郷が杜備忘録

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今日の読書(パスカルの「パンセ」)

2018-08-14 | 読書
 今日の読書
  「超要約で 世界の哲学 を読む」から

  著者  鷲田 小彌太(わしだ こやた)
  1942年、札幌市生まれ。大阪大学文学部哲学科卒業、同大学院博士課程修了。
  現在、札幌大学教授。


  以下は、本書からの抜粋です。

  手引き 哲学思考のエキスを摑むために
  1 哲学は古代ギリシア生まれで、西欧育ちの学問です。物の見方、考え方です。
  2 本書は哲学書を紹介するものなので、哲学書が残っていないものは、取り上げていません。
  3 哲学は、その内容から3つの流れに大別できます。
   ①人生論(人間と社会はどう生きたらいいか?)
   ②認識論(「対象」はいかに認識できるか?)
   ③存在論(「ある」〔存在〕とはどういうことか?)

   ところが、哲学の主流は、学問としての哲学、すなわち認識論になりました。
   本書は、学知のなかから「追放」された感のある人生哲学にアクセントを置いています。
   「人間はどう生きたらいいのか?」あるいは「社会はどうあればいいのか?」は、人間とその社会が
   解答を求めるもっとも重要な問題だからです。

  5 取り上げたのは100書です。
  6 哲学には「純哲」と「通俗哲学」があります。
    純哲は学知としての哲学(専門家にわかる哲学)をめざします。
    著者は、純哲と通俗哲学(素人にもわかる哲学)を切り離すことには反対です。
    しかし、比較すれば、学知としての哲学を踏まえながらも、通俗哲学をめざしています。


  今日は、27番目、パスカル(1623年~1662年)の「パンセ」の部分を読みました。
  『パスカル氏の死後その遺稿中に発見された宗教及びその他の諸問題に関するパンセ(思索集)』
  (1670年)が初刊時の表題です。

  ◆人間とは何か? 人間の不幸とは何か?
    「人間は、人間存在の実相を見つめようとしません。」
    「人間の自我の本性は、自分だけを愛し、自分のことしか考えません。」
    「人間は、自分自身をではなく、自分を責め自分の欠陥を自覚させる事実に、憎しみを抱き、不満と
    不幸を感じるのです。」

    「私たちの悲惨を慰めてくれる唯一のものは気ばらしです。ところがこれこそ悲惨の中で最大のものなのです。」
    「気ばらしによる楽しみによって、死、悲惨、無知から目をそらし、人生の実相を生きずに、緩慢な死を生きるのです。」

  ◆神とは何か? なぜ神とともにあるのが人間の幸福なのか?
    「人間が、栄光と悲惨、偉大と卑小の背理を生きる中間存在であり、二重存在であり、死すべき存在であるのは、なぜでしょう?」
    「人間の祖アダムが犯した『原罪』のゆえです。」
    「したがって、人間がこの背理を抜け出すには、『原罪』の自覚によって、人間に絶望し、人間以外の、
    以上のものに救いを求めるほかありません。神です。」

    「神と人間の媒介者がキリストです。」
    「キリストによって・おいて、私たちは神を証明し、正しい行いを教えます。」
    「キリストだけが人間の真の神なのです。」
    「しかも、キリストによって自己の悲惨を知り、悲惨からの救済をえるのです。すなわち、幸福をえるのです。」

  ◆三種類の人々
    「三種類の人々だけがいます。」
    「一、すでに神を見いだし、これに仕える人々で、賢明であり、幸福です。」
    「二、まだ神を見いだしていないので、これを求めようとしている人々で、不幸ですが、賢明です。」
    「三、神を見いだしてもいず、求めようともしていない人々で、愚かであり、不幸です。」




   以上の文章は、鷲田氏の超要約の中の文章を、引用したものです。
   パスカルはキリスト教を広めようとする意図があって、いろんな思索を書き溜めてあったようです。
   私にはキリスト教の信心はありませんが、人間とか人生への考え方の参考になると思いました。

   現代の世界の動きには、その底辺には宗教の在り方があるように思っているので、キリスト教に限らず、イスラム教、仏教などに
   関する本も読んでいきたいと思っています。

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