文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

ことあるごとに日本にこじつけを言うのは、天に唾する行為と言われても仕方がないような気がする。

2022年02月10日 17時33分28秒 | 全般
見出し以外の文中強調は私。
朝鮮時代の女性は両班の性奴隷的な存在 
次ページの2枚の写真は李氏朝鮮末期の女性と両班の姿を写したものだ。
9~10歳ほどの妓生に4人の両班が酒席で酌をさせている様子や朝鮮の女性が胸を哂すことに性的羞恥心を感じないで暮らしている様子が捉えられている。 
朝鮮の婢(奴婢階級の女性)は、奴(奴婢階級の男性)の下女でもあった。
1660年代の朝鮮を見たオランダのヘンドリック・ハメルは、政治的権力を有する家門の両班が2~3,000人もの奴婢を所有していたと記録している。 
奴婢の身分の女性はすべて両班の財産であり、両班の意のままになる性奴隷でもあった。
彼女たちが産んだ両班の子供はみな奴婢となったが、両班はそんな子供たちに全く関心を示さなかった。 
一方、奴婢間の恋愛はご法度で、それを犯した女性は過酷な拷問を加えられて殺されたが、両班の監視の目をかいくぐって恋をはぐくむ奴婢もたくさんいた。
そのため、両班はもちろん、王宮にも梅毒が流行っていたであろう。
梅毒から逃れるために王室では世子が選ばれると直ちに幼い少女と結婚させていたが、世子が王位に就けば、王室という花園にいる美しい宮女たちはすべて彼のものになった。
だが、王のお目に適うほどの宮女であれば、既にほかの男性と関係して梅毒にかかっている確率が高かったはずで、王といえども梅毒と無縁ではいられなかったのである。 
朝鮮の女性は両班のために働く代価の要らない奴婢であり、彼らに性を捧げる性奴隷だった。
文玉珠を始め、20数名の大邸の女性は日本軍兵士と愛を交わした。
日本軍の将兵から受け取った花代とチップを故国に持ち帰って貧しさから解放された生活を送ることができたのに対し、朝鮮時代の両班は女性を奴婢として、性奴隷として酷使しておきながら、花代を払うどころか虐待を厭わなかった。 
ところで、最近「パワハラ」が社会問題になっている。
中には、外国労働者に対してパワハラを通り越してヒステリックな虐待を加える場合もあるという。
これは多分に朝鮮人のDNAからくるものであろう。 
韓国人は日本が帝国主義国家だったと批判し、帝国主義の象徴である日章旗を憎悪しているが、こうして、朝鮮と日本の姿を比べてみると、果たして韓国人に日本人を非難する資格があるのか疑問に思わざるを得ない。
ことあるごとに日本にこじつけを言うのは、天に唾する行為と言われても仕方がないような気がする。
 
中国の蛮行"還郷女" 
李朝五百年間、現在のソウルの西方面、独立門のあたりに迎恩門があった。
宗主国である中国からやって来た使臣を迎える施設であった慕華館の前に建てられた門で、恩恵の国、中国からやって来た使臣を朝鮮王が自ら出向いて迎えた門だ。
1896年に独立協会がこの門を壊してその前に独立門を建てたが、2個の柱礎が文化財史跡第33号に指定されている。 
当時の中国の横暴は尋常ではなかった。
この国が最も喜ぶ贈り物は貢女であり、奴婢より官吏の娘を望んだ。
太宗8年(1408)、中国に贈る若い女性を選ぶ席で、平城君こと趙狷の娘が中風に罹ったように囗をぴくぴくさせ、李朝参議・金天錫の娘は首を左右に大きく振って狂ったふりをし、軍資監の李雲路の娘も足が不自由なふりをした。
これに怒った中国の使臣・黄儼は彼女たちの父親を流刑に処して、官職から退かせた。 
京畿道議政府市には「義順公主の墓」がある。
丙子胡乱直後の中国は王族から貢女を選んでささげるように命じた。
これに第17代孝宗が悩んでいると、王族の錦林君が娘を差し出した。
孝宗は有難く思い、その娘を義順公主と名付けて自らの養女にした。
彼女は清国の容親王の後宮となったが、その後白羊王の息子の側室になり、さらに先王の部下の伯楽の側室となった。
伯楽が亡くなると彼女は寄る辺ない身の上になったが、中国に使臣として派遣されていた父、錦林君が懇請して連れ帰った。
故国に帰った彼女は、7年間も中国で身を汚した「還郷女」と周囲の人々から蔑視され、1662年8月に28歳の若さでこの世を去った。 
毎年議政府市では市役所主催の鎮魂の行事が盛大に行われている。
しかし、参加者にとってはマッコリを振る舞ってくれる行事でしかない。
かつて中国に連れて行かれ、用済みになって帰ってきた女性たちは「還郷女」と呼ばれた。
彼女たちがあれほど懐かしがった故郷は、故郷ではなく地獄だった。
故郷の人々は「還郷女」と呼んで彼女たちを蔑んだ。
無理やり連れて行かれて辛酸をなめた女性は、従軍慰安婦ではなく、還郷女だ。 
中国が作った還郷女と共産主義者たちが作った「神聖な慰安婦」、この2つについて再度考えてみる。
日本軍慰安婦は1937年から1945年までわずか8年足らず存在したにすぎない。
文玉珠は花代やチップを受け取り、人気者にもなった。
貯金をしたりダイヤの指輪やワニ革のバッグを買ったりしてそれなりに楽しく暮らし、年老いてからも懐かしく思い出すほどだった。
これに対し、500年間中国に貢物として連れて行かれた数多くの貢女はそれっきり人生そのものを奪われた。
東豆川の慰安婦 
売春の歴史は人類が誕生してから、国や社会を問わず存在して来た。
売春にもシステムがある。公娼と私娼だ。
公娼は国家が特定の地域を定めることで売春が一般家庭匚忠影響を及ぼすのを防ぎ、売春婦に定期検診や衛生管理を施すが、私娼は遊郭や酒場などで市場原理に基づいて個人的に営まれる。 
アメリカ軍政は1947年11月に「公娼制度廃止令」を発して、30年以上運営されてきた韓国の公娼制度を廃止した。
売春は自由市場主義の下での私娼システムに委ねられることになった。
アメリカ軍の駐屯部隊の周辺にあって繁盛していた私娼窟にはいわゆる「洋公主(西洋人相手の娼婦)」がうようよしていた。
その数は百万人を超えていたという説もあるほどだ。
日本軍は1937年から1945年8月まで国家が将兵たちの健康と慰安婦の健康に配慮し、料金まで厳格に監理していたが、アメリカ軍は1945年9月に韓国に進駐して以来、売春問題を洋公主システムに委ねてきた。 
韓国国内の性的需要のために、朴正煕政権は1961年に公娼制度を導入して娼婦に衛生管理と治安サービスを提供したが、廬武鉉政権は何の対策も立てないままこれを廃止した。 
ところで、2018年2月8日、奇妙なニュースがあった。
東豆川の洋公主が政府に対して損害賠償請求訴訟を提起していたが、この事件を審理しているソウル高等裁判所の裁判官が彼女たちを「東豆川の慰安婦」と新たに定義したというものだ。 
同法院の22部民事部のイーボムギュン部長判事は、1960年~80年代の政権がアメリカ軍との軍事同盟強化と外貨獲得のために基地村を運営し、女性たちに売春あっせん業者教育までさせたという趣旨の判決を出した。
報道によると,
米軍基地で売春していた117人の女性が国を相手に損害賠償を求め、同判事は彼女たち全員に700万ウォン(性病罹患者)または300万ウォンずつ賠償するよう命じた。
同判事のこの判決は,
李承晩、朴正煕及び全斗煥政権をあたかも売春あっせん政権であったかのごとく仕立て上げて、米韓同盟を売春同盟と、韓国経済を売春経済と見做したも同然である。 
米軍の基地村で30数年の間に性売買をしていた女性がどれぐらいいたのか?
前述の通り100万人だとする説もある。
このうちわずか117人が国を相手取って訴訟を提起した。
国家がポン引きの役割をしたとしたら、国は売春婦が稼いだ花代からどれぐらい着服していたのだろうか?
彼女たちはこの判決に歓喜の声を上げたというが、彼女たちを喜ばせたものは何だったのか?
賠償金の金額か、名誉か、それとも李承晩、朴正煕及び全斗煥政権にポン引きの烙印を押し、米韓同盟を売春同盟、韓国経済を売春経済と定義したことか?
もしも後者の場合であったとしたら、訴訟を提起したのは「東豆川の慰安婦たち」の意思に依るものではないような気がする。
 
米韓同盟を売春同盟だと認定した判決 
2018年2月、ソウル高等裁判所で誕生した「アメリカ軍慰安婦」という言葉は、反米反国家思想に基づく政治的産物だ。
李承晩・埜正煕・全斗煥、そして韓国とアメリカを一挙に窮地に追い込むために意図的に作り出されたものだが、皮肉にもそのことで彼らは自分で自分の首を絞めるはめに陥った。
日本軍慰安婦の誕生秘話を知らなかった多くの国民に、期せずして、あの東豆川慰安婦と日本軍慰安婦が本質的に同一であることを教えてしまったからだ。                        
高等裁判所の判決は、美しく高貴なイメージで神格化されてきた日本軍慰安婦の実体を白日の下にさらす結果となった。
日本軍慰安婦とアメリカ軍慰安婦の違いは、雇用主が日本政府か李承晩・朴正熈・全斗煥政府かという点だけだと。 
東豆川慰安婦には花代を定めた料金表も明文化された規律もなかった。
「洋公主」の権益と花代を定めるアメリカ軍司令部レベルの命令もなかったし、韓国の歴代政府も作らなかった。
韓国政府もアメリカ軍当局も彼女たちを放置したまま、「市場経済システム」に任せていたと言える。
これに対し、大日本帝国は一般家庭の女性を日本軍兵士による強姦被害から守るために慰安婦制度を導入して国の体面を守った。 
前述の裁判でイ・ボムギュン判事は、李承晩・朴正熈・全斗煥各政権はアメリカ軍を韓国につなぎ留め、同時に経済的発展のためのドル獲得の手段として自ら洋公主を養成してアメリカ軍に提供した、彼女たちは韓国政府の犠牲となった気の毒な女性たちだと結論づけた。 
日本軍慰安婦を神聖視する韓国の自称人権擁護派は、日本や中国、台湾、タイ、ビルマ、さらにはオランダ出身の日本軍慰安婦については一切語らない。
これらの国々の女性よりも恵まれた待遇を受けていたという点についても語ったことがない。
もう語るべきではないかと思う。 
同じ日本軍慰安婦をしながら、他の国々の慰安婦が恵まれた扱いを受けていたにもかかわらず、朝鮮半島出身の慰安婦だけが冷遇されていたと言うのであれば、その理由について説明できるはずだが、それもしていない。

 


 
 
 
 

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