goo blog サービス終了のお知らせ 

文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

病気や障害がある人、高齢者や乳幼児にとっては、停電は命にかかわる。救命活動や安否確認の重大な支障にもなる。

2018年09月08日 22時00分44秒 | 日記

電気で増幅して初めて聴ける音楽…エレクトリックサウンドのグループ、YMOの一員として大ヒットを飛ばして有名になり大金も得て日本を離れ、ニューヨークで生活をエンジョイしていた坂本龍一を更に有名にしたのが戦場のメリークリスマスだったのだろうが…。

日本は捕虜に対して世界一と言っても良いくらいの待遇を行って来た事は、歴然たる事実である。

第二次大戦において捕虜に暴力を振るう虐待行為を行ったのは朝鮮人達(当時は日本国民だった)だったこと…長引く戦争と拡大する戦線の中で、人員が不足した日本軍は、それまでは徴用していなかった朝鮮半島の男たちを看守に任用した…それが裏目に出た事を戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は明らかにして教えてくれている。

対外的な物事は日本人だけで行わなければならない…朝鮮半島の人間に関わってはいけない、との自戒と教訓を込めて。

あの映画は、看守たちが朝鮮人であった事を伝えてはいなかったと思う。

私は、ビジネスマンとして最盛期の日々を過ごしていた時分、行きつけの北新地の日本料理店で何度か遭遇していた映画監督大島渚氏については、彼が京大卒業生だった事もありシンパシーも感じていた。

一度も話した事はなかったのだが、ある時、大島渚夫妻から一緒に食事をしたいとの誘いを受けた。

私は喜んでと応諾したのだが…。

当時の私は一番仕事をしていた時期で商談が長引き、約束の時間はとうに過ぎてから、やっと店に到着した。

まだ部屋にいた大島氏からは、彼の帰り際に(会食&会話できなかった残念さをお互いに持ちながら)黙って会釈…以来、彼と会った事はないが…。

彼の映画については、私は一切の批判をしない。

さて、この坂本龍一は、朝日新聞の社説…論説委員たちの論説だけで出来ている頭脳の持ち主である事を晒して、今は、原発絶対反対運動の旗手の一人であるらしい…

若宮好文と筑紫哲也が対談して明かしたというとおり、頭の悪い芸能人やスポーツ選手などに社説をあてがって世論を形成する…

坂本はうってつけの人間なのだろう…

そんな話を読書家の友人に話したら、「彼は娘に対してDVを振るっていた男ですよ…」

「そういう人間である事は、彼の顔に書いてあるじゃないか」、そんな会話もあった。

原発絶対反対デモに登壇して「たかが電気…」と発言した事を、検索して来た時に知って、先日書いた。

坂本龍一は、北海道の道民の前に現れて、その発言をしなければならないのである。

同時に朝日新聞の論説どおりの意見を持っている人たちが多いと言われる北海道の人たちも、彼らの言う事を聞いていたら、どうなるか、ということを今回は身に染みて知ったはずである。

以下は昨日の産経新聞の社説からである。

見出し以外の文中強調は私。

「完全復旧」に総力挙げよ

北海道で最大震度7の地震があった。

震源に近い厚真町では民家と住民を巻き込む大規模な土砂崩れが発生した。 

さらに、同町にある北海道電力の苫東厚真火力発電所の緊急停止が引き金となって、道内全域の295万戸への電力供給が止まった。「ブラックアウト」とも呼ばれる大停電である。

人命救助、被災者らの安全確保とともに、全道民約530万人の生命線である電力の早期復旧に総力を挙げなければならない。

世耕弘成経済産業相は6日午前、北海道の大停電は「完全復旧に、少なくとも1週間以上かかる」との見通しを示した。

苫東厚真火力発電所の1、2、4号機はタービンからの出火とボイラーの損傷で、復旧に1週間以上を要する。

3基の合計出力は165万kWで、地震前日のピーク時の需要の4割強に相当する。

一部の地域は6日午後に停電が解消された。

しかし、他の火力、水力発電所をフル稼働し本州から送電を受けても、7日から供給できるのは290万kwにとどまるという。 

電気は現代社会に光と熱と情報を供給する最も重要なインフラである。

病気や障害がある人、高齢者や乳幼児にとっては、停電は命にかかわる。

救命活動や安否確認の重大な支障にもなる。

命を守ることを最優先に、当面は限られた電力で、住民の不安と不便を緩和する必要がある。

電源車の派遣をはじめ可能な限りの支援をしたい。

国、道、北海道電力と全国の電力会社は総力を結集して、完全復旧を早めてもらいたい。

ブラックアウトは、電力の需給バランスが崩れ、1つの発電所の停止がドミノ倒しのように連鎖して広域大停電に至る。

電力会社が最も恐れる事態である。 

東日本大震災の直後には、東京電力はブラックアウトを回避するために計画停電を実施した。

福島第1原発事故の後、国内の原発は運転を停止し、再稼働の進捗は遅い。

北海道電力の泊原発も停止中だ。

べースロード電源である原発にブラックアウトのリスクを小さくする役割があることを、再認識すべきである。

大停電が回避できたとはかぎらないが、泊原発が稼働していた方が危険度は低く、復旧の主力になったはずだ。

 


電気は現代社会に光と熱と情報を供給する最も重要なインフラである。

2018年09月08日 21時59分59秒 | 日記

電気で増幅して初めて聴ける音楽…エレクトリックサウンドのグループ、YMOの一員として大ヒットを飛ばして有名になり大金も得て日本を離れ、ニューヨークで生活をエンジョイしていた坂本龍一を更に有名にしたのが戦場のメリークリスマスだったのだろうが…。

日本は捕虜に対して世界一と言っても良いくらいの待遇を行って来た事は、歴然たる事実である。

第二次大戦において捕虜に暴力を振るう虐待行為を行ったのは朝鮮人達(当時は日本国民だった)だったこと…長引く戦争と拡大する戦線の中で、人員が不足した日本軍は、それまでは徴用していなかった朝鮮半島の男たちを看守に任用した…それが裏目に出た事を戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は明らかにして教えてくれている。

対外的な物事は日本人だけで行わなければならない…朝鮮半島の人間に関わってはいけない、との自戒と教訓を込めて。

あの映画は、看守たちが朝鮮人であった事を伝えてはいなかったと思う。

私は、ビジネスマンとして最盛期の日々を過ごしていた時分、行きつけの北新地の日本料理店で何度か遭遇していた映画監督大島渚氏については、彼が京大卒業生だった事もありシンパシーも感じていた。

一度も話した事はなかったのだが、ある時、大島渚夫妻から一緒に食事をしたいとの誘いを受けた。

私は喜んでと応諾したのだが…。

当時の私は一番仕事をしていた時期で商談が長引き、約束の時間はとうに過ぎてから、やっと店に到着した。

まだ部屋にいた大島氏からは、彼の帰り際に(会食&会話できなかった残念さをお互いに持ちながら)黙って会釈…以来、彼と会った事はないが…。

彼の映画については、私は一切の批判をしない。

さて、この坂本龍一は、朝日新聞の社説…論説委員たちの論説だけで出来ている頭脳の持ち主である事を晒して、今は、原発絶対反対運動の旗手の一人であるらしい…

若宮好文と筑紫哲也が対談して明かしたというとおり、頭の悪い芸能人やスポーツ選手などに社説をあてがって世論を形成する…

坂本はうってつけの人間なのだろう…

そんな話を読書家の友人に話したら、「彼は娘に対してDVを振るっていた男ですよ…」

「そういう人間である事は、彼の顔に書いてあるじゃないか」、そんな会話もあった。

原発絶対反対デモに登壇して「たかが電気…」と発言した事を、検索して来た時に知って、先日書いた。

坂本龍一は、北海道の道民の前に現れて、その発言をしなければならないのである。

同時に朝日新聞の論説どおりの意見を持っている人たちが多いと言われる北海道の人たちも、彼らの言う事を聞いていたら、どうなるか、ということを今回は身に染みて知ったはずである。

以下は昨日の産経新聞の社説からである。

見出し以外の文中強調は私。

「完全復旧」に総力挙げよ

北海道で最大震度7の地震があった。

震源に近い厚真町では民家と住民を巻き込む大規模な土砂崩れが発生した。 

さらに、同町にある北海道電力の苫東厚真火力発電所の緊急停止が引き金となって、道内全域の295万戸への電力供給が止まった。「ブラックアウト」とも呼ばれる大停電である。

人命救助、被災者らの安全確保とともに、全道民約530万人の生命線である電力の早期復旧に総力を挙げなければならない。

世耕弘成経済産業相は6日午前、北海道の大停電は「完全復旧に、少なくとも1週間以上かかる」との見通しを示した。

苫東厚真火力発電所の1、2、4号機はタービンからの出火とボイラーの損傷で、復旧に1週間以上を要する。

3基の合計出力は165万kWで、地震前日のピーク時の需要の4割強に相当する。

一部の地域は6日午後に停電が解消された。

しかし、他の火力、水力発電所をフル稼働し本州から送電を受けても、7日から供給できるのは290万kwにとどまるという。 

電気は現代社会に光と熱と情報を供給する最も重要なインフラである。

病気や障害がある人、高齢者や乳幼児にとっては、停電は命にかかわる。

救命活動や安否確認の重大な支障にもなる。

命を守ることを最優先に、当面は限られた電力で、住民の不安と不便を緩和する必要がある。

電源車の派遣をはじめ可能な限りの支援をしたい。

国、道、北海道電力と全国の電力会社は総力を結集して、完全復旧を早めてもらいたい。

ブラックアウトは、電力の需給バランスが崩れ、1つの発電所の停止がドミノ倒しのように連鎖して広域大停電に至る。

電力会社が最も恐れる事態である。 

東日本大震災の直後には、東京電力はブラックアウトを回避するために計画停電を実施した。

福島第1原発事故の後、国内の原発は運転を停止し、再稼働の進捗は遅い。

北海道電力の泊原発も停止中だ。

べースロード電源である原発にブラックアウトのリスクを小さくする役割があることを、再認識すべきである。

大停電が回避できたとはかぎらないが、泊原発が稼働していた方が危険度は低く、復旧の主力になったはずだ。

 


対外的な物事は日本人だけで行わなければならない…朝鮮半島の人間に関わってはいけない、との自戒と教訓を込めて

2018年09月08日 21時58分55秒 | 日記

電気で増幅して初めて聴ける音楽…エレクトリックサウンドのグループ、YMOの一員として大ヒットを飛ばして有名になり大金も得て日本を離れ、ニューヨークで生活をエンジョイしていた坂本龍一を更に有名にしたのが戦場のメリークリスマスだったのだろうが…。

日本は捕虜に対して世界一と言っても良いくらいの待遇を行って来た事は、歴然たる事実である。

第二次大戦において捕虜に暴力を振るう虐待行為を行ったのは朝鮮人達(当時は日本国民だった)だったこと…長引く戦争と拡大する戦線の中で、人員が不足した日本軍は、それまでは徴用していなかった朝鮮半島の男たちを看守に任用した…それが裏目に出た事を戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は明らかにして教えてくれている。

対外的な物事は日本人だけで行わなければならない…朝鮮半島の人間に関わってはいけない、との自戒と教訓を込めて。

あの映画は、看守たちが朝鮮人であった事を伝えてはいなかったと思う。

私は、ビジネスマンとして最盛期の日々を過ごしていた時分、行きつけの北新地の日本料理店で何度か遭遇していた映画監督大島渚氏については、彼が京大卒業生だった事もありシンパシーも感じていた。

一度も話した事はなかったのだが、ある時、大島渚夫妻から一緒に食事をしたいとの誘いを受けた。

私は喜んでと応諾したのだが…。

当時の私は一番仕事をしていた時期で商談が長引き、約束の時間はとうに過ぎてから、やっと店に到着した。

まだ部屋にいた大島氏からは、彼の帰り際に(会食&会話できなかった残念さをお互いに持ちながら)黙って会釈…以来、彼と会った事はないが…。

彼の映画については、私は一切の批判をしない。

さて、この坂本龍一は、朝日新聞の社説…論説委員たちの論説だけで出来ている頭脳の持ち主である事を晒して、今は、原発絶対反対運動の旗手の一人であるらしい…

若宮好文と筑紫哲也が対談して明かしたというとおり、頭の悪い芸能人やスポーツ選手などに社説をあてがって世論を形成する…

坂本はうってつけの人間なのだろう…

そんな話を読書家の友人に話したら、「彼は娘に対してDVを振るっていた男ですよ…」

「そういう人間である事は、彼の顔に書いてあるじゃないか」、そんな会話もあった。

原発絶対反対デモに登壇して「たかが電気…」と発言した事を、検索して来た時に知って、先日書いた。

坂本龍一は、北海道の道民の前に現れて、その発言をしなければならないのである。

同時に朝日新聞の論説どおりの意見を持っている人たちが多いと言われる北海道の人たちも、彼らの言う事を聞いていたら、どうなるか、ということを今回は身に染みて知ったはずである。

以下は昨日の産経新聞の社説からである。

見出し以外の文中強調は私。

「完全復旧」に総力挙げよ

北海道で最大震度7の地震があった。

震源に近い厚真町では民家と住民を巻き込む大規模な土砂崩れが発生した。 

さらに、同町にある北海道電力の苫東厚真火力発電所の緊急停止が引き金となって、道内全域の295万戸への電力供給が止まった。「ブラックアウト」とも呼ばれる大停電である。

人命救助、被災者らの安全確保とともに、全道民約530万人の生命線である電力の早期復旧に総力を挙げなければならない。

世耕弘成経済産業相は6日午前、北海道の大停電は「完全復旧に、少なくとも1週間以上かかる」との見通しを示した。

苫東厚真火力発電所の1、2、4号機はタービンからの出火とボイラーの損傷で、復旧に1週間以上を要する。

3基の合計出力は165万kWで、地震前日のピーク時の需要の4割強に相当する。

一部の地域は6日午後に停電が解消された。

しかし、他の火力、水力発電所をフル稼働し本州から送電を受けても、7日から供給できるのは290万kwにとどまるという。 

電気は現代社会に光と熱と情報を供給する最も重要なインフラである。

病気や障害がある人、高齢者や乳幼児にとっては、停電は命にかかわる。

救命活動や安否確認の重大な支障にもなる。

命を守ることを最優先に、当面は限られた電力で、住民の不安と不便を緩和する必要がある。

電源車の派遣をはじめ可能な限りの支援をしたい。

国、道、北海道電力と全国の電力会社は総力を結集して、完全復旧を早めてもらいたい。

ブラックアウトは、電力の需給バランスが崩れ、1つの発電所の停止がドミノ倒しのように連鎖して広域大停電に至る。

電力会社が最も恐れる事態である。 

東日本大震災の直後には、東京電力はブラックアウトを回避するために計画停電を実施した。

福島第1原発事故の後、国内の原発は運転を停止し、再稼働の進捗は遅い。

北海道電力の泊原発も停止中だ。

べースロード電源である原発にブラックアウトのリスクを小さくする役割があることを、再認識すべきである。

大停電が回避できたとはかぎらないが、泊原発が稼働していた方が危険度は低く、復旧の主力になったはずだ。

 


第二次大戦において捕虜に暴力を振るう虐待行為を行ったのは朝鮮人達(当時は日本国民だった)だったこと…長引く戦争と拡大する戦線の中で

2018年09月08日 21時57分57秒 | 日記

電気で増幅して初めて聴ける音楽…エレクトリックサウンドのグループ、YMOの一員として大ヒットを飛ばして有名になり大金も得て日本を離れ、ニューヨークで生活をエンジョイしていた坂本龍一を更に有名にしたのが戦場のメリークリスマスだったのだろうが…。

日本は捕虜に対して世界一と言っても良いくらいの待遇を行って来た事は、歴然たる事実である。

第二次大戦において捕虜に暴力を振るう虐待行為を行ったのは朝鮮人達(当時は日本国民だった)だったこと…長引く戦争と拡大する戦線の中で、人員が不足した日本軍は、それまでは徴用していなかった朝鮮半島の男たちを看守に任用した…それが裏目に出た事を戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は明らかにして教えてくれている。

対外的な物事は日本人だけで行わなければならない…朝鮮半島の人間に関わってはいけない、との自戒と教訓を込めて。

あの映画は、看守たちが朝鮮人であった事を伝えてはいなかったと思う。

私は、ビジネスマンとして最盛期の日々を過ごしていた時分、行きつけの北新地の日本料理店で何度か遭遇していた映画監督大島渚氏については、彼が京大卒業生だった事もありシンパシーも感じていた。

一度も話した事はなかったのだが、ある時、大島渚夫妻から一緒に食事をしたいとの誘いを受けた。

私は喜んでと応諾したのだが…。

当時の私は一番仕事をしていた時期で商談が長引き、約束の時間はとうに過ぎてから、やっと店に到着した。

まだ部屋にいた大島氏からは、彼の帰り際に(会食&会話できなかった残念さをお互いに持ちながら)黙って会釈…以来、彼と会った事はないが…。

彼の映画については、私は一切の批判をしない。

さて、この坂本龍一は、朝日新聞の社説…論説委員たちの論説だけで出来ている頭脳の持ち主である事を晒して、今は、原発絶対反対運動の旗手の一人であるらしい…

若宮好文と筑紫哲也が対談して明かしたというとおり、頭の悪い芸能人やスポーツ選手などに社説をあてがって世論を形成する…

坂本はうってつけの人間なのだろう…

そんな話を読書家の友人に話したら、「彼は娘に対してDVを振るっていた男ですよ…」

「そういう人間である事は、彼の顔に書いてあるじゃないか」、そんな会話もあった。

原発絶対反対デモに登壇して「たかが電気…」と発言した事を、検索して来た時に知って、先日書いた。

坂本龍一は、北海道の道民の前に現れて、その発言をしなければならないのである。

同時に朝日新聞の論説どおりの意見を持っている人たちが多いと言われる北海道の人たちも、彼らの言う事を聞いていたら、どうなるか、ということを今回は身に染みて知ったはずである。

以下は昨日の産経新聞の社説からである。

見出し以外の文中強調は私。

「完全復旧」に総力挙げよ

北海道で最大震度7の地震があった。

震源に近い厚真町では民家と住民を巻き込む大規模な土砂崩れが発生した。 

さらに、同町にある北海道電力の苫東厚真火力発電所の緊急停止が引き金となって、道内全域の295万戸への電力供給が止まった。「ブラックアウト」とも呼ばれる大停電である。

人命救助、被災者らの安全確保とともに、全道民約530万人の生命線である電力の早期復旧に総力を挙げなければならない。

世耕弘成経済産業相は6日午前、北海道の大停電は「完全復旧に、少なくとも1週間以上かかる」との見通しを示した。

苫東厚真火力発電所の1、2、4号機はタービンからの出火とボイラーの損傷で、復旧に1週間以上を要する。

3基の合計出力は165万kWで、地震前日のピーク時の需要の4割強に相当する。

一部の地域は6日午後に停電が解消された。

しかし、他の火力、水力発電所をフル稼働し本州から送電を受けても、7日から供給できるのは290万kwにとどまるという。 

電気は現代社会に光と熱と情報を供給する最も重要なインフラである。

病気や障害がある人、高齢者や乳幼児にとっては、停電は命にかかわる。

救命活動や安否確認の重大な支障にもなる。

命を守ることを最優先に、当面は限られた電力で、住民の不安と不便を緩和する必要がある。

電源車の派遣をはじめ可能な限りの支援をしたい。

国、道、北海道電力と全国の電力会社は総力を結集して、完全復旧を早めてもらいたい。

ブラックアウトは、電力の需給バランスが崩れ、1つの発電所の停止がドミノ倒しのように連鎖して広域大停電に至る。

電力会社が最も恐れる事態である。 

東日本大震災の直後には、東京電力はブラックアウトを回避するために計画停電を実施した。

福島第1原発事故の後、国内の原発は運転を停止し、再稼働の進捗は遅い。

北海道電力の泊原発も停止中だ。

べースロード電源である原発にブラックアウトのリスクを小さくする役割があることを、再認識すべきである。

大停電が回避できたとはかぎらないが、泊原発が稼働していた方が危険度は低く、復旧の主力になったはずだ。

 


長引く戦争と拡大する戦線の中で、人員が不足した日本軍は、それまでは徴用していなかった朝鮮半島の男たちを看守に任用した

2018年09月08日 21時57分05秒 | 日記

電気で増幅して初めて聴ける音楽…エレクトリックサウンドのグループ、YMOの一員として大ヒットを飛ばして有名になり大金も得て日本を離れ、ニューヨークで生活をエンジョイしていた坂本龍一を更に有名にしたのが戦場のメリークリスマスだったのだろうが…。

日本は捕虜に対して世界一と言っても良いくらいの待遇を行って来た事は、歴然たる事実である。

第二次大戦において捕虜に暴力を振るう虐待行為を行ったのは朝鮮人達(当時は日本国民だった)だったこと…長引く戦争と拡大する戦線の中で、人員が不足した日本軍は、それまでは徴用していなかった朝鮮半島の男たちを看守に任用した…それが裏目に出た事を戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は明らかにして教えてくれている。

対外的な物事は日本人だけで行わなければならない…朝鮮半島の人間に関わってはいけない、との自戒と教訓を込めて。

あの映画は、看守たちが朝鮮人であった事を伝えてはいなかったと思う。

私は、ビジネスマンとして最盛期の日々を過ごしていた時分、行きつけの北新地の日本料理店で何度か遭遇していた映画監督大島渚氏については、彼が京大卒業生だった事もありシンパシーも感じていた。

一度も話した事はなかったのだが、ある時、大島渚夫妻から一緒に食事をしたいとの誘いを受けた。

私は喜んでと応諾したのだが…。

当時の私は一番仕事をしていた時期で商談が長引き、約束の時間はとうに過ぎてから、やっと店に到着した。

まだ部屋にいた大島氏からは、彼の帰り際に(会食&会話できなかった残念さをお互いに持ちながら)黙って会釈…以来、彼と会った事はないが…。

彼の映画については、私は一切の批判をしない。

さて、この坂本龍一は、朝日新聞の社説…論説委員たちの論説だけで出来ている頭脳の持ち主である事を晒して、今は、原発絶対反対運動の旗手の一人であるらしい…

若宮好文と筑紫哲也が対談して明かしたというとおり、頭の悪い芸能人やスポーツ選手などに社説をあてがって世論を形成する…

坂本はうってつけの人間なのだろう…

そんな話を読書家の友人に話したら、「彼は娘に対してDVを振るっていた男ですよ…」

「そういう人間である事は、彼の顔に書いてあるじゃないか」、そんな会話もあった。

原発絶対反対デモに登壇して「たかが電気…」と発言した事を、検索して来た時に知って、先日書いた。

坂本龍一は、北海道の道民の前に現れて、その発言をしなければならないのである。

同時に朝日新聞の論説どおりの意見を持っている人たちが多いと言われる北海道の人たちも、彼らの言う事を聞いていたら、どうなるか、ということを今回は身に染みて知ったはずである。

以下は昨日の産経新聞の社説からである。

見出し以外の文中強調は私。

「完全復旧」に総力挙げよ

北海道で最大震度7の地震があった。

震源に近い厚真町では民家と住民を巻き込む大規模な土砂崩れが発生した。 

さらに、同町にある北海道電力の苫東厚真火力発電所の緊急停止が引き金となって、道内全域の295万戸への電力供給が止まった。「ブラックアウト」とも呼ばれる大停電である。

人命救助、被災者らの安全確保とともに、全道民約530万人の生命線である電力の早期復旧に総力を挙げなければならない。

世耕弘成経済産業相は6日午前、北海道の大停電は「完全復旧に、少なくとも1週間以上かかる」との見通しを示した。

苫東厚真火力発電所の1、2、4号機はタービンからの出火とボイラーの損傷で、復旧に1週間以上を要する。

3基の合計出力は165万kWで、地震前日のピーク時の需要の4割強に相当する。

一部の地域は6日午後に停電が解消された。

しかし、他の火力、水力発電所をフル稼働し本州から送電を受けても、7日から供給できるのは290万kwにとどまるという。 

電気は現代社会に光と熱と情報を供給する最も重要なインフラである。

病気や障害がある人、高齢者や乳幼児にとっては、停電は命にかかわる。

救命活動や安否確認の重大な支障にもなる。

命を守ることを最優先に、当面は限られた電力で、住民の不安と不便を緩和する必要がある。

電源車の派遣をはじめ可能な限りの支援をしたい。

国、道、北海道電力と全国の電力会社は総力を結集して、完全復旧を早めてもらいたい。

ブラックアウトは、電力の需給バランスが崩れ、1つの発電所の停止がドミノ倒しのように連鎖して広域大停電に至る。

電力会社が最も恐れる事態である。 

東日本大震災の直後には、東京電力はブラックアウトを回避するために計画停電を実施した。

福島第1原発事故の後、国内の原発は運転を停止し、再稼働の進捗は遅い。

北海道電力の泊原発も停止中だ。

べースロード電源である原発にブラックアウトのリスクを小さくする役割があることを、再認識すべきである。

大停電が回避できたとはかぎらないが、泊原発が稼働していた方が危険度は低く、復旧の主力になったはずだ。

 


日本は捕虜に対して世界一と言っても良いくらいの待遇を行って来た事は、歴然たる事実である。

2018年09月08日 21時56分08秒 | 日記

電気で増幅して初めて聴ける音楽…エレクトリックサウンドのグループ、YMOの一員として大ヒットを飛ばして有名になり大金も得て日本を離れ、ニューヨークで生活をエンジョイしていた坂本龍一を更に有名にしたのが戦場のメリークリスマスだったのだろうが…。

日本は捕虜に対して世界一と言っても良いくらいの待遇を行って来た事は、歴然たる事実である。

第二次大戦において捕虜に暴力を振るう虐待行為を行ったのは朝鮮人達(当時は日本国民だった)だったこと…長引く戦争と拡大する戦線の中で、人員が不足した日本軍は、それまでは徴用していなかった朝鮮半島の男たちを看守に任用した…それが裏目に出た事を戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之は明らかにして教えてくれている。

対外的な物事は日本人だけで行わなければならない…朝鮮半島の人間に関わってはいけない、との自戒と教訓を込めて。

あの映画は、看守たちが朝鮮人であった事を伝えてはいなかったと思う。

私は、ビジネスマンとして最盛期の日々を過ごしていた時分、行きつけの北新地の日本料理店で何度か遭遇していた映画監督大島渚氏については、彼が京大卒業生だった事もありシンパシーも感じていた。

一度も話した事はなかったのだが、ある時、大島渚夫妻から一緒に食事をしたいとの誘いを受けた。

私は喜んでと応諾したのだが…。

当時の私は一番仕事をしていた時期で商談が長引き、約束の時間はとうに過ぎてから、やっと店に到着した。

まだ部屋にいた大島氏からは、彼の帰り際に(会食&会話できなかった残念さをお互いに持ちながら)黙って会釈…以来、彼と会った事はないが…。

彼の映画については、私は一切の批判をしない。

さて、この坂本龍一は、朝日新聞の社説…論説委員たちの論説だけで出来ている頭脳の持ち主である事を晒して、今は、原発絶対反対運動の旗手の一人であるらしい…

若宮好文と筑紫哲也が対談して明かしたというとおり、頭の悪い芸能人やスポーツ選手などに社説をあてがって世論を形成する…

坂本はうってつけの人間なのだろう…

そんな話を読書家の友人に話したら、「彼は娘に対してDVを振るっていた男ですよ…」

「そういう人間である事は、彼の顔に書いてあるじゃないか」、そんな会話もあった。

原発絶対反対デモに登壇して「たかが電気…」と発言した事を、検索して来た時に知って、先日書いた。

坂本龍一は、北海道の道民の前に現れて、その発言をしなければならないのである。

同時に朝日新聞の論説どおりの意見を持っている人たちが多いと言われる北海道の人たちも、彼らの言う事を聞いていたら、どうなるか、ということを今回は身に染みて知ったはずである。

以下は昨日の産経新聞の社説からである。

見出し以外の文中強調は私。

「完全復旧」に総力挙げよ

北海道で最大震度7の地震があった。

震源に近い厚真町では民家と住民を巻き込む大規模な土砂崩れが発生した。 

さらに、同町にある北海道電力の苫東厚真火力発電所の緊急停止が引き金となって、道内全域の295万戸への電力供給が止まった。「ブラックアウト」とも呼ばれる大停電である。

人命救助、被災者らの安全確保とともに、全道民約530万人の生命線である電力の早期復旧に総力を挙げなければならない。

世耕弘成経済産業相は6日午前、北海道の大停電は「完全復旧に、少なくとも1週間以上かかる」との見通しを示した。

苫東厚真火力発電所の1、2、4号機はタービンからの出火とボイラーの損傷で、復旧に1週間以上を要する。

3基の合計出力は165万kWで、地震前日のピーク時の需要の4割強に相当する。

一部の地域は6日午後に停電が解消された。

しかし、他の火力、水力発電所をフル稼働し本州から送電を受けても、7日から供給できるのは290万kwにとどまるという。 

電気は現代社会に光と熱と情報を供給する最も重要なインフラである。

病気や障害がある人、高齢者や乳幼児にとっては、停電は命にかかわる。

救命活動や安否確認の重大な支障にもなる。

命を守ることを最優先に、当面は限られた電力で、住民の不安と不便を緩和する必要がある。

電源車の派遣をはじめ可能な限りの支援をしたい。

国、道、北海道電力と全国の電力会社は総力を結集して、完全復旧を早めてもらいたい。

ブラックアウトは、電力の需給バランスが崩れ、1つの発電所の停止がドミノ倒しのように連鎖して広域大停電に至る。

電力会社が最も恐れる事態である。 

東日本大震災の直後には、東京電力はブラックアウトを回避するために計画停電を実施した。

福島第1原発事故の後、国内の原発は運転を停止し、再稼働の進捗は遅い。

北海道電力の泊原発も停止中だ。

べースロード電源である原発にブラックアウトのリスクを小さくする役割があることを、再認識すべきである。

大停電が回避できたとはかぎらないが、泊原発が稼働していた方が危険度は低く、復旧の主力になったはずだ。

 


朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(田中秀雄著)に詳しい。

2018年09月08日 21時54分09秒 | 日記

以下は産経新聞が毎週土曜日に連載している、海峡を越えて「朝のくに」ものがたり、からである。

産経新聞は、この連載も去年開始したJapan Forwardに毎回英訳して世界に発信すべきである。

そうすれば世界は…かつて私が1時間で朝鮮半島の全てが分かったように…朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

朝日新聞社は各国の主要な新聞に訂正広告を掲載する気配が全くないどころか、ケント・ギルバートさんや山岡鉄秀さんたちが朝日新聞社を訪問して著名を添えて正式に申し入れたにも拘わらず、朝日新聞の英語版での訂正すら行っていない。

このような朝日新聞社の姑息で悪辣な態様を目の前にしている日本国民のためにも、産経新聞社は、この連載を、即刻英訳してJapan Forwardに掲載して全世界に発信すべきなのである。

見出し以外の文中強調は私。

日本が近代化した金融制度

高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

拓殖大学は、明治33(1900)年、台湾協会学校として創設された。初代校長は後に3度首相を務める桂太郎である。

海外で活躍する有為な人材育成を目的とし、同40年には、東洋協会専門学校(改称)京城分校(後に官立の京城高等商業)を開校。

朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

その一人に、重松髜修(まさなお)18911975年)がいる。

朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(田中秀雄著)に詳しい。

同校を卒業した重松は大正4(1915)年、朝鮮総督府の官吏になった後、同6年、朝鮮北部平安南道の陽徳地方金融組合理事に転じる。平壌から約150キロも離れた山深い厳寒の地であった。 

重松は、同8年3月に発生した大規模な抗日・独立運動「三・一事件」に巻き込まれて被弾。

右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。 

豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

終戦まで朝鮮在任約30年。

日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。 

極めて幼稚な朝鮮経済 

重松がいた「金融組合」をつくったのは目賀田種太郎(18531926年)である。 

米ハーバード法律学校(現大学)に留学、大蔵省主税局長などを務め、明治37年、第1次日韓協約の下で、大韓帝国の財政顧問に就任。

紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。

そのひとつが、農民に低利で資金を貸し付ける金融組合の設置(40年)だった。 

なぜ、金融組合が必要だったのか? 

昭和11年発行の『25年!朝鮮は何を得たか?』(京城日報編)にはこうある。

(大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を究め、高利の金貸応業者が跋扈した…民衆は憐れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ生き血を吸うもののために困殺されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落衰微してしまっていた》と。 

農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。

組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。

当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。 

明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。 

この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。     

『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。

いささか、講談調の記述で宣伝めくが、‐以下は、その大意である。 

《(朝鮮の)奸悪な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。

困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った)と。

朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく=表。

さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。 

同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。

金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。 

長崎十八銀行の盛衰 

日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。

長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。

十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。

《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面、日鮮貿易が浮上した)。

貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。 

勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。

翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。 

昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。

金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。

在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。 

全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。

『百年の歩み』には悔しさがにじむ。

《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留める》と。   

=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)


極めて幼稚な朝鮮経済(中略)紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。 

2018年09月08日 21時51分56秒 | 日記

以下は産経新聞が毎週土曜日に連載している、海峡を越えて「朝のくに」ものがたり、からである。

産経新聞は、この連載も去年開始したJapan Forwardに毎回英訳して世界に発信すべきである。

そうすれば世界は…かつて私が1時間で朝鮮半島の全てが分かったように…朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

朝日新聞社は各国の主要な新聞に訂正広告を掲載する気配が全くないどころか、ケント・ギルバートさんや山岡鉄秀さんたちが朝日新聞社を訪問して著名を添えて正式に申し入れたにも拘わらず、朝日新聞の英語版での訂正すら行っていない。

このような朝日新聞社の姑息で悪辣な態様を目の前にしている日本国民のためにも、産経新聞社は、この連載を、即刻英訳してJapan Forwardに掲載して全世界に発信すべきなのである。

見出し以外の文中強調は私。

日本が近代化した金融制度

高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

拓殖大学は、明治33(1900)年、台湾協会学校として創設された。初代校長は後に3度首相を務める桂太郎である。

海外で活躍する有為な人材育成を目的とし、同40年には、東洋協会専門学校(改称)京城分校(後に官立の京城高等商業)を開校。

朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

その一人に、重松髜修(まさなお18911975年)がいる。

朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』 (田中秀雄著)に詳しい。

同校を卒業した重松は大正4(1915)年、朝鮮総督府の官吏になった後、同6年、朝鮮北部平安南道の陽徳地方金融組合理事に転じる。平壌から約150キロも離れた山深い厳寒の地であった。 

重松は、同8年3月に発生した大規模な抗日・独立運動「三・一事件」に巻き込まれて被弾。

右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。 

豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

終戦まで朝鮮在任約30年。

日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。 

極めて幼稚な朝鮮経済 

重松がいた「金融組合」をつくったのは目賀田種太郎(18531926年)である。 

米ハーバード法律学校(現大学)に留学、大蔵省主税局長などを務め、明治37年、第1次日韓協約の下で、大韓帝国の財政顧問に就任。

紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。

そのひとつが、農民に低利で資金を貸し付ける金融組合の設置(40年)だった。 

なぜ、金融組合が必要だったのか? 

昭和11年発行の『25年!朝鮮は何を得たか?』(京城日報編)にはこうある。

 (大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を究め、高利の金貸応業者が跋扈した…民衆は憐れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ生き血を吸うもののために困殺されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落衰微してしまっていた》と。 

農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。

組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。

当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。 

明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。 

この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。     

『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。

いささか、講談調の記述で宣伝めくが、‐以下は、その大意である。 

《(朝鮮の)奸悪な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。

困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った)と。

朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく=表。

さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。 

同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。

金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。 

長崎十八銀行の盛衰 

日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。

長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。

十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。

《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面、日鮮貿易が浮上した)。

貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。 

勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。

翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。 

昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。

金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。

在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。 

全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。

『百年の歩み』には悔しさがにじむ。

《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留める》と。   

=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)


終戦まで朝鮮在任約30年。日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。

2018年09月08日 21時50分12秒 | 日記

以下は産経新聞が毎週土曜日に連載している、海峡を越えて「朝のくに」ものがたり、からである。

産経新聞は、この連載も去年開始したJapan Forwardに毎回英訳して世界に発信すべきである。

そうすれば世界は…かつて私が1時間で朝鮮半島の全てが分かったように…朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

朝日新聞社は各国の主要な新聞に訂正広告を掲載する気配が全くないどころか、ケント・ギルバートさんや山岡鉄秀さんたちが朝日新聞社を訪問して著名を添えて正式に申し入れたにも拘わらず、朝日新聞の英語版での訂正すら行っていない。

このような朝日新聞社の姑息で悪辣な態様を目の前にしている日本国民のためにも、産経新聞社は、この連載を、即刻英訳してJapan Forwardに掲載して全世界に発信すべきなのである。

見出し以外の文中強調は私。

日本が近代化した金融制度

高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

拓殖大学は、明治33(1900)年、台湾協会学校として創設された。初代校長は後に3度首相を務める桂太郎である。

海外で活躍する有為な人材育成を目的とし、同40年には、東洋協会専門学校(改称)京城分校(後に官立の京城高等商業)を開校。

朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

その一人に、重松髜修(まさなお18911975年)がいる。

朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』 (田中秀雄著)に詳しい。

同校を卒業した重松は大正4(1915)年、朝鮮総督府の官吏になった後、同6年、朝鮮北部平安南道の陽徳地方金融組合理事に転じる。平壌から約150キロも離れた山深い厳寒の地であった。 

重松は、同8年3月に発生した大規模な抗日・独立運動「三・一事件」に巻き込まれて被弾。

右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。 

豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

終戦まで朝鮮在任約30年。

日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。 

極めて幼稚な朝鮮経済 

重松がいた「金融組合」をつくったのは目賀田種太郎(18531926年)である。 

米ハーバード法律学校(現大学)に留学、大蔵省主税局長などを務め、明治37年、第1次日韓協約の下で、大韓帝国の財政顧問に就任。

紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。

そのひとつが、農民に低利で資金を貸し付ける金融組合の設置(40年)だった。 

なぜ、金融組合が必要だったのか? 

昭和11年発行の『25年!朝鮮は何を得たか?』(京城日報編)にはこうある。

 (大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を究め、高利の金貸応業者が跋扈した…民衆は憐れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ生き血を吸うもののために困殺されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落衰微してしまっていた》と。 

農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。

組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。

当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。 

明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。 

この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。     

『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。

いささか、講談調の記述で宣伝めくが、‐以下は、その大意である。 

《(朝鮮の)奸悪な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。

困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った)と。

朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく=表。

さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。 

同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。

金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。 

長崎十八銀行の盛衰 

日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。

長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。

十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。

《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面、日鮮貿易が浮上した)。

貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。 

勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。

翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。 

昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。

金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。

在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。 

全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。

『百年の歩み』には悔しさがにじむ。

《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留める》と。   

=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)


豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

2018年09月08日 21時49分18秒 | 日記

以下は産経新聞が毎週土曜日に連載している、海峡を越えて「朝のくに」ものがたり、からである。

産経新聞は、この連載も去年開始したJapan Forwardに毎回英訳して世界に発信すべきである。

そうすれば世界は…かつて私が1時間で朝鮮半島の全てが分かったように…朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

朝日新聞社は各国の主要な新聞に訂正広告を掲載する気配が全くないどころか、ケント・ギルバートさんや山岡鉄秀さんたちが朝日新聞社を訪問して著名を添えて正式に申し入れたにも拘わらず、朝日新聞の英語版での訂正すら行っていない。

このような朝日新聞社の姑息で悪辣な態様を目の前にしている日本国民のためにも、産経新聞社は、この連載を、即刻英訳してJapan Forwardに掲載して全世界に発信すべきなのである。

見出し以外の文中強調は私。

日本が近代化した金融制度

高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

拓殖大学は、明治33(1900)年、台湾協会学校として創設された。初代校長は後に3度首相を務める桂太郎である。

海外で活躍する有為な人材育成を目的とし、同40年には、東洋協会専門学校(改称)京城分校(後に官立の京城高等商業)を開校。

朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

その一人に、重松髜修(まさなお18911975年)がいる。

朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』 (田中秀雄著)に詳しい。

同校を卒業した重松は大正4(1915)年、朝鮮総督府の官吏になった後、同6年、朝鮮北部平安南道の陽徳地方金融組合理事に転じる。平壌から約150キロも離れた山深い厳寒の地であった。 

重松は、同8年3月に発生した大規模な抗日・独立運動「三・一事件」に巻き込まれて被弾。

右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。 

豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

終戦まで朝鮮在任約30年。

日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。 

極めて幼稚な朝鮮経済 

重松がいた「金融組合」をつくったのは目賀田種太郎(18531926年)である。 

米ハーバード法律学校(現大学)に留学、大蔵省主税局長などを務め、明治37年、第1次日韓協約の下で、大韓帝国の財政顧問に就任。

紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。

そのひとつが、農民に低利で資金を貸し付ける金融組合の設置(40年)だった。 

なぜ、金融組合が必要だったのか? 

昭和11年発行の『25年!朝鮮は何を得たか?』(京城日報編)にはこうある。

 (大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を究め、高利の金貸応業者が跋扈した…民衆は憐れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ生き血を吸うもののために困殺されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落衰微してしまっていた》と。 

農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。

組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。

当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。 

明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。 

この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。     

『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。

いささか、講談調の記述で宣伝めくが、‐以下は、その大意である。 

《(朝鮮の)奸悪な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。

困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った)と。

朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく=表。

さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。 

同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。

金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。 

長崎十八銀行の盛衰 

日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。

長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。

十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。

《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面、日鮮貿易が浮上した)。

貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。 

勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。

翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。 

昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。

金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。

在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。 

全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。

『百年の歩み』には悔しさがにじむ。

《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留める》と。   

=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)


右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。

2018年09月08日 21時48分24秒 | 日記

以下は産経新聞が毎週土曜日に連載している、海峡を越えて「朝のくに」ものがたり、からである。

産経新聞は、この連載も去年開始したJapan Forwardに毎回英訳して世界に発信すべきである。

そうすれば世界は…かつて私が1時間で朝鮮半島の全てが分かったように…朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

朝日新聞社は各国の主要な新聞に訂正広告を掲載する気配が全くないどころか、ケント・ギルバートさんや山岡鉄秀さんたちが朝日新聞社を訪問して著名を添えて正式に申し入れたにも拘わらず、朝日新聞の英語版での訂正すら行っていない。

このような朝日新聞社の姑息で悪辣な態様を目の前にしている日本国民のためにも、産経新聞社は、この連載を、即刻英訳してJapan Forwardに掲載して全世界に発信すべきなのである。

見出し以外の文中強調は私。

日本が近代化した金融制度

高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

拓殖大学は、明治33(1900)年、台湾協会学校として創設された。初代校長は後に3度首相を務める桂太郎である。

海外で活躍する有為な人材育成を目的とし、同40年には、東洋協会専門学校(改称)京城分校(後に官立の京城高等商業)を開校。

朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

その一人に、重松髜修(まさなお18911975年)がいる。

朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』 (田中秀雄著)に詳しい。

同校を卒業した重松は大正4(1915)年、朝鮮総督府の官吏になった後、同6年、朝鮮北部平安南道の陽徳地方金融組合理事に転じる。平壌から約150キロも離れた山深い厳寒の地であった。 

重松は、同8年3月に発生した大規模な抗日・独立運動「三・一事件」に巻き込まれて被弾。

右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。 

豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

終戦まで朝鮮在任約30年。

日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。 

極めて幼稚な朝鮮経済 

重松がいた「金融組合」をつくったのは目賀田種太郎(18531926年)である。 

米ハーバード法律学校(現大学)に留学、大蔵省主税局長などを務め、明治37年、第1次日韓協約の下で、大韓帝国の財政顧問に就任。

紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。

そのひとつが、農民に低利で資金を貸し付ける金融組合の設置(40年)だった。 

なぜ、金融組合が必要だったのか? 

昭和11年発行の『25年!朝鮮は何を得たか?』(京城日報編)にはこうある。

 (大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を究め、高利の金貸応業者が跋扈した…民衆は憐れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ生き血を吸うもののために困殺されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落衰微してしまっていた》と。 

農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。

組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。

当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。 

明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。 

この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。     

『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。

いささか、講談調の記述で宣伝めくが、‐以下は、その大意である。 

《(朝鮮の)奸悪な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。

困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った)と。

朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく=表。

さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。 

同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。

金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。 

長崎十八銀行の盛衰 

日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。

長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。

十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。

《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面、日鮮貿易が浮上した)。

貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。 

勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。

翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。 

昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。

金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。

在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。 

全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。

『百年の歩み』には悔しさがにじむ。

《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留める》と。   

=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)


朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

2018年09月08日 21時47分00秒 | 日記

以下は産経新聞が毎週土曜日に連載している、海峡を越えて「朝のくに」ものがたり、からである。

産経新聞は、この連載も去年開始したJapan Forwardに毎回英訳して世界に発信すべきである。

そうすれば世界は…かつて私が1時間で朝鮮半島の全てが分かったように…朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

朝日新聞社は各国の主要な新聞に訂正広告を掲載する気配が全くないどころか、ケント・ギルバートさんや山岡鉄秀さんたちが朝日新聞社を訪問して著名を添えて正式に申し入れたにも拘わらず、朝日新聞の英語版での訂正すら行っていない。

このような朝日新聞社の姑息で悪辣な態様を目の前にしている日本国民のためにも、産経新聞社は、この連載を、即刻英訳してJapan Forwardに掲載して全世界に発信すべきなのである。

見出し以外の文中強調は私。

日本が近代化した金融制度

高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

拓殖大学は、明治33(1900)年、台湾協会学校として創設された。初代校長は後に3度首相を務める桂太郎である。

海外で活躍する有為な人材育成を目的とし、同40年には、東洋協会専門学校(改称)京城分校(後に官立の京城高等商業)を開校。

朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

その一人に、重松髜修(まさなお18911975年)がいる。

朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』 (田中秀雄著)に詳しい。

同校を卒業した重松は大正4(1915)年、朝鮮総督府の官吏になった後、同6年、朝鮮北部平安南道の陽徳地方金融組合理事に転じる。平壌から約150キロも離れた山深い厳寒の地であった。 

重松は、同8年3月に発生した大規模な抗日・独立運動「三・一事件」に巻き込まれて被弾。

右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。 

豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

終戦まで朝鮮在任約30年。

日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。 

極めて幼稚な朝鮮経済 

重松がいた「金融組合」をつくったのは目賀田種太郎(18531926年)である。 

米ハーバード法律学校(現大学)に留学、大蔵省主税局長などを務め、明治37年、第1次日韓協約の下で、大韓帝国の財政顧問に就任。

紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。

そのひとつが、農民に低利で資金を貸し付ける金融組合の設置(40年)だった。 

なぜ、金融組合が必要だったのか? 

昭和11年発行の『25年!朝鮮は何を得たか?』(京城日報編)にはこうある。

 (大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を究め、高利の金貸応業者が跋扈した…民衆は憐れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ生き血を吸うもののために困殺されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落衰微してしまっていた》と。 

農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。

組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。

当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。 

明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。 

この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。     

『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。

いささか、講談調の記述で宣伝めくが、‐以下は、その大意である。 《(朝鮮の)奸悪な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。

困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った)と。

朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく=表。

さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。 

同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。

金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。 

長崎十八銀行の盛衰 

日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。

長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。

十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。

《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面、日鮮貿易が浮上した)。

貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。 

勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。

翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。 

昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。

金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。

在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。 

全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。

『百年の歩み』には悔しさがにじむ。

《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留める》と。   

=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)


朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

2018年09月08日 21時42分46秒 | 日記

以下は産経新聞が毎週土曜日に連載している、海峡を越えて「朝のくに」ものがたり、からである。

産経新聞は、この連載も去年開始したJapan Forwardに毎回英訳して世界に発信すべきである。

そうすれば世界は…かつて私が1時間で朝鮮半島の全てが分かったように…朝鮮半島の真実と、慰安婦が朝日新聞の捏造である事等も、1時間で分かるからだ。

朝日新聞社は各国の主要な新聞に訂正広告を掲載する気配が全くないどころか、ケント・ギルバートさんや山岡鉄秀さんたちが朝日新聞社を訪問して著名を添えて正式に申し入れたにも拘わらず、朝日新聞の英語版での訂正すら行っていない。

このような朝日新聞社の姑息で悪辣な態様を目の前にしている日本国民のためにも、産経新聞社は、この連載を、即刻英訳してJapan Forwardに掲載して全世界に発信すべきなのである。

見出し以外の文中強調は私。

日本が近代化した金融制度

高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

拓殖大学は、明治33(1900)年、台湾協会学校として創設された。初代校長は後に3度首相を務める桂太郎である。

海外で活躍する有為な人材育成を目的とし、同40年には、東洋協会専門学校(改称)京城分校(後に官立の京城高等商業)を開校。

朝鮮の近代化に尽くそうと多くの若者たちが“海峡を越えた”。 

その一人に、重松髜修(まさなお18911975年)がいる。

朝鮮発展に捧げた無私の生涯は『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』 (田中秀雄著)に詳しい。

同校を卒業した重松は大正4(1915)年、朝鮮総督府の官吏になった後、同6年、朝鮮北部平安南道の陽徳地方金融組合理事に転じる。平壌から約150キロも離れた山深い厳寒の地であった。 

重松は、同8年3月に発生した大規模な抗日・独立運動「三・一事件」に巻き込まれて被弾。

右足が不自由になりながらも、私財を投じて寒村に「養鶏」を根付かせ、「卵の代金を貯蓄させて耕牛を買う」というシステムを構築する。 豊かになった朝鮮の農民たちは、やがて重松を「聖者」と呼び、功績を顕彰する頌徳碑も建てられた。

終戦まで朝鮮在任約30年。

日本へ引き揚げたとき懐には、わずかな金しか残っていなかったという。 

極めて幼稚な朝鮮経済 

重松がいた「金融組合」をつくったのは目賀田種太郎(18531926年)である。 

米ハーバード法律学校(現大学)に留学、大蔵省主税局長などを務め、明治37年、第1次日韓協約の下で、大韓帝国の財政顧問に就任。

紊乱の極にあった財政や金融システム、税制、貨幣制度の徹底改革・近代化に乗り出す。

そのひとつが、農民に低利で資金を貸し付ける金融組合の設置(40年)だった。 

なぜ、金融組合が必要だったのか? 

昭和11年発行の『25年!朝鮮は何を得たか?』(京城日報編)にはこうある。

(大韓帝国時代は)経済の発達極めて幼稚で、貨幣制度乱雑を究め、高利の金貸応業者が跋扈した…民衆は憐れむべきもので、官吏と地主と高利貸の三大専制王に責められ生き血を吸うもののために困殺されんとしていた。かくして民衆の意気も、経済も、産業も、全く凋落衰微してしまっていた》と。 

農民を対象にする金融組合制度は、ドイツやベルギーの農村金融を参考に、相互扶助的な組織を目指したものだ。

組合員は原則として朝鮮の小作農で、融資面では「成牛1頭分に相当する50円(後に100円)」を限度に低利資金を貸し付ける。

当初は、農業の技術指導や種子や肥料、農機具の販売・貸与、農作物の委託販売なども行い、イメージとしては農協に近い。 

明治40年のスタート時には朝鮮全土に30の組合を設立、日本人理事に就任したのは30人全員が、後の重松のように東洋協会専門学校を出た若者たちだった。 

この低利融資は、荒廃していた朝鮮の農村を再生し、前近代的だった農業を大きく発展させる。     

『朝鮮金融組合史』(昭和4年、同金融組合協会刊)にある「貸付金を得て幸福に至る」という組合員・白仁順の例を紹介してみたい。

いささか、講談調の記述で宣伝めくが、‐以下は、その大意である。 《(朝鮮の)奸悪な地主の小作人であった白は13人の家族を抱えて生活費にも事欠き、地主に借りた金は積もり積もって大金に。その上、病気に罹り、地主から冷酷にも小作権を剥奪・退去を命じられてしまう…。

困り切った白は紹介されて組合員となり、50円の貸し付けを受ける。一部を地主に返した後、牛や鶏卵などの商売を始めて貯蓄にも励んだ結果、数年後には牛10頭、田1町歩、資産500円を持つに至った)と。

朝鮮全土に張り巡らされた金融組合網は、順調に組合数、組合員、貸付額を伸ばしてゆく=表。

さらに、第一次大戦後の好景気を受けた大正7(1918)年の法令改正によって、農民だけでなく、「都市金融組合」として商工業者にも貸し付け(限度額300円)を行うようにもなった。 

同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。

金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。 

長崎十八銀行の盛衰 

日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。

長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。

十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。

《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面、日鮮貿易が浮上した)。

貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。 

勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。

翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。 

昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。

金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。

在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。 

全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。

『百年の歩み』には悔しさがにじむ。

《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留める》と。   

=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)


以下は一昨日の検索数ベスト50である。

2018年09月08日 21時38分51秒 | 日記

順位

ページ名

1

My friend called me with an imminent voice saying, ‘Did you see the news?’

2

decided to construct Kansai Airport which is a maritime airport where no noise problem will occur

3

the lie, which Trump is 'Protectionism' 'Isolationism'.

4

彼らの愚かさ幼稚さ醜悪さ悪辣さによって北海道全域の停電などという未曾有の事態が起きているのである。

5

国が悪くて国が成り立つか!実業に就いた事も無く…似非モラリズムや社会主義・共産主義等を振り回すだけの連中で国が成り立つか!

6

今回の北海道大地震においても、原発は全くびくともしていない。

7

日本最高級の給料をとって東京生活をエンジョイしているだけの軟な連中である彼らの誰が北海道の被災した人たちを救助できるか!

8

菅直人、孫正義、福島瑞穂たちが決定し、以来、彼らに同調して大々的に原発全面停止賛成、原発再稼働絶対反対を繰り広げて来た朝日新聞などと

9

過去現在を含めて日本も同様だ。例外が福島なのである。 

10

The government who received strong anti-aircraft noise movements from them decided to abolish Itami

11

今朝の北海道の大地震では北海道全域で停電している。何故か?

12

His thesis has wonderfully papers that I was presuming the truth of President Trump.

13

報ステが全く触れていないのが、①トリチウムを含む汚染水を日本を含む全世界がどのように処理しているか、②トリチウムは有害か無害か、という点

14

原発は人類が作った史上最高に堅牢な建物で、大地震で大半の建物が倒壊しても原発だけは残っている、そういうレベルの建物なのである

15

Then they said that it would be troubling for the airport to disappear.

16

His thesis has wonderfully papers that I was presuming the truth of President Trump.

17

There is no way for the turntable of civilization going to such a bad country,

18

Then they said that it would be troubling for the airport to disappear.

19

there is no recovery after the war that the world was amazed.

20

decided to construct Kansai Airport which is a maritime airport where no noise problem will occur

21

今、日本の全電力の90%をまかなっている火力発電所は原発に比べれば遥に脆弱な建物だからである。

22

The unemployment rate falls below 4 % and realizes a full employment approximately.

23

これが国際社会の基準で、中国、韓国、ロシア、米国など、どの国もその基準で海に放出中だ。

24

トリチウムは事実上無害 

25

The country is bad and does the country stand up !?

26

It is only in America that 3 - 4 % of economic growth rates come in sight in the advanced

27

報ステは汚染水の処理問題を理解するのに必要な基本的情報を全く伝えなかった。

28

北海道全世帯の電気が停止した状態を作った人間達が今なお行い続けている悪辣さを、

29

体内に入っても体外から降り注いでも、トリチウムは事実上無害だ。こうしたことを伝えない報ステの意図は一体何か。

30

トリチウムは元々、自然界に存在する核種でわずかに放射線を出すが、水と同じ性質であるため生体内で濃縮されず、十分に薄めれば人体には全く無害

31

排出される汚染水は多核種除去装置で62種類の危険な放射性物質を取り除いてトリチウムだけにし、十分に希釈して海に放出する

32

雲などの大気中の水分に、空から降ってくる宇宙線が衝突して、トリチウムが生まれ、その中で私たちは暮らしているが、

33

その中で私たちは暮らしているが、トリチウムが人体に外部被曝を起こすこともない。

34

友人がニュースを見ましたか?と切迫した声色で電話をかけて来たから、「いや、何で?」と問い返したら、「北海道に震度6強の地震が起きて

35

私が最上級の敬意を持っている女性である事が当然である事を日本国民及び世界中の人たちが100%同感する論文である。

36

もうひとつ、報ステが知らん顔をしていたのが、賠償金欲しさに放出に賛成することは絶対にないと断じた小野氏の言葉である

37

彼らとは正反対の正しい検証を持って完璧に批判した見事な論文である…これこそ警世の論文だろう。

38

国は悪い、マスメディアは正しい…こんな本当に幼稚さ愚かしさの極みの様な考えを植え付けたGHQとは米国大学を出たてのベアテ・シロタに

39

反原発運動に弾みをつけさせる試みではないかと疑いたくなる。 

40

(それでも日本の原動力の両輪である関西に国際空港は絶対に必要…こうなれば海上空港しかないとして)、関空を作る決定を下した

41

日本国憲法の作成にも携わらせたような幼稚で杜撰な態様…その結果としての、4年前の8月までの朝日新聞などやNHKによる日本国支配

42

常に彼らのバックボーンだった朝日新聞やNHK…、

43

騒音訴訟や「伊丹空港出ていけ」運動が真っ盛りだった頃、ここは多くの極左活動家、圧力団体の巣窟だった。

44

年収4,500万円を得て日本を停滞させる日本を潰す日本を転覆させる事ばかり言っている野党の政治屋どもこそ今すぐ救援活動に向かうべきだ

45

トリチウム水の真実から視聴者の目を逸らし、世界の基準である海洋放出という解決策をつぶし、

46

東京電力は3.11以降今年7月末までに約8兆3000億円という膨大な額の賠償を実行済みだ。その多くが福島県に集中している

48

現在も続く福島の混乱と、結果として復興を妨げている後ろ向きな言動は、賠償金問題と密接に絡み合っている

49

すると今度は空港が無くなるのは困る(各種の助成金が入らなくなるから)として関西12市町連合を作って空港の存続運動を開始した態様

50

彼らと朝日新聞が主導して来た事々の悪が全て露になって来ている…

 

 


以下は昨日の検索数ベスト50である。

2018年09月08日 21時37分32秒 | 日記

順位

ページ名

1

画像一覧

2

Japanese military and civilian leaders know they have a problem in the East China Sea,

3

Of course, the Chinese claim to the East China Sea and Senkakus is cynical and opportunistic

4

Japanese and U.S. forces need to completely integrate for East China Sea-Nansei Shoto defense

5

The JTF should be a joint Japanese and American show, fully linked and integrated.

6

If China controls the Senkakus and the East China Sea, it can sever Japanese sea lines of

7

NY. Times and Washington Post etc. under anti-Japanese propaganda maneuvering,

8

Norimitsu Onishi in the New York Times had a ridiculous reporter kept writing anti-Japanese

9

PRC aims to humiliate and remove Japan as a threat to Chinese domination of Asia

10

while Kim Jong Un dominates the headlines, bigger trouble is coming in the East China Sea

11

この記事を読んだ有数の読書家である友人は「関空の連絡橋に衝突した福岡県籍のタンカーは本当に怪しい」と言ったのである。

12

そして合意によって成り立つ台湾の政権は、中国にとって今は脅威といえるが。

13

aggression or even a continued “osmosis” strategy against Japan will bring in the United States

14

Asahi Shimbun's English version and the Japan Times continue to send out the world an article

15

騒音訴訟や「伊丹空港出ていけ」運動が真っ盛りだった頃、ここは多くの極左活動家、圧力団体の巣窟だった。

16

第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。領海に近づかないよう巡視船が警告した

17

日本だけでは中国の攻勢に切羽詰まることになるだろう。そのため、日本と米軍は東シナ海-南西諸島防衛で、完全に統合する必要がある

18

仮に台湾が「陥落」したら、「戦略上の要衝」である台湾を失うことで、米国のアジアにおける地位は崩壊する。 

19

The headquarters will fit nicely at U.S. Marine Corps Base Camp Courtney on Okinawa,

20

The East China Sea is a huge test for Japan—and the Americans.

21

This should start with a regular series of patrols, exercises, and joint-operations, and basing

22

another constituency does not. And public opinion appears mostly ill-disposed towards the PRC

23

While North Korea gets most of the attention these days, in the East China Sea a

24

米国は日米安全保障条約に沿って、日本を守るか、あるいはそうしないか。

25

逆もまた真なりで、あの民主党政権を誕生させた張本人である朝日新聞は中国の代理人だったのだと言っても全く過言ではないのである

26

Our Japanese are the only citizens who know about other countries far better than

27

Along with this military effort, Washington needs to quietly inform Beijing that

28

重要なことは、台湾はもはや中国の共産党政権にとって、その存在に関わるような脅威ではなくなってしまうということだ。

29

活気に満ちた民主主義と、「中国人民は厳しい監視下でのみ支配可能だ」という共産党政権の主張を非難する、

30

Japan and China are heading for trouble. It’s just taken a while to get there.

31

中国が過去20年にわたり、軍備力を急速に整備している目的の一つは、東シナ海、および尖閣諸島における支配権を獲得することにある

32

今検索すると前章の記事が掲載されているJapan forwardを産経新聞が発行したのは2017/6/1である

33

By themselves the Japanese will be hard-pressed to take on Chinese aggression. Thus,

34

Towards this end they might establish a permanent Joint Task Force (JTF) to defend the

35

月刊誌正論今月号に「尖閣諸島は日本と中国の“火薬庫”」と題して掲載された元米海兵隊大佐グラント・F・ニューシャムさんの論文からである

36

各自衛隊はそれぞれ限られた能力を超えて、協力することが求められる(現在の「統合任務部隊」は自衛隊法に基づき

37

China may not be quite ready for war, but in a few years, it will be.

38

努力とそしてわずかな幸運があれば、中国を引き下がらせることはできる。

39

では、日本は戦うだろうか?そうかもしれない。日本の政治の世界では宥和政策を好む有権者がいる。しかし、そうでない層もある

40

中国はそこで、日本に恥をかかせ、中国のアジアにおける支配の脅威になるような存在から取り除こうとしている。

41

in the East China Sea a momentous collision is approaching.

42

to rally public support—and to distract from domestic problems.

43

The Chinese only made an issue of the Senkakus from about 2009.

44

産経新聞には、この1件だけでも国民栄誉賞を与えるべきであるが、産経新聞よりはるかに以前、2010年から今日まで、ほぼ毎日、

45

「統合任務部隊」は日米間で完全に連結、集約した姿を示す必要がある。

46

4時間前に産経新聞がネットに発信した記事…尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは9日連続

47

Should China gain uncontested control of East China Sea, Taiwan will be doomed without a

48

Japan’s Response…That is an existential threat to Japanese independence.

49

前章までの章で私は何度も中国が「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」の国である事を思った。

50

“They always are and they never are.”