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【孟子①】中国思想解説#6【孔孟の教え】【性善説】/哲学チャンネル

2021-08-16 06:10:17 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 【孟子①】中国思想解説#6【孔孟の教え】【性善説】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=b0_9EcZz6nM

※関連した過去動画
【孔子①】中国思想解説#3【儒教】【論語】 https://youtu.be/d1zjKYT97YM
【孔子②】中国思想解説#4【仁】【礼】【徳治主義】 https://youtu.be/BIiJPLKr09w
※書籍 孟子〈上〉 https://amzn.to/36gDPh2
 
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動画の書き起こし版です。
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孟子は、現在の山東省にあたる邾(ちゅう)の国に生まれます。 彼の育ちには【孟母三遷】という有名な逸話が残っています。 幼少期、孟子は墓地の近くに住んでいたと言います。 すると、彼は葬式の真似事を始めるようになりました。 心配に思った母親は、引越しをすることにしました。 すると今度は引っ越し先の周りに市場があったため、 商人の真似事をするようになりました。 当時、商人は低い身分であったことから、これまた母親が心配に思い 今度は学問所の近くに引っ越すことにしました。 すると、孟子は学問を志すようになり、母はやっと安心することができました。 この話は史実ではないとされています。 しかし、子供の教育に対する環境の重要性を説く教訓として非常に有名です。 孟子は、孔子の孫である『子思』の弟子から儒学を学びました。 彼は自分のことを孔子の正当後継者だと自負していたようで、 そのことから、遊説の際には馬車数十台、従者数百名を引き連れて 我が物顔で練り歩いたと言われています。 そのような強烈なプライドを持っていたので、 一介の思想家でありながら、一国の王に対する対応も非常にドライでした。 孟子は斉の宣王に8年ほど仕えていました。 そのうちにお互いの関係がうまくいかなくなり 彼は斉の国を出ることに決めます。 その際、宣王が『あなたにまた会えますでしょうか?』と聞くと 『敢えて請わざるのみ。固より願う所なり』と答えたと言います。 意訳すると「あえて会おうとは思わないけど、別に会うのは嫌じゃないよ」です。 どちらが国王なのか、わからなくなりますね。 このように、自身を孔子の正当な継承者として考えていた孟子ですが 実際に彼の思想は孔子の思想を肯定的に発展させたものでした。 そして両者の思想は【孔孟の教え】として後世に語り継がれることとなります。 孔子は私利私欲を抑え【礼】を尽くすことによって【仁】が守られる と考えました。 仁と礼を並列に置き、両方を満たす努力をすれば いずれ悟りに至り、人間も国も良い方向に向かうという主張ですね。 孟子は孔子の教えの中でも【仁】をより重要視しました。 孟子はまず、人間は生まれながらに善の心を持っているとします。 これを【性善説】と呼びます。 善の心は後天的に身につけるものではなく、 先天的に備えついているものだと。 例えば、崖から落ちそうになっている子供が目の前にいるとします。 そのとき、多くの人間は無条件にその子供を助けるのではないでしょうか。 本当に必要なときには善の行動が現れるように 人間には根本的に善の要素が備わっていると考えたのです。 しかし人間は、後天的な環境の影響により、その善の心を忘れてしまいます。 忘れてしまった善の心を思い出し、成長させるために儒教が役に立つ。 そう主張しました。 孟子は、人間が生まれながらに持っている善の心を4つに分類します。 人の不幸を見過ごせない心である惻隠の心 悪を恥じる心である羞悪の心 お互いに譲り合う心である辞譲の心 善悪を見分ける心である是非の心 この4つの善の心を【四端の心】と呼びます。 そしてそれぞれを成長させると、最終的には対応した徳に行き着きます。 惻隠の心は仁に。羞悪の心は義に。 辞譲の心は礼に。是非の心は智に。 陳腐な言葉で表現するならば、 四端の心というステータスをそれぞれ極めると 【四徳】という境地に達することができる。というのですね。 孟子には『仁は人の心なり、義は人の道なり』とあります。 彼は四徳の中でも【仁義】が最高の徳だと考えていたようです。 このようにして人間は自身の中にある四端の心を訓練して伸ばすことによって 誰でも聖人と呼ばれるような偉大な人物になれると考えました。 四端の心を一切伸ばさない人間は、けだものである。とまで断言しています。 また、四徳を身につける中で養われる強い精神力を【浩然の気】と呼び これを備えて徳を実践しようとする人物を【大丈夫】と呼びました。 ちなみにこれは現代で使われる『大丈夫』の直接的な語源ではないと考えられています。 その後、漢の時代には董仲舒によって四徳に信が付け加えられ五常(五徳)となり 孟子が唱えた【五倫】という人間関係における5つの倫理と合わさり 【五倫五常】として儒教の道徳の基本になりました。 剣道の袴には前に五本の襞(ひだ)がありますが これは「五倫五常の道を諭したもの」とされています。 思想はかなり孔子に近いものではありますが、 仁についてより細分化して説明したことに 孟子の功績があると考えられます。 次回は孟子が語った政治についての解説です。
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