文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

2000年、辛淑玉が編集委員に参加。*特に呆れたのが、この項目である*

2019年09月18日 23時05分27秒 | 日記

以下はウィキぺディアからである。

文中強調は私。
『金曜日』(きんようび、通称週刊金曜日)は、株式会社金曜日が発行する主に政治・社会・環境問題を扱う週刊誌。
「スポンサーや広告主に阿らずに市民の立場から主張できるジャーナリズム、権力を監視し物申せるジャーナリズム」を目指し、また、休刊した『朝日ジャーナル』の思潮を受け継ぐものとして創刊。「日本で唯一の、タブーなき硬派な総合週刊誌」を標榜しており、反戦・人権・環境問題など市民運動・市民活動の支援、体制批判を主に扱っている。最近の特集としては、テレビ・新聞業界のタブーに迫った「電通の正体」、メーカータブーに迫る「トヨタの正体」など。憲法改正論議では、一貫して護憲の立場を取っている。誌名の名付け親は久野収。戦前(1936年 - 1937年)に久野と中井正一らが発行した週刊『土曜日』と、フランス人民戦線の雑誌『Vendredi(金曜日)』にちなむ。
中略
創刊当初5万3千部だった定期購読部数は、現在1万3千部。
中略
先述の通り護憲の立場を取るため改憲問題には批判的で、北朝鮮への経済制裁についても批判的記事が多い。
中略。
また、天皇制廃止論の立場からの論説がしばしばみられ、保守派だけでなく天皇に好意的な左派、あるいは天皇や皇族自身の言動も批判対象にしばしばされる。
1993年7月-10月、創刊準備号として『月刊金曜日』という名称の月刊誌を発行。編集委員は石牟礼道子、井上ひさし、久野収、筑紫哲也、本多勝一。『月刊金曜日』は、7月号から10月号まで計4号発行される。初代編集長・発行人は和多田進。
1993年11月、創刊。創刊号より椎名誠が編集委員に参加。
1994年-1995年、社内不祥事による和多田の急な辞任により、編集長・発行人は本多が引き継ぐ。この後、石牟礼と井上が編集委員を辞任。本多の編集後記のよると、石牟礼はもともと金曜日創刊の最初の段階だけ手伝うという約束で編集委員を引き受けていたという。これに対し井上は、(路線の対立かどうかは定かではないが)本多が編集長に就任して以降、誌上に登場することはほとんどなくなっていた。その後、佐高信と落合恵子が編集委員に参加。
1995年-1997年、編集長は本多
1996年、副編集長(デスク)として松尾信之が入社
1997-2001年、編集長は松尾信之
2001年、編集長は松尾からデスクの黒川宣之に交代。発行人は本多から黒川に交代。
1999年、久野収死去。
2000年、辛淑玉が編集委員に参加。*特に呆れたのが、この項目である*
2000年-2002年、編集長が朝日新聞OBの岡田幹治に交代。同性愛者に関する掲載記事の表現が誌上で論争となり、辛が編集委員を辞任。
2004年、編集長が岡田から元『サンデー毎日』編集長の北村肇に交代。
2005年、石坂啓が編集委員に参加。また外部のライターが時事通信と共同通信の配信記事を盗用していた件で同年10月4日に両社に文書で謝罪した。黒川、2期6年の任期満了で発行人を退任(再々任を認めない社の方針に従う)。後任に佐高。
2007年12月、椎名誠が編集委員を辞任。雨宮処凛が編集委員に参加。
2008年11月、筑紫哲也死去。
2009年1月、宇都宮健児、中島岳志、田中優子が編集委員に参加。
2010年10月、佐高が発行人を退任し、北村が新発行人に就任。編集長には前副編集長の平井康嗣が2016年10月まで就任。
2016年11月から小林和子が編集長に就任。(発行人は北村のまま。)


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