以下はWill7月号増刊歴史通が故渡部昇一氏を特集し、永久保存版とした論文集からの続きである。
作家・井伏鱒二最大の傑作といわれる作品に『黒い雨』(新潮文庫)があります。
「原爆文学」の最高峰に位置づけられ、井伏が文化勲章を受章するきっかけになった作品です。
ですがこの『黒い雨』は、重松静馬という人物が書いた『重松日記』の剽窃だったことが、猪瀬直樹氏『ピカレスク』(小学館刊)のなかで暴かれています。
それだけでなく、井伏の最初の作品『山椒魚』がロシアの風刺文学作家サルティコフ=シチェドリンの『賢明なスナムグリ』にそっくりなことを明かし、「さよならだけが人生だ」という漢詩の訳文など、井伏の作品の多くが盗作やリライトだったことも明らかにしています。
これだけのことが書かれているにもかかわらず、このことは文壇からは無視あるいは黙殺されてしまったのです。
朝日新聞などは、作家による盗作が露見するとこれでもかと書きたてるのに、指弾しませんでした。
思うに、もしこのことを取り上げて検証したならば、井伏氏に文学賞などを与え「井伏神話」をつくってきた人たちの面子が立たないからでしょう。
マッカーサーの証言が黙殺されたこともまさにそれと同じことで、ですから「井伏鱒二現象」だと言ったわけです。
しかしマッカーサー証言黙殺については、井伏の行為よりも、何百倍もの害悪と禍根を残しました。
黙殺されたまま、今日まで日本人のほとんどが知らない一方で、「日本悪しかれ」史観の立場に立つことで、出世したり利権をむさぼりつづける大学教授ら知識人やジャーナリストたちが平然といるわけです。
この輩にとっては、東京裁判を命じた張本人であるマッカーサーに、「日本は自衛のために戦争をした」と言われてしまったら、面子が立たないどころか立場が危うくなってしまう。だから世に知らしめることをしなかったのでしょう。