明智光秀の本を読んだ。
NHK大河ドラマでは「麒麟がくる」をやっているが、それがどのような最終回になるかはわからない。
この小説は、昭和45年に「山崎の電撃戦」として刊行されたものである。
作者は笹沢佐保さんで、「木枯し紋次郎」の作家として有名である。
もちろんこの小説も、本能寺の変で信長を自刃させた光秀の三日天下の非運を扱っている。
そしてその動機と実行までの経過を、光秀と虚構の名倉助四郎という人物を配して、光秀のこころの内面を探っている。
光秀は本能寺の変の数日前に、京都の愛宕山に参詣し、連歌百韻の催しを行っている。
その際の読んだ連歌
時は今あめが下しる五月哉 光秀
水上まさる庭の夏山 西坊
花落つるながれの末をせきとめて 紹巴
この連歌については、本能寺の変をほのめかしているということが、あとから言われているようであるが、
作者はそのようには考えていなかった。
変への遠因として、光秀の周りで起こった信長によるショッキングな事件が取り上げられている。
それは、「佐久間信盛、正勝父子追放事件」と「家臣林通勝追放事件」である。
佐久間父子は本願寺攻めの不首尾の責任と数年も前の朝倉攻めの時の信長への反抗を持ち出して、高野山へ追放している。
林通勝は24年も前の信長の家督相続問題に際して、弟信行を立てようとしたことへの追及であった。
その時に、信長は光秀の軍功をたたえて、佐久間らを叱責しているのである。
このことが「明日はわが身」と光秀にはとらえられたという。
というのも、信行の遺児・織田信澄に二女を嫁がせていた。
そして、もう一つが光秀が信長と足利義昭との仲介者であり、信長は将軍義昭を追放し足利幕府を倒したが、
義昭は備後に匿われていて、信長に反抗しているからである。
そしてその後は重要な役を与えられず、家康のご馳走役などを任され、さらに秀吉の毛利攻めに加わって義昭討ち取りを命ぜられ、
できなければ自分も切腹か追放されるとギリギリの選択に迫られ、反旗をひるがえしたのではないか、と作者は解釈している。
それにしても、本能寺の変で信長、そして嫡男の信忠を滅ぼした後のことについて、光秀はその後の構想をいくつも考えていたが、
すべてにおいて思う通りには行かなかったということも、三日天下の要因であった。
1つはもちろん、秀吉など遠隔地に遠征しているものは戻ってこれないので、その間に畿内を固めようとしたことが、秀吉が予想を
越えた速さで戻ってきたことである。
2つは、力になってくれると思っていた細川父子や畿内近辺の武将、高山や中川、筒井順慶などが、味方にならなかった。
3つは、後継者と思っていた織田信澄が応援に駆け付ける前に大阪で討たれてしまったことも大きかったという。
4つめは、脅威と考えていた徳川家康が当時大阪や堺の周辺に少数の供を連れていたので、その場で討ち取ってしまいたかったのが、
逃げられたこともあった。このことは家康にとって最大の脅威だったようであるが、そこを脱出できたことが、その後の成功(徳川幕府
の創設)につながっていったよう気がする。
この本能寺の変は、天才信長の敗北により、秀吉が躍り出て、最後に信長の同盟者家康が天下を治めるというように、16世紀から17世紀に
変わる時点で、大きな転換期を作ったように思われる。
これを書いていて、大河ドラマの「麒麟」とは、「家康」ではなかったのか?と思えてきた。