文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

私は、ヤルタ協定についてはいまでも講義の冒頭に、「千島列島はソ連に引き渡される」などの英語の原文全体を示して、その不法と非正義を日本の若者たち に教え続けている

2020年08月13日 10時22分23秒 | 全般

以下は、「日中国交正常化」は誤りだった、と題して、発売中の月刊誌Hanadaセレクションに掲載された、国際教養大学学長中嶋嶺雄の論文からである。【「WiLL](花田紀凱責任編集)2012年10月号】
日本国民のみならず世界中の人たちが必読の論文である。
台湾との断交は歴史的な過ち
来る2012年9月29日は日中国交樹立40周年であるが、日本政府は日中国交の代償として、台湾(中華民国)との外交関係をこの日に断絶した。
具体的には、当時の田中角栄首相と大平正芳外相による北京での日中共同声明と同時に、大平外相によって日華平和条約の終結が声明されたのである。 
1952年4月28日に台北で締結された日華平和条約は、その前文に「歴史的及び文化的のきずなと地理的’の近さとにかんがみ……」とあり、この条約によって日本と中華民国との戦争終結が確認されたばかりか、両国の友好親善が図られることになることが明記されており、わが国にとっては他のいかなる条約よりも重要な二国間の公約だといえよう。 
台湾との歴史的かつ文化的な深い絆と地理的な近さについては、ここに見た条約前文のとおり、いまさら言うまでもないが、わが国は台湾(中華民国)との間に日華平和条約を擁して正式な外交関係を保持していたのに、それを一方的に断交したのであった。
蒋経国総統が日華間の断交に際し、『文塾春秋』1972年10月号に「断腸の記」を書かれているが、むべなるかなと言わねばならない。 
このような過去があったにもかかわらず、現台湾政権の馬英九総統は去る8月5日、日華平和条約発効60周年記念の式典を台北市内で催している。
そこで「東シナ海平和イニシアチブ」構想を提起した背景には、尖閣諸島の領有権を中国側と競おうとする意図とともに、「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と明言されている李登輝元総統との見解の相違を示そうとした意向があったであろうことは否めない。
いずれにせよ、台湾(中華民国)にとって日華平和条約は、戦後東アジア政治における大きな要だったのである。 
ところで、私はかつて中ソ対立を研究テーマにしていたこともあり、1978年に締結された「覇権条項」入りの日中平和友好条約を批判する立場から、北方領土問題でもしばしば発言してきた。
北方領土問題は爾来30余年を経た今日でも未解決であるが、当時の私の主張は、中ソの深刻な対立の時期こそ北方領土問題を解決すべきチャンスであり、日本は北方領土の四島の主権は主張しつつも、当面は歯舞、色丹の二島の返還を実現し、択捉、国後を含む北方領土四島を共同利用に持ち込むべきだというものであった。 
しかし、当時の日本政府・外務省は「中国には甘くソ連には厳しい」戦後日本外交の習性どおりに、中国の主張を容れて日中平和友好条約を締結し、ソ連側を怒らせて対ソ外交ではなんらの成果もなかった。 
当時の福田政権のなかでは、福田赳夫首相自身はかなり慎重であったが、これまたシナリオを持たずに日中外交を担うことになった園田直外相の急ぎ足の外交姿勢も災いして、日中平和友好条約をほとんど無条件で締結したのであった。
「法と正義」に照らせば その結果、ソ連は日本に対してまったく何も提供することなく終わった。
今日問題になっている北方領土の問題も、このときに対中・対ソ戦略を練ってソ連に強く要求すれば四島返還もあり得たのではないか、と私は思う。 
去る6月中旬に、わが国の野田佳彦首相はメキシコでのG20首脳会談に際して、ロシアのプーチン大統領とようやく初めて短時間の首脳会談に臨んだが、野田首相の言う「法と正義」に照らせば、日ソ間(日口問)の最重要な出来事は、ソ連が対独戦争勝利後に日ソ中立条約に違反して敗戦直前の日本に対して宣戦し、しかも長崎に原爆が投下された8月9日にソ満国境を越えて攻撃を仕掛け、その直後に、わが国の北方領土を不法占拠したことである。 
その根拠を与えたのが、米英ソ三国首脳による1945年2月のヤルタ秘密協定であった。
私は、ヤルタ協定についてはいまでも講義の冒頭に、「千島列島はソ連に引き渡される」などの英語の原文全体を示して、その不法と非正義を日本の若者たち
に教え続けている。 
しかもこの協定については、当事国のブッシュ大統領(当時)も、2005年5月にラトビアで催された対独戦勝60周年式典に出席して、ヤルタ協定は「歴史の最悪の誤り」であったと認めているところである。 
わが国の外務省もロシア問題専門家も、北方領土問題についてはヤルタ協定にまで遡り、スターリンの対日戦略を糾弾することから始めるべきだ、と私は考えている。
ただ、残念ながら日本は敗戦したのだから、北方四島の返還については、主権を一貫して唱えつつ、まず二島返還を実現したうえで四島の共同利用を図るべきだというのが、当時の私の意見であった。 
このように、国家間の条約を一方的に無効にして対日参戦した当時のスターリンのソ連を批判すべき歴史
的根拠をわが国は有しているのだが、その日本が台湾に対して日華平和条約を一方的に廃棄して国交を断絶するという挙に出たのであった。
いかに日中国交の代償であったとはいえ、「法と正義」に照らしても、外交上はしてはならないことであった。
この稿続く。


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