郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

イオンエクスプレスでイートイン

2022-03-11 | 日記
今日は外食でした。
最近また太りぎみなので、お昼は軽めにしています。
今日は名取駅前のイオンエクスプレスでイートインにしました。
簡単で、お得に食べられるのでちょうどいいです。しかも、あまり人がいないので、静かで、ゆっくり食べられます。
正面が名取駅ですが、逆光で暗くなってしまいました。右側のマンションの1階にイオンエクスプレスがあります。

イオンを出て、隣の図書館に行こうとしたら、目の前にバス停がありました。



あおぞらライナーというのは、初めて聞きました。調べたら、三重県の青木バスという会社が、仙台~名古屋間で高速バスを走らせていて、その停留所のようでした。
歩いてみないとわからないものです。

この後、名取図書館で雑誌を見て、一休みしてから帰ってきました。
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歴史紀行 峠をあるく(井出孫六著)

2022-03-07 | 読書

大分前に読んだ本である。

井出孫六氏は長野県生まれの作家である。直木賞も受賞している。
昔、退職後に峠歩きをしてみたいと思って読んだ本である。
本の中身は、12の峠のことが書いてある。
なかでも、最初に出てくる「十石峠」が印象に残っている。
著者が歩いた埼玉県吉田町から群馬県を越えて長野県の佐久町までの十石峠は、明治時代の秩父事件の
道だからである。
かなり以前にみた「秩父事件」を題材にした映画をみて、関心を持っていた。
他には、
洞ヶ峠、笛吹峠、二重峠、赤土峠、乙女峠、御殿峠、狩勝峠、大菩薩峠、野麦峠、人形峠、八達嶺であった。
日本の各地にある峠11か所と中国の北京にある八達嶺の12か所であった。
有名な峠もあるし、あまり知られていない峠もあった。
その峠に起こった歴史的事件などを背景に、著者が歩いて感じたことが書かれていた。
関係した事件は、けっこう悲しい事件が多かったように思う。
中でも、私が知らなかった峠では、島根県にある「乙女峠」の事件が悲しかった。
これは、島根県津和野町に起こった、明治維新のときの切支丹殉教の話であった。
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「ペヤング焼きそば たこめし風」を食べてみた!

2022-03-06 | 日記
ペヤングと宮城県志津川高校が共同で企画したカップ焼きそばができた。
いつも見ている地元のテレビのニュースで紹介していたので、買ってきた。

今日のお昼に食べました。

写真はお湯を注いで3分たったところです。ソースはまだかけていません。
タコの足をこまくしたものが、入っていました。
軽い海鮮風のやさしい、さっぱりした味でした。

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源頼朝(「鎌倉殿の13人」では「大泉洋」が演じる)

2022-03-05 | 読書

永井路子さんの著作「源頼朝の世界」から。

源頼朝は源義朝の子として生まれた。
源頼朝には、同腹の兄弟姉妹は姉1人、弟1人、異腹の兄弟姉妹が10人あったという。
頼朝には、義平、朝長という二人の異母兄がいた。
しかし、頼朝の母は家柄が良かったので第一夫人として扱われ、頼朝は嫡男の扱いを受けた。さらに都育ちで、12歳で官職についている。
ちなみに、常盤御前と義朝との間に生まれたのが、今若,乙若、牛若の3兄弟、後の全成、円成、義経である。
頼朝とは、異母弟たちになる。他に範頼がいたが、彼も頼朝とは母が違う。
そのうえ、運強さもあったようだ。
まず、平治の乱において戦に破れ東国に逃れる途中で、父たちとはぐれた。しかしそのために父たちといっしょに殺されることはなかった。また、平家方に捕まえられて殺されそうになるところを、清盛の継母、池禅尼の命乞いによって助けられている。
次に、挙兵後の石橋山の合戦で、洞穴に隠れているところを、梶原景時に見つかるも見逃されている。
永井さんによると、頼朝の才能は武将ものではなく、政治家のものだという。
頼朝を頂点とした東国武士団は、その下に有力武将がいて、その下に彼らの部下がいる。
頼朝の命令は、有力武将に伝えられ、それが下へ下へと伝えられ、武将団が秩序整然と動く。
その後、平家との闘い、義経の活躍と義経との確執、義経の奥州への落ち延びにより、奥州藤原氏との闘いにより
征夷大将軍への就任と全国制覇へ向かってゆく。
義経の任官や頼朝追討の院宣受領と放棄失敗は、後白河上皇との交渉に役立ち、守護・地頭の制度を確立でき、
征夷大将軍となり、西国にも権力を行使してゆくことになる。
しかし、頼朝は53歳で突然の死を迎える。彼の死因は1198年暮れのの落馬によると言われ、
翌年1199年1月に亡くなる。しかし「吾妻鏡」にはその部分が欠落しており、北条氏の陰謀説や怨霊説など
いろんな説が出る元になっているという。
それにしても、不遇な青年時代を経て、貴族政治から武家政治への転換を図るきっかけになったのは素晴らしいこと
であった。
そして、その後北条氏が執権という形で日本の国づくりをしてゆくのに、政子や義時が活躍していくことになる。
物語の展開が楽しみだ。
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クリスマスローズを買ってきた!

2022-03-02 | 日記
先日の日曜日、クリスマスローズを買ってきた。
土曜日のニュースで、隣町の柴田町の観光物産館でクリスマスローズの苗の販売会をやっていることを放送したからでした。
買ってきたのは、白い花の苗と濃い紫色の2種類でした。




わが家のクリスマスローズは寒さでまだ花をつけていませんので、寒さが心配でしたが、とりあえず庭に植え付けをしました。
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