさ人のひとりごち

あまくさ人のひとりごち、つまり独り言です。
撮りだめした写真も併せて載せます。

牛深小森海岸の夕陽

KKC48

第1898回 恋人たちの天草

2011-12-21 20:54:34 | あまくさ

恋も輝く天草の夜 教会、海岸、橋…10カ所で光のイベント-撮れたてニュース │ くまにちコム

 天草がロマンチックに輝いている。上天草市、天草市、苓北町の10カ所を一斉に彩る光のイベント。教会、海岸、公園、橋…海とキリシタン文化の伝統が「恋人たちの聖地」を演出し、カップルや家族連れを楽しませている。一部は1月初旬まで、場所によっては3月まで点灯される。点灯時間の問い合わせは天草宝島観光協会TEL0969(22)2243。(農孝生、鹿本成人、河内正一郎)


イルミネーションのド派手さでいけば、
長崎は佐世保のハウステンボスには思い切り劣る。
正直言って。


でも、ちょっとしたデートにはぴったりなんじゃないか、
あまくさ島のロマンティックファンタジー。


ちょうどクリスマスはがっつり3連休だし。


雨がちょっと心配だけど。 



 



第1897回 上田馬之助死去

2011-12-21 20:40:07 | スポーツ

プロレスラーの上田馬之助さん死去 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

 新日本プロレスなどで活躍したプロレスラーの上田馬之助氏(本名・上田裕司)が21日午前、大分県臼杵市の自宅兼店舗で死去した。71歳だった。通夜は23日、葬儀は24日に、いずれも大分県臼杵市内の葬儀場で、家族葬として営まれる。喪主は妻・恵美子さん。
 上田さんは愛知県出身。1958年、大同高校を中退して大相撲の追手風部屋に入門。60年に力士を廃業して日本プロレスに入門。61年デビュー。全日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレスなどで活躍した。特に新日本プロレスでタイガー・ジェット・シンとタッグを組み、アントニオ猪木らと抗争を繰り広げたのは語りぐさである。まだらの金髪で「まだら狼」と呼ばれた。


本名 上田裕司
昭和35年 日本プロレス入門
同年入門に猪木寛至、馬場正平がいる
彼はその影に泣きながら
いつしか悪の化身となり
頭を金髪に染め 客の傘まで凶器にする男
考える凶器 その名は 上田馬之助


なぎら健壱の名曲「男は馬之助」はこういう出だしから始まる。


ワタクシはこの曲で、上田馬之助が好きになった。
といっても、応援はできなかった。
交通事故でプロレスができない体になってしまっていたからである。


ワタクシが子どもの頃までは、プロレスが大人気で、
女子からヒンシュクを買うのもお構いなしに、
毎日プロレスごっこに明け暮れていた。


なぜかコブラツイストと卍固めという
いずれも猪木の技の応酬になったり、
スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアートをいささか手加減ぎみにかけたこともあった。


今から思えばひどく危険なことなのだが、
逆エビ固めをかけるは、キャメルクラッチをかけるは、
しまいにはフライングクロスアタックまで飛び出して、
よくケガ人が出なかったものだ、と思う。


その頃のワタクシにとって、上田馬之助は、
単なる金髪のアブナイレスラーでしかなかった。
そんな馬之助の、涙ぐましい努力なんて、知るよしもなかった。


試合から試合 旅から旅の
地方の小さな町に来て
スポーツ用品店の店先で
「竹刀を一本ください」と小さな声
その時の馬之助の口から出る
「領収書をください」の男らしさ


またまた「男は・・・」からの引用。
悪役レスラーは悪「役」であって、悪者ではない。
俳優にしろレスラーにしろ、悪役の人で悪人はいない、という話を聞いたことがある。


ある日 地方の町で小さな定食屋に入った馬之助は
そこの店のオヤジに
「ここには悪いけどアンタに食わせるメシはないよ」と言われた
馬之助は怒るでなく 泣くでなく
ほほえみながら その店を出て行ったという
その時 私は 馬之助の
あまりに巨大な器を見た


ああ、上田馬之助。
あなたこそ、本当の男の中の男だ。
皆から嫌われながらも、
分かってもらえなくても、
黙々と悪役を演じ続ける。
これぞプロ。
男はやっぱり馬之助。


ちきしょう、泣けてきたぜ。


負けるな 負けるな 馬之助
男の生き様 見せてやれ
負けるな 負けるな 馬之助
ついてても しょうがないけど 
俺がついている



 



第1896回 森田芳光死去

2011-12-21 20:02:46 | 映画
「家族ゲーム」「失楽園」、森田芳光監督が死去(読売新聞) - goo ニュース


 「家族ゲーム」「失楽園」など数々の話題作を手掛けた映画監督の森田芳光(もりた・よしみつ)さんが、20日午後10時15分、急性肝不全で死去した。


 61歳だった。告別式は24日午前11時、東京都港区南青山2の33の20青山葬儀所で。喪主は妻、和子さん。


 森田さんは体調不良のため、今月13日から都内の病院に入院していた。


 東京都出身。日大芸術学部時代から自主映画を撮り、1981年、落語家を主人公にした「の・ようなもの」で劇場映画デビュー。83年、現代の家族像を皮肉を込めて描いた松田優作さん主演の「家族ゲーム」で、芸術選奨新人賞などを受賞、国内外で高い評価を得た。


 以後、「ときめきに死す」「メイン・テーマ」「そろばんずく」「キッチン」など、アイドルやミュージシャンを主演にした作品を撮る一方、夏目漱石の小説を映画化した松田さん主演の「それから」(85年)では、独自の映像感覚が高く評価された。その後も、「(ハル)」「模倣犯」「 阿修羅 ( あしゅら ) のごとく」「武士の家計簿」などの話題作を次々と発表した。渡辺淳一さんの原作を映画化した97年の「失楽園」は社会現象にもなった。


61歳か。
若いなあ。
金正日でさえも69歳だぞ。
69歳といえば、その年で加トちゃんが23歳と結婚するんだぞ。
あまりにも早すぎるなあ。


「椿三十郎」のリメイクはいただけませんでしたが、
独自の映像感覚はけっこう好きでした。


最高傑作はなんと言っても「家族ゲーム」だと思います。


おそらくTSUTAYAあたりで追悼特集組まれると思います。
ぜひ借りて見てみましょう。


合掌。 



天草西海岸の夕陽