十三人の刺客 (2010)

2010-10-01 08:12:23 | Weblog
十三人の刺客 (2010)

U.S. Release Date:

■監督:三池崇史
■(原作:池宮彰一郎)
■キャスト:役所広司/山田孝之/市村正親/松方弘樹/伊原剛志/平幹二朗/稲垣吾郎/松本幸四郎
■音楽:遠藤浩二
■字幕:
■お勧め度:★★(★)

 「63年の傑作時代劇を「クローズZERO」「ヤッターマン」の三池崇史監督が豪華キャストでリメイクした時代劇エンタテインメント大作。権力を笠に言語道断の蛮行を繰り返す将軍の弟を暗殺すべく集められた13人の刺客が、300人を超える軍勢を相手に壮絶な戦いに臨む姿を描く。主演は「パコと魔法の絵本」の役所広司、共演に山田孝之、伊勢谷友介、市村正親、稲垣吾郎。
 江戸時代末期。将軍・家慶の弟で明石藩主・松平斉韶(なりつぐ)の暴君ぶりは目に余った。斉韶は近く、老中への就任も決まっている男。幕府の存亡に危機感を募らせる老中・土井利位は、かねてより良く知る御目付・島田新左衛門に斉韶暗殺の密命を下す。さっそく、甥の新六郎をはじめ十一人の腕に覚えある男たちを集めた新左衛門は、後に加わる山の民・木賀小弥太を含む総勢十三人の暗殺部隊を組織、入念な計画を練り上げていく。しかし、斉韶の腹心・鬼頭半兵衛もまたその動きを抜け目なく察知し、大切な殿を守り抜くべく周到な準備を進めていた…。」(allcinema.net/より。)

最後のテロップでちょっと見たが、本作品の原作と言っても63年に脚本が書かれただけかもしれない。いわゆる小説とかではなく。その後、ボツになったのかもしれない。理由は分かる。筋書き的に問題がある。「暴君」と言っても松平斉韶はむしろ虐待マニアの精神異常者だろう。女の手足を切って、なぐさみものにするとか、意味もなく一家を、わざわざ弓矢で殺すとか。63年当時は、こうした事は単なる「悪者」と看做されたのだろうが、今では福祉関係の制度が充実したため、いわゆる精神異常は、むしろ病気として保護の対象となっている。「悪者」とは言えない。それを本作では無理矢理「悪者」としてしまっている。今の感覚からすると、むしろ何故、斉韶がこうした精神異常になったか、この事の方が興味の対象になるのではないか。したがって今的な感覚からすると、決して「悪者」とは言えない精神病者を殺すという、「問題」作品になってしまう。確かに筋書き的には、たった13人で200人の敵と対決するというのは面白いにしても、上記の事を考えたのだろうか。しかし考えたにしても他にやりようが無かったかもしれない。悪く言うと、いわゆる精神異常、精神病に無知な人々の無知さ加減につけ込んだ作品。作品としての出来はいい。最初の釣りのシーンが「静」で、次第に盛り上がり、最後の決戦シーンへと繋がる。ただし悲しいかな、日本的なチャンバラというのは、あまり見る所が無い。中国とかの決闘シーンだと、武術自体がダンスっぽいので、武術というよりダンス的に見て面白いが、日本(刀)だと、これは出来ない。結果的に月並みなチャンバラに終わってしまう。それも松方弘樹と市村正親以外は殺陣の経験はあるのだろうか。剣術自体、はっきり言ってハンパもの。それを意図的なリアルさとグロさでカバーしたきらいがある。決してつまらない作品ではないにしても、原作がボツになった理由を考えるか、大幅に「暴君」の性格なりを変えるべきじゃなかっただろうか。なんとなく「七人の侍」的な描き方がされているので、これのリメイクが目的だったのかもしれない。果たして作って良かったのかどうか、この点、一番、考えさせられる。まさか「13人対200人」が作品のキャッチフレーズとは思いたくない。それといつも思う事は、血筋さえ良ければ幕府の要職につけるという制度。こういう制度は普通、機能しないだろう。それの代わりに参勤交代やらの制度を設けたわけだが、これらは地方の大名の力を削ぐためのもので、幕府自体の強弱とは関係ない。それでも徳川幕府が250年(?)だかもったというのがミステリー。この点、なんとかして松平斉韶の性格なりに盛り込めなかっただろうか。むしろ単なるバカ(無能)殿の方が良かったような。まさか老中になってから「蛮行」を繰り返したら、それこそ幕府上部に暗殺されていただろう。なお本事件の20年後に徳川幕府は滅んだらしい。何もこの時に斉韶を暗殺する必要は無かった事になる。


ヒアリング度:
感動度:★★
二度以上見たい度:★★
劇場で見たい度:★★
ビデオ/DVDで欲しい度:
ビデオ/DVDで見た方がいい度:★★★★
ムカつく度:
考えさせられる度:★★★
(「ヒアリング度」は英語のヒアリングの勉強になるかどうかの度合)