逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

最後の共産党政治家、宮本顕治

2010年07月18日 | 共産党

2010年7月11日、日本国の政治史上に大きな意味を持ち歴史に残る可能性が高い参議院選挙が行われ与党民主党の過半数割れが確定する。
7月15日は日本共産党が1922年の党創設から88周年の記念すべき日であったが歴史的な大敗を喫して結党以来の危機に直面、異例の幹部会謝罪反省表明が行われている。
今日7月18日は、奇しくも今の日本共産党の現在の路線や組織の形を作り上げた宮本顕治が100年近い生涯を終えた日なのです。1908年(明治41年)10月17日生 - 2007年7月18日没)

『党利、党略を優先したから敗北したのか』?

政治家とは主義主張や今までの建前や面子などの主観的判断よりも党利党略(客観的な利益)を優先、判断出来る人のことで『政治的に有利である』と判断したなら悪魔とでも同盟することが出来る人物こそが『政治家』なのである。
建前や面子、主義主張が優先しがちな日本共産党において『最後の政治家』とは、この宮本顕治元党首しか存在していないでしょう。
今の共産党党首の志位委員長ですが、政治家を支える有能な実務家ではあるでしょうが、残念ながら『政治家である』とは到底呼べない水準である。
自分の党の利益の為には『悪魔とも手を結ぶ』と言えば、各種の選挙で必ず共産党など敵対する政党のポスターとか看板を破壊するなどの低級極まる選挙妨害を繰り返す破壊的カルト宗教の創価学会の池田大作と会談して創価学会と共産党の和解宣言である歴史的な『共創協定』を宮本顕治は結んでいるから驚きだ。
宮本顕治時代の共産党は、党NO2の書記長職に当事の他党よりも断然若い40歳の不破哲三を選んでいる。
当事の共産党は選挙の度ごとに必ず議席を伸ばし大きく得票を増やしていた。
今の日本共産党の姿からは到底信じられないような最も革新的な政党だと日本の有権者から見られていたのです。

『表に出なかった歴史的な共・創協定』

定説では創価学会の『反共エネルギー』に依存して動いている公明党がこの『共創協定』に反対したので表には出なかったとなっているが、なんとも疑わしい。
公明党ですが、これはいわゆる『政党である』と考えるのは大きな間違いで、実体は創価学会の政治部門を受け持つ一部局にすぎません。
党員は創価学会の指名で決まると言われているし、政党の命ともいうべき政党機関紙『公明新聞』は創価学会の機関紙『聖教新聞』の販売店が受け持ち、公明党は宗教団体から独立しているとは言い難い有様である。
自民党と経団連、ゼネコンや医師会農協との関係や民主党や社民と『連合』の関係のような『持ちつ持たれつ』の関係ではなく、『おんぶに抱っこ』の一方的な関係である。
民主党石井一議員がいみじくも指摘したように『公明党から創価学会を抜いたら議席はゼロ』になる。
創価学会と公明党の関係は並立、共存する横の関係には無く、親亀の上に乗る小亀以上に力関係に差があり、言うなればトカゲとトカゲの尻尾程度の関係で例え公明党の党首や最高幹部であったとしても不都合があれば何時でも本体(創価学会)によって切り捨てられる程度の存在に過ぎない。
その尻尾ていどの公明党が本体に不満をもらすことはあっても正面きって創価学会に楯突くと考えるのは『間違い』で有る可能性が高い。
それよりも『共創協定』のような極度に政治的な(党利党略優先の)新しすぎる(今までの考え方と違いすぎる)にはアレルギー反応が起きてしまい、組織防衛や今までの『決まりごと』を守ること(秩序の維持)が使命である共産党側の実務家集団(党内官僚組織)が反対して表に出なかった可能性の方が遥かに高いでしょう。
政治家と実務家の違いとは、まさにこの『党利、党略を優先する事ができるか』、『何が党利であるかの判断が正しくできるか。』では無いでしょうか。?
党利党略の『政治的な判断が出来る人』が政治家で、今のような絶対にマイナスになることが分かりきっている事柄を『一度決まったことであり、何ら間違っていない』と最後まで守りきる人々は政治家とは到底呼べない。
諫早湾やもんじゅや辺野古や対米従属路線で『一度決まったことは正しい』として方向転換できず何十年も前の決定を『間違っていない』『正しい』などと色々な理由を考え付いて守りきるのが官僚組織の持っている典型的な特徴です。
これだけ日本共産党の党名が党組織に損害を与えているにもかかわらず『一度決まったことだから』『守りきるのが正義である』として変えようしない現在の共産党執行部には『党官僚』はいても『政治家』と呼べる人材は一人もいないのです。

『左手で懸賞金を受け取る朝青龍』

『実力優先』で実力さえあれば何でも許される競技スポーツの世界ではなく相撲の興行は『客商売』なのである。
何度注意されても改めず、左手で懸賞金を受け取った優勝25回の最高実力者の朝青龍は、『唯我独尊』で我が道を行く姿勢が批判(相撲で飯を食っている関係者に嫌われ)され、とうとう相撲界を追われてしまった。
日本の選挙が、相撲の興行以上にお客さんの気分や感情を大事にしなければ成らない『人気商売』であるとの自覚が日本共産党幹部にはまったく無い。
極度に右傾化する日本社会の中で、旧社会党(社民党)は毎回毎回選挙のたびごとに3~4十万票以上の得票を定期的に減らして続けていて、消滅一歩手前の悲惨な有様になっている。
ですから間違いなく社民党はこのままでは消滅することは確実である。
ところが実はこの定期的に確実に減り続けている『社民党』とは大きく違いを見せていたのが、今までの選挙での『共産党』だったのです。
社民党とは対照的に、護憲左派の陣営では共産党だけは今まで最低でも450万近い支持票を死守して踏みとどまっていたのです。
ところが今回の参議院選挙では、消費税に最も明確に反対していた共産党は今回350万票まで大きく後退する。
正に『北風』が吹いたのです。
1989年に中国の天安門事件で日本共産党が得票を大きく減らして敗北したのと、まったく同じ事が今回も起こった。
韓国の天安の沈没で日本共産党までが沈没するなど馬鹿馬鹿しくて信じる気にも到底なれませんが、これが日本社会の政治の置かれている真実の姿なのです。

『劣化が激しい政治用語』

『唖然だ=アジェンダw』それにしても日本語とは不思議な言語で使い続けると自然に劣化して『罵倒語』に変化してしまう。
『貴様』とか『お前』など、最初が敬語でも時間が経つと簡単に蔑称や罵倒語に変化してしまう不思議な言語が日本語の特徴なのです。
もともとの普通の『めくら』や『おし』『つんぼ』などの『やまとことば』は、今では放送禁止用語で人前では喋ってはならないとされているのですよ。
それ以上に『共産党』という1世紀近く前の政治用語は今では史上最大、最高の『差別語』の類にまで落ちてしまっているのですが『むべなるかな』としか言いようが無い。
幾ら『みんな』がもてはやした言葉でも年月が経つと自動的に値打ちが下がり、誰も使わなくなり捨てられるのが日本語の持つ大きな特徴でもある。
一時は大流行した『マニフェスト』なんかはその典型で、使い出されてから何年も経っていないのに今では手垢に塗れて汚くなってしまって、今でも使い続けている政党は極少数と言う不思議な有様である。
今度の選挙では、小学生が考えそうな政党名の『みんなの党』は、またまた『アジェンダ』なる新しい外来語を言い出した。
何故正しい日本語である『公約』を使わないのか。?
みんなの党は、『アジェンダ』など怪しげな新しいカタカナ言葉ではなく党名レベルと同じような『みなさんとのお約束』、であるとか『わたしの考えているおなはし』にするべきですね。

『Japanese Communist Party(JCP)』

それでは日本共産党はどうすればよいのか。?
この党は、『今の党名はマイナスブランドなので変えた方が良い』との当たり前の忠告は残念ながら聞く耳を持たない。
政治的な利害を判断出来る(今までと違う新しい発想が出来る)政治家が一人もおらず『すでに決まったことを守ること』が使命の高学歴の党官僚しか居ないので、普通の政党であるなら簡単であると思えることでも、亀に腹筋を強要するような無理筋な要求であるのです。
それなら如何すれば良いのか。
変えるのが良いのだか自分からは変えられない。
しかし変えないと何時まで経っても共産党は天安で沈没する問題が解決しない。
これはもう成功例に真似ればよい。ずばり党名を絶対に変えれないなら、党名の表記方法を変える。
共産党の語源であるコミュニスト・パーティの90年前の当事の知識人が考えた日本語訳が『共産党』であるのですが、コミュニストのもともとの意味合いは今でも普通によく使われているコミュニティー(公共とか共同社会)なので何らの否定的なニュアンスはない。
マニフェストやアジェンダなどのカタカナ語が横行する昨今の政治の世界なので、元々共産党はコミュニスト・パーティの訳語であるのですから問題解決は簡単で『元に戻せばよい』のです。
ずばり『日本共産党』は、もともとのJapanese Communist Party( ジャパニーズ・コミュニスト・パーティ)に表記を戻す。
名前が長すぎると思ったら略称の『JCP』を使えば渡辺喜美の『みんなの党』なんかより知的で有るし、何よりも日本の有権者に目新しく思ってもらえるでしょう。
日本の価値観ではこの『新しい』とは、何ものにも勝る最良の判断材料なのである。
日本では『今までに見たことが無い目新しいもの』には必ず注目が集まるのです。
少し前には政党ではなく労働組合のナショナルセンターである『連合』が総選挙に出て『みんなの党』並みの二桁の議席を確保した前例もあるくらいで、JCPのような『今までに無い新しい名前』の付加価値は大きいでしょう。

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10 コメント

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共産党の画期的な変化 (影丸)
2010-07-18 22:39:46
 共産党は今回の選挙結果について、「党内外の方々のご意見、ご批判に真摯に耳を傾け、掘り下げた自己検討を行う決意です」と表明。
 かってあれほど党内外の者に迫った「自己批判」という用語でなく「自己検討」という用語がミソといえばミソですが、それはさておき、これまで党中央が敗北の原因に必ず挙げてきた一つを、しっかりとした口調で語る人がそんなに簡単にはいなくなりません。

 例えば、某九条の会関係のブログでは、こうしたコメントがみられます。
 「今回の共産党の後退は、資本家階級の長年の策謀の勝利であり、それに対応できなかった労働者階級が敗北した結果である」。
 あぁ、と呻くしかありません。
  
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全く無かった何時もの決まり台詞『反共宣伝云々』 (逝きし世の面影)
2010-07-19 10:30:32
影丸さん、コメント有難うございます。

共産党幹部会ですが、決して選挙での自分ん党の敗北原因が判らないほど、自己分析とか反省が出来ない訳ではないのですよ。
何しろ他の政党に比べて抜きん出た高学歴、高偏差値の実務家集団なのですから、そこまで馬鹿でもなければ頑迷でもないのです。
自分達共産党が決定的に敗北した事も実感しているし、その敗北原因も正しく理解しているのです。
以前にも同じことが起きているのですが、当時も矢張り気が付いていたのです。
消費税が決定的な選挙争点だった1989年の参議院選挙でも天安門事件が起きて、今回と全く同じ事態が起こっているのですよ。
『共産党』の名前つながりで、日本共産党が敗北したとだとの判断は、当事の共産党中央委員会や幹部会では正しく認識されていたのですよ。
ところがこれが、表には事実を隠蔽して『反共宣伝である』と歪曲、矮小化されて発表され現代に至っている。
それ以降の敗北した選挙戦では、この決まり文句『悪質な反共宣伝云々による敗北』が選挙総括、選挙での敗因分析としてあいも変わらず繰り返される『共産党の失われた20年』が生まれて、現在に至ったが今回、
全く『反共宣伝で云々』の文字が無いのですよ。
これは驚天動地の驚きです。

とうとう今回、共産党のコアな支持層の崩壊を目撃して『反共宣伝』の中身の意味するところが『天安』である事を隠しきれなくなったのです。
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すばらしい党員 (ましま)
2010-07-19 10:46:56
今はすっかり減ったようですが、共産党の首長さん、保守系の人にも信頼される立派な人が多かったと聞きます。

地域で生活環境改善のためこまかいことまで取り上げ、地方議会で活躍しているのは、どこの地方自治体にもいる共産党の議員です。

中小企業の面倒見もいい。各地9条の会などで、献身的なボランティアをしている人も党員の方が多い。頭がさがります。

人は、ほめなくてはよくなりません。(^^)
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共産党の失われた20年と昭和天皇の下血騒動 (逝きし世の面影)
2010-07-19 16:46:40
ましまさん、コメント有難うございます。

大阪府羽曳野市では4期16年共産党の津田一郎氏が市長をしていたのですが、当事の共産党は輝いていて選挙のたびに議席は倍増していたのです。
津田市長も最初は少数与党で苦労するが徐々に支持する議員は増えていき最後の方では自民系も支持するようになるのですが、4期目の終わりに米国産輸入牛肉偽装で莫大な保証金を騙し取り後に摘発される解同系のハンナンの浅田満とも親密で関係の有る府議会議員が共産党以外の全会派とか町内会とか消防団農協医師会など全ての既存の団体を糾合して対立候補になって一騎打ちの大激戦。
この選挙戦の真っ最中に昭和天皇の下血騒動が連日メディアに取り上げられて、これに対して共産党は機関紙赤旗紙上で昭和天皇の戦争責任のキャンペーンを連日連載記事を書いていたのですね。
明治憲法下では条文を読めば分かるように唯一の主権者は天皇ただ一人だったのです。
戦争集結に果たした天皇ヒロヒトの功績が全てのマスコミで大宣伝されるのですが、それなら天皇のお蔭で戦争が終わったのが事実であるとしたら、戦争の開始にも責任があるとの共産党の主張には理論的な整合性があるのですが、そんな論理的な『責任論』は日本人には馴染まない。
それどころか例え大悪人であろうと無かろうと関係なく今現在、目の前で死につつあるものに対する責任追及は日本人的道徳観からは反感を買い、政治的にマイナスにしかならない、との当然の政治的な判断が共産党指導部には薬にするほども無い。

ところが同じ共産党員とはいえ津田一郎市長は他の幹部のような知的エリート出身ではなく昔、紙芝居屋をやっていたほどの苦労人で日本人的な人情に精通している。
選挙情勢の不利を悟って彼は乾坤一擲、共産党中央の天皇戦争責任追及方針とは正反対の行動である昭和天皇の記帳を行うのですよ。
何しろ羽曳野市は市域は小さいが天皇陵の古墳が幾つも有るし聖徳太子の墓所だといわれる遺跡や大和の飛鳥因りも古い近つ飛鳥(河内飛鳥)がある天皇家(大王家)に縁が深い場所なのです。
ところが赤旗紙上でこの行動が公式に批判され、・・・自己批判するのですが、これでは選挙では絶対に勝てません。
市長選挙というのは建前上その市の中で一番偉い人を選ぶのですから、何事によらず他所からの一言で態度を変える人物は信用されない。
何で選挙期間中の大事な時期にに批判する必要があったのか。
ほんの少し待って、投票日が終わってからでも遅くは無いはずで、これで選挙に勝てというほうが無茶苦茶である。
時期的に、この共産党の停滞、敗北は昭和天皇の下血騒動あたりから始まっているのですね。
日本共産党の『失われた20年』の原因は、死につつあった天皇ヒロヒトに対する戦争責任追及の「のろい」か「たたり」に関係している可能性がある。何てのは如何でしょうか。

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天ちゃん (疑問に思う人)
2010-07-20 12:53:08
基本的に天皇をどうこう言う人間ほど、裏でこんな呼び方をしていたという。
五味川純平が、御前会議の中で天皇は、避戦だったというが、結局戦争を防ぎえなかったと書いてましたね。もっとも、たとえ天ちゃんが開戦に反対しても、軍部が押し切っただろうと木戸内大臣(だったはず)が回顧録で語っていたそうですが。
空気を読まないのが、共産党なのでしょうね。というか、空気を読む共産党など、共産党ではないのでは(笑)。まあ、共産党は日本人が理屈で動かない変な民族だということを、理解すべきですね。
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空気を読む日本的無責任と空気を読めない共産党 (逝きし世の面影)
2010-07-20 15:58:52
五味川順平の『御前会議』が指摘しているように、『衆知を集めて天皇に奏上』すると→『天皇は拒否しない。』→ところが→『天皇が裁可された』事項は→『修正が不可能になる』→しかし→『そもそも天皇にはNOと言うだけの勇気が最初からない』

日本にはヒットラーやムッソリーニの様な戦争指導者は一人もいなくて、前首相の近衛文麿も開戦した東条英機も何とかアメリカと戦争をしなくて済ます方法を考えていた。
当事者の陸軍も海軍も主導権争いに忙しく、真面目に戦争を考えていたか疑わしい。唯一正しく先が読める山本五十六でも半年先程度の話で戦争終結までの戦略は全く無い。
唯一人の主権者天皇も戦争に反対だったが何となく時流に流されて開戦に賛成する。
その時々の『時流』や『ムード』に縛られ、今風に言えば『KYだ』(空気が読めない)とみんなに看做されたくなかったので、何となく開戦という流れに流されて戦争を始めてしまう。
東条は開戦を天皇に上奏する時に、感極まって号泣する始末では、何でこの時に誰かが『駄目だ』の一言がいえなかったのか。?
しかも一度決まると最後の防衛線であるサイパン島陥落で日本の命運は尽きたのに、1年以上も日本の全ての都市が焼け野原になっても原爆投下とソ連参戦の恐怖が実現するまで何時までもだらだらと止められない。
一度決めると『やめよう』と言う決断が出来ないあたりは、今の諫早湾などの公共事業とも共通する欠陥ですが、つくづく日本では誰も彼も中央部が空洞化していて『最高責任者には責任が無い』情けない有様。
この当事も実は今と同じで、マスコミが国家を戦争の破滅の道に誘導していくが勿論当事のマスコミにに戦争責任は無いし、マスコミ自身も世間とか世論とかに流されていた。
この正反対の空気が全く読めないのが共産党で、これは当事でも同じだった。
戦争反対を口に出せば監獄行きは免れないが、それでも自説を主張して投獄される。
昭和天皇が死にかかっている時に戦争責任を追及すればみんなに嫌がられると知っているのだが(自分にとって得に成らないので)『止めよう』なんて考えは出てこない。
唯一同じなのが『一度決めた事は変えられない』体質なのですが、地獄を見るまでに何故小まめに修正する事ができないのか。

それにしても天皇の戦争責任問題は左翼にとっては疫病神で共産党の20年前の事件で証明されているように、誰かが口に出すと災いをもたらすのです。
サッカーワールドカップ必勝作戦で『日本選手は耳栓をする』との私のささやかなアイデアなんかでも『天皇』とか『君が代』に関連しているので祟りが付きまとう・・・
天皇の長寿と関連する『君が代』は祈りの歌なのですが、祈りと呪いは紙一重で、信心の無い私が何かが扱うと『祟り』があるようです。
TBした『サッカー・ワールドカップと君が世』が元で何年も長い間付き合いがあった保守系ブログにマジ切れされ、『二度と来るな』と言われてしまいましたよ。一言長年のお礼と謝罪を書こうと思ってもコメント欄が閉鎖されている。トホホ。
何故あれほど怒ったのか。
誰にも見られたくない触れられたくない隠しておきたい部分はあるが、この時に余程触れてはイケナイ弱点をほじくったらしいのです。
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相互理解 (疑問に思う人)
2010-07-22 12:42:10
時代のウェブログでしたか。やり取り見てきましたが、自分がどうあれ、向こうは荒らし行為と変わらないと思っている以上、止めとく方が良かったと思いますが。というか、相手とやり取りしてて、自分にしろ相手にしろ、個人攻撃が始まったら、退くべきだと思いますよ。その時点で、議論の成立する余地ってのは、無くなってますから。保守にとって、天皇だの国旗だの国歌だのは仏像みたいなもんで、疑問を差し挟んではいけないのではないですかね。
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お互いに暗黙の了解は成立していたのですが (逝きし世の面影)
2010-07-22 14:54:55
右であれ左であれ仲間内だけの論理では話の広がりが小さい。
政治的な意見が近い『疑問に思う人』さんとの会話も大事だが、政治的な意見が大きく違う人の意見も聞いてみたい。
ただ、保守を標榜しているところで理性的な会話が成り立つところは極々少なくて、その意味ではあそこは大事な場所であったわけです。
しかし所詮いわゆる『保守』な訳で、今の日本経済を800兆円の借金塗れと格差拡大による社会の劣化や消費不況に因るデフレに追い込んだ『小泉改革が正しい』との前提でブログの話が出来上がっているのですよ。
ですから本当にいじめる心算なら幾らでもネタは有るのですが、決して経済問題ではコメントは書かず誰にでも分かる風俗的な身近面白げな話を中心に進めていた。
それでも時々は返答できないような痛い急所の核心を突いて相手が返答不能になるが、そんな時は決して深追いせず、返事が無い時は続きは決してコメントしていない礼儀は守っていた。
『君が代』の話も、続きを書くから、こちらも書いていたのです。
基本的に君が代が祈りの歌なので人前で歌うことが憚られる不思議な歌で、日本国にとって歴史的に判断すれば暫定国家ではあったが決して正式の国歌ではなかった事実を認めたくなかたのですよ。
それにしても自分が何に対して怒っているかの自覚も無くすとは(話が都合の悪い方向に向かい)余程余裕を無くしたのでしょう。
『宣伝のためにTBするな』などは馬鹿馬鹿しくて反論する気もありませんが、当方の読者数はブログを始めた当初でも数十倍の多さで、今では当事の何倍にも増えて桁違いに増加しているのです。
読者の数の大小には其れほどの興味が無いが、宣伝の為なら何桁も少ないあのブログにはTBしても意味が無いのですよ。
読者の数には興味は無いが、記事にコメントしてくれる内容には大いに興味が有る。
人それぞれ。何に対して興味があるか。何が一番大事であるかの価値観に大きな違いが有るのです。だから会話するのが面白いのです。
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タブー (疑問に思う人)
2010-07-23 11:23:55
その記事のコメント自体が、途中から非常に攻撃的になっていて、迷惑と感じたにしても、そこまでのものなのかという印象は受けましたね。というか、国歌だの国旗だのを絶対視する思想って、北朝鮮と同じような気がするんですが。やはり、保守にとっての国歌とは、神聖不可侵な物なので、疑問を差し挟むことは=売国奴になるのでしょう。馬鹿みたいですが。
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21世紀の悪夢 (逝きし世の面影)
2010-07-23 13:48:16
日の丸君が代ですが、今のようになったのは極最近の話で、長い間今とは随分違っていて、随分まともだったのです。
日の丸君が代が国旗国歌になったのはミレニアムでコンピューターが誤作動するとかしないとかの999騒動があった1999年の脳梗塞の世界一の借金王小渕内閣の話です。
この法律には園遊会での明仁天皇の注意ではないが『強制にならないように』との国権の最高機関である国会の付帯決議が付いているのです。
君が代どころか日の丸を会場に掲げることさえ今までは行っていない。

官房長官とか政府閣僚の記者会見場での日の丸の掲揚は靖国神社公式参拝を繰り返し近隣諸国との外交をぶち壊した小泉政権時代も全く無かったのですよ。
始まったのは安倍内閣時代からか、それとも小泉の300議席の郵政選挙の以後の最末期かいずれかで3年ほど前からの民主主義の後退現象の一つです。
その時まで日の丸君が代の扱いの意味は、自民党でも十分に認識していたのですよ。

ところが、その我々日本人の今まで長い間持っていた知恵がほんの僅か前に失われたのです。
ところが多くの人は、恐ろしい真実、この悲惨な事実に気が付いていない。
ですから、このままその事実を『昔からの日本の伝統だ』と誤解して忘れて欲しいのです。
保守の怒りとは、まさにこの『折角寝た子を起こすような行為』に対する本能的な怒りなのですよ。
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