湯野上温泉駅を出て、国道121号線に戻り会会津若松方面に向かう。
途中から左側の山伝いの道に入って登っていくと大内宿への道に出る。
当日は「茶会」があるということで、車もたくさん向かっていた。
大内宿の近くに出ると、駐車場は第3駐車場に誘導された。
そこから少し歩いて大内宿への入り口に入っていった。
大内宿は江戸時代に、「会津西街道」(会津若松市~栃木県日光市)の宿場として栄えたところである。
明治17年(1884年)、新街道がつくられると、旅人の往来は途絶える。約50戸の集落は落ちぶれ、
半農の宿屋が軒を連ねた町並みだけが、打ち捨てられたように残った。
1981年、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されて、ふたたび賑わいを取り戻し、今や年間約80万人
の観光客が訪れるという。
両側に茅葺き屋根、寄棟づくりの屋敷が並ぶ。
人気のねぎそばのお店のある屋敷も、玄関前にはすでにお客様が並んでいた。
宿場の北側の突き当りに行くと小高い山がある。
そこから宿場が一望できるので、みんながそこをめざして上がってゆく。
急な階段の道と坂道をゆく遠回りの道があるが、まだ元気なので階段の道を登る。
途中から左側の山伝いの道に入って登っていくと大内宿への道に出る。
当日は「茶会」があるということで、車もたくさん向かっていた。
大内宿の近くに出ると、駐車場は第3駐車場に誘導された。
そこから少し歩いて大内宿への入り口に入っていった。
大内宿は江戸時代に、「会津西街道」(会津若松市~栃木県日光市)の宿場として栄えたところである。
明治17年(1884年)、新街道がつくられると、旅人の往来は途絶える。約50戸の集落は落ちぶれ、
半農の宿屋が軒を連ねた町並みだけが、打ち捨てられたように残った。
1981年、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されて、ふたたび賑わいを取り戻し、今や年間約80万人
の観光客が訪れるという。
両側に茅葺き屋根、寄棟づくりの屋敷が並ぶ。
人気のねぎそばのお店のある屋敷も、玄関前にはすでにお客様が並んでいた。
宿場の北側の突き当りに行くと小高い山がある。
そこから宿場が一望できるので、みんながそこをめざして上がってゆく。
急な階段の道と坂道をゆく遠回りの道があるが、まだ元気なので階段の道を登る。
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