文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

寺内大将が気に入らないとした人たちは内閣を成立させるために入閣を辞退し、陸軍との妥協が成立して廣田内閣は発足した。

2019年06月03日 17時05分50秒 | 日記

以下は前章の続きである。
天皇に背いて軍国主義へ 
しかし2.26事件のあと、この天皇陛下のお怒りを十分に反映するような内閣ができなかった。
岡田内閣の後継首班として西園寺公望が推挙したのは近衛文麿だったが、近衛は病気だとして逃げ、組閣の大命を受けた宇垣一成大将は、自分の古巣の陸軍の反対のため組閣できずに、結局、廣田弘毅に組閣の大命が下ることになった。 
2.26事件後、陸軍は粛軍と称して最年少の3人を残し、7人の陸軍大将を現役から外していたが、その残った3人のうちの一人、寺内寿一大将が陸相就任を求められた。
ところがその寺内大将は、吉田茂など他の閣僚予定者を聞くと著しく不満であるとし、「入閣を辞退したい」とゴネてしまった。 
自分の気に入らない人物を入閣させる内閣では協力できないというのだ。
陸軍が代わりの大臣を出さないかぎり、組閣は不可能になる。 
このような状況のなかで、廣田首相は陸・海軍大臣の現役武官制を復活させてしまった。
2.26事件のあと、3月9日に首相になった廣田は、その年の5月18日にはやばやと陸海軍大臣・次官は現役にするということを決めたのである。
すると軍が大臣を出さないと言ったら、組閣できなくなるのである。
つまり、内閣を作るも潰すも軍の意向次第ということになった。 
「軍部大臣現役武官制の廃止」は山本権兵衛内閣の時、木越安綱陸相が自分の前途を棒にふる大変な努力をして成し遂げたものだった。
それを2.26事件のような騒ぎを恐れた廣田首相は、予備役・後備役のなかから陸軍大臣を選ぶ道をなくし、現役から選ぶより仕方がなくなった。
これは廣田首相最大の失策であり、日本の悲劇の本当の出発点と言えるだろう。 
結局、寺内大将が気に入らないとした人たちは内閣を成立させるために入閣を辞退し、陸軍との妥協が成立して廣田内閣は発足した。
しかし、その2ヵ月後には寺内陸相と永野修身海相が結託して「陸・海軍大臣および次官は現役軍人とすること」という「軍部大臣現役武官制」の復活を提案し、これが通って勅令も出されることになってしまったのである。 
「軍部大臣現役武官制」復活の理由としては、現役ではない大将が大臣になると、2.26事件の黒幕と言われた眞崎甚三郎大将のような人が内閣に入る恐れがあるということだったが、これはただの口実にすぎない。
実際は、軍部の賛成を得ない組閣は一切できないようにすることが真の狙いだった。
こうして日本の政治は軍部に乗っ取られることになったのである。 
宇坦大将の組閣に陸軍がゴネた時、天皇陛下が「組閣の大命を受けさせないとは何事か」とおっしゃっていればと悔やまれてならない。
なぜなら、2.26事件からのこの一連の天皇陛下のご意思に背いた出来事が、立憲政治を葬り、日本を軍国主義へと押しやり、敗戦への道筋をつけたからだ。
この稿続く。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。