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『超訳 ニーチェの言葉』-92-

2023-12-01 06:10:51 | 哲学の窓

『超訳 ニーチェの言葉』(Discover)白取春彦 編訳 より、ニヒリズムとして名高い思想家によるポジティブな言葉を紹介します。



 まともに生きていない人の心理

今回も全文を紹介します。

-------以下引用--------

自分の本業の仕事に力をそそぎ、充分に成果を得ている人は、
同じような仕事をする人や商売がたきに対しては寛容で、
理解ある広い態度を示すものだ。

しかし、自分の仕事を充分になしきっていない人、
お金目当てだけで渋々働いているような人は、
商売がたきに対してあらぬ恨みや憎しみを抱く。

同じように、自分の人生をまともに生きてない人は、
他人に憎悪を抱くことが多い。
          
     『曙光』        

-------引用終わり--------

なるほど・・・、そうかもしれません。

いつも不平・不満を口にし、他人のせいにしている人は、
不幸に見えます。

『曙光』はニーチェ全集〈7〉 (ちくま学芸文庫)で、500ページを超える
大著です。

次のように紹介されています。

〈私の父は三十六歳で死んだ。彼の生命が下り坂となったのとおなじ年に、私の生命もまた下り坂となった。私はまだ生きてはいたが、三歩前も見えなかった〉。
激しい発作と苦痛に襲われた1879年、ニーチェはバーゼル大学の教授職を捨てて、生涯最も日の差さぬ暗欝な冬を影として過ごした。
翌年、憂愁と沈痛に満ちた思索の森の深奥にも一条の曙光が射しこみ、ニーチェは再び自己の思想の視野を回復しはじめる。
『曙光』は厭世的・批判的分析が大半を占めるが、午前の新しい光が注がれた最終章「第五書」の穏やかな肯定への意志に彩られた全体の調子は、やがて来たるべき正午の思索への予感と予兆を指し示している。

ニーチェ年譜
1844 10月15日、プロイセンのザクセン州の田舎町レッケンに生まれる
1858 名門プフォルタ学院に給費(奨学)生として転校
1862 「運命と歴史」を口頭発表
1864 プフォルタ学院を卒業。卒業論文はラテン文の「メガラのテオグニスについて」。10月、ボン大学に入学
1865 古典文献学のリッチュル教授と同時にライプツィヒ大学に移り、同教授の下で古典文献学を専攻。ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を耽読し、深く感動
1869 古典文献学の員外教授としてバーゼル大学に赴任。5月、トリプシェンにワーグナーを訪う。ブルクハルトとの交友が始まる
1872 『悲劇の誕生』を出版。バイロイト祝祭劇場の起工式に出席
1876 病気のため大学の講義を中止。バイロイト祝祭劇に出席するが、幻滅のあまり途中でボヘミアに旅す
1878 『人間的なもの、あまりに人間的なもの』を出版。ワーグナーとの友情関係は破断する
1879 バーゼル大学を正式辞職。
『さまざまな意見と箴言』(『人間的な、あまりに人間的な』の2巻第1部に入れられる。)
1880 『漂泊者とその影』(『人間的な、あまりに人間的な』の第2部に入れられる。)
1881 シルバプラーナの湖畔で、永劫回帰の思想に「襲われる」。『曙光:道徳的先入観についての感想』、晩秋より翌1882年にかけ『悦ばしい知識』を執筆
1882 ルー・ザロメに恋愛し求婚するが、拒絶される。のちに『力への意志』で総称される遺稿群は、ほぼ本年から1888年にかけて書かれた
  『悦ばしき知識』(含 「たわむれ、たばかり、意趣ばらし」)は中期の著作の中では最も大部かつ包括的なも。永劫回帰説を本書で提示。
1883 『ツァラトゥストラはこう語った』第1部を出版
1886 『善悪の彼岸』出版
1887 『道徳の系譜』を自費出版
1888 デンマークの文芸史家ゲオルク・ブランデスより、コペンハーゲンで「ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ」について講義した旨の通知を受け、気をよくする。年末、精神錯乱の徴候
『ヴァーグナーの場合』(Der Fall Wagner, 1888)
『ニーチェ対ヴァーグナー』(Nietzsche contra Wagner, 1888)
『偶像の黄昏』(Götzen-Dämmerung, 1888)
『アンチクリスト』(あるいは『反キリスト者』)(Der Antichrist, 1888)
『この人を見よ』(Ecce homo, 1888)
1889 トリノの広場で昏倒。知人らに妄想の表れた手紙を出す。医者の診断は「進行性麻痺症(まひしょう)」
1891 妹エリーザベト、ニーチェの作品公刊に干渉し、『ツァラトゥストラはこう語った』第4部の出版を阻止する
1894 妹、「ニーチェ文庫」を設立、ニーチェの助手格で友人のペーター・ガストを排除し、自分で全集の出版に着手
1900 8月25日、ワイマールにて死去する
1901 『力への意志』刊行。
1906 ニーチェの妹エリーザベトが編集し、初版から大幅に改訂された『力への意志』刊
1908 『この人を見よ』刊行。

1956 『生成の無垢』(遺稿。アルフレート・ボイムラー編)

 


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