ノルウェイの森 (2010)

2011-01-07 16:27:48 | Weblog
ノルウェイの森 (2010)
(Norwegian Wood)

U.S. Release Date:

■監督:トラン・アン・ユン
■キャスト:松山ケンイチ/菊地凛子/水原希子/霧島れいか
■音楽:ジョニー・グリーンウッド
■字幕:
■お勧め度:★★

 「1987年の発表当時、空前のベストセラーとなり社会現象を巻き起こすとともに、日本のみならず世界中で翻訳され多くのファンを生み出した村上春樹の同名小説を「デトロイト・メタル・シティ」の松山ケンイチと「バベル」の菊地凛子主演で映画化した青春ラブ・ストーリー。学生運動が盛んな昭和40年代を背景に、深い喪失感を抱えたまま対照的な2人の女性の間で揺れ動く青年の切なくも瑞々しい青春の葛藤と再生の日々を、美しい映像で赤裸々かつ繊細に描き出す。共演はモデル出身でこれが演技初挑戦となる水原希子。監督は「青いパパイヤの香り」「夏至」のトラン・アン・ユン。
 唯一の親友・キズキを突然の自殺で失ったワタナベは、悲しみから立ち直れないまま東京の大学で学生生活をスタートさせる。ある日、ワタナベはキズキの恋人・直子と偶然の再会を果たす。同じ喪失感を共有する2人は次第に惹かれ合っていくが、2人の関係が深まるにつれ、直子は心のバランスを崩してしまい、ついには京都の療養所に入院することに。直子と会うことも叶わないワタナベの前に、直子とは対照的に若者らしい明るさと生命力に満ちた緑が現われる。積極的な緑との交流を持ちながらも直子の状態が心配でならないワタナベ。そんな中、ようやく直子との面会が許され、京都へと向かうワタナベだったが…。」(allcinema.net/より。)

上の「解説」は、全くの的外れ。これは精神分析的な病気の「直子」の物語り。直子と「キズキ」は3歳の頃からの幼友達で、直子が10代になると、幼友達としての感情を、キズキに対する愛情と勘違いする。それでセックスをしようとするが、できない。それで傷つく。キズキの方は、おそらくは、この勘違いに気づいていたのだろう。直子はきわめて純真な女(の子)。キズキも、おそらくはそうだっただろう。姉とか妹にセックスを強要されたら、純真な男は自殺したくもなるだろう。さらに悪いことは、女に目覚めた直子が、その性欲を、必ずしも愛してはいない「ワタナベ」に向けてしまう。ここまでやったら精神分析的には、ひどい病気になるだろう。療養所に行っても、当時でも、おそらくは今でも、精神分析的な治療は受けられなかっただろう。結果は目に見えている。直子にとっては、ワタナベというのは、存在自体が病気の根源。最低限、できる事は、二人を別れさせる事だろう。療養所では、明らかにそれをやっていない。要するに何の治療もしていない事になる。さらに悪いのは、療養所の同じ患者であるレイコの存在。彼女は二人の仲を取り持つ役目をしてしまう。ついでに自分の勝手な都合だか感情だかで、ワタナベとセックスというマヌケな筋書き。ワタナベにしても、直子をどう思っていたか不明。愛情があり、性欲もあったが、直子が死んだ後に、直子とは全く性格の違う「緑」と一緒になるという変な展開。それに彼が唯一、付合っていたのは、プレーボーイタイプの先輩。結果から見ると、直子に対する感情は、情け心に過ぎなかったような感じがする。本当に愛していたのであれば、これは気づけという方が無理だろうが、直子を捨てる事だっただろう。精神分析の問題がテーマだとすれば、当時は少なくとも治療の可能性は何も無い問題をテーマにした事になる。これのどこがベストセラーになったのか。それこそ、これをラブ・ストーリーとして読んだのだろうか。あるいは、村上春樹は読んでもないし興味もないが、文体だけでベストセラーなんていうのはいくらでもあるだろう。三島由紀夫の例を出すまでもなく。本作が原作に忠実に映画化したとすると、その意味が全く分からない。強いて見所があるとすれば、菊地凛子が、精神分析病者の役割をうまく演じている事だろう。

なお、来週以降、最寄りのシネコン閉館のため、本メールマガジンは「不定期」刊行になります。


ヒアリング度:
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二度以上見たい度:★
劇場で見たい度:★
ビデオ/DVDで欲しい度:★
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)