以下は前章の続きである。
なぜ開戦を止められなかったか
昭和天皇がもう一度、発言なさったのは終戦時だった。
開戦時には発言されず、終える時に発言された。
これを左翼や外国人は、戦争を終わらせることができる人が、なぜ始める時に止めなかったのか、だから天皇には戦争責任があると言う。
天皇陛下が戦争を望まれなかったのは明らかだが、立憲君主制というものを叩き込まれていたため、内閣が決めたことは全部、了承されたのである。
日米開戦前の9月6日の御前会議では、明治天皇の御製「四方の海 みなはらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」を3回詠まれたように、時に呟かれるようにご希望を表されたこともあったが、止めろと命令されるお立場ではなかった。
しかし終戦時は、徹底抗戦を主張するものと、ポツダム宣言を受諾したほうがよいと主張するものに割れていた。
本当は首相が採決し、決定すればよかったことだが、鈴木貫太郎首相は「私たちには決められません。陛下がお決めください」と言った。
このあたりが鈴木首相の賢明なところだ。
天皇陛下は、内閣が行政を投げ出してしまったので仕方なく、「外務大臣の意見に賛成である」、すなわちポツダム宣言受諾を支持するとおっしゃった。
だから、終戦を決定することができた人がなぜ開戦を止められなかったのかという議論は、日本のような立憲君主制の国では無意味なのである。
内閣が機能している時は、天皇陛下は口出しできない。
口を出したがために田中義一首相が死んでしまったので、いっそうそれができなくなっていた。
いまから振り返れば、天皇陛下に口を出して頂きたかったことがたくさんある。
三国同盟にしても、「あれはよくない」とはっきり言っていただきたかったと思う。
しかし天皇陛下のご意思は、雰囲気が伝わってくるようなものでしかなかった。
無視しようと思えば、どんどん無視できるような状況だったのである。
軍人世界は下剋上の雰囲気に満ち、軍人勅諭の「政治に拘らず」は全く無視されていた。
下剋上の軍人のなかには、コミンテルンと通ずる思想の者たちがいたという指摘もある。
天皇陛下が、立憲君主制というものについての教育を受けられすぎたことが悲劇の一つではなかっただろうか。
この稿続く。
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