文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

昭和30 (1955)年…「よく来たね」「日本のおかげだよ」と引っ張りだことなって歓迎された史実もほとんど知られていない。

2022年08月15日 11時55分02秒 | 全般

独立宣言の意外な表記
スカルノらはインドネシア人だけで宣言書を起草した。

強制されていないのに、先の大戦に敗れた直後の日本の紀年法を独立宣言書に用いた意味は重い。
日本を侵略国と断罪する自虐史観では説明できまい。
日本は先の大戦で、植民地支配していたオランダをインドネシアから追い出し軍政を敷いた。
愚民化政策のオランダと違って、日本は官吏育成学校や師範学校などを設け、国づくりに必要な教育を始めた。
祖国(郷土)防衛義勇軍(略称PETA)を作り、38,000人のインドネシア青年を訓練した。
彼らは大戦後、再び支配しようと乗り込んできたオランダ軍を相手に独立戦争を戦う中心となった。
日本へ引き揚げずにインドネシア独立の戦いに身を投じた日本軍将兵は1000人から2000人いたとされる。

平成27 (2015)年のことだ。
安倍晋三首相(当時) はインドネシアで開かれた「アジアアフリカ会議(バンドン会議) 60周年記念首脳会議」出席の際、国立英雄墓地を詣で、残留日本兵の墓前に献花した。
その静かな意味をきちんと報じたメディアは見当たらなかった。
昭和30 (1955)年に同国で開かれた第一回アジア・アフリカ会議に日本代表団が招かれ、「よく来たね」「日本のおかげだよ」と引っ張りだことなって歓迎された史実もほとんど知られていない。

今日の産経新聞・第一面の記事からである。

 

 

 
 
 
 
 
 


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