伊勢にお住まいで
長年、青少年の育成と
伊勢神宮のために真を捧げてこられた方が
初めて、本を出された。
現在では、神さまのお役目をされるために
肉眼がご不自由になられたので
もちろん口述筆記だけれど
遅すぎるくらい、待たれていた一冊だ。
謙虚にもほどがある?というくらい
私の言葉なんて残らんでいいのです、という姿勢でこられながら
ときおりふっと詠まれる歌は
どれだけ多くの人の指針となり
いいもわるいも決して裁かずやわらかい懐は
人々の気持を救ってこられたろう。
本来の伊勢、やまと、トのをしえを
姿で表してくださっているかのような方である。
そして、奥様がまた、素晴らしい。
相応なので、これはお二人あわせての伊勢のお姿で
お二人合わせての出版なのだと、
こちらの喜びもひとしおだ。
その、先生に、初めてお目にかかってから
何度目のときだろう
家族でお伺いしているときに
ふと、先生が、私の手をとっておっしゃられた。
『ああ、いままでわからなかったけれど
いま、はじめてわかりました、そうだったんですね。』
??いったい、何をおっしゃろうと?
『ご主人の、亡くなられた奥様はあなたのお姉さんだった人なんですね
あなたたちは姉妹だった』
『先生??いえー、違います』
『いや、ちがわないんだ、あなたは昔、その方の妹だった』
・・・あらあら、これはまるで江原さんのオーラの泉とかのようなことを
先生までおっしゃるというのかしら
つまり、そんなご縁だから、一緒になって、せいぜい大事になさいよとおっしゃる?
そう、苦笑して拝聴していたら
先生は、いたって真面目なお顔で
畳に指で丸を描くしぐさをなさりながら続けた。
『いいですか、これが、亡くなられた方ね
そして、これがご主人、
そして、これが〇〇君、
そしてこれが、あなたです。
亡くなられたこの人は、この、ご主人に頼もうとしたけれどだめで
こっちの〇〇君に頼もうとしたけれどだめで
それで、昔妹だった、この、あなたに託しました。』
・・・・・・・・・
『あなたに頼みを託しました』
ドキ☆いったい、、、そ、それは息子のことでしょう。
そう思うから、はい、一生懸命、わが子と思い
というか、わが子とかそうでないとか
もともと隔てを感じることはないし
どんなときでも、
この子のために本当によかれと、いつも心がいっぱいです。
あれ?でも、待てよ、
この子にも頼もうとしたけれどだめだったとな?
この子の世話を本人に頼んだりはしない
では、いったい・・・
『そうか、供養ですか?供養は怠らずさせていただいています』
『いや、そうではありません』
『はああああ、では、いったい、何を託されたんでしょう、先生教えて下さいよ』
『。。。私にも、わかりません、ただ、いま、ぴんと、きゅうにそう感じて、
頼んだってことだけがわかったんです』
『そんなああ』
謎の宿題を残されて、ずっと心にひっかかっていたけれどわからないまま
或るとき、友人にその話をしたら
『猫じゃないですかねー』
「え?」
奥さんの猫が4匹いるでしょ、猫を頼んだんじゃ。。
えー??そうかしら、確かに4匹は可愛くても大変だ
何度掃除機をかけても家中毛だらけになるし、食べたものはしょっちゅうはいてしまうし
みんな巨漢だから、存在感もハンパではない
だけど、、
「主人も子どもも猫は大好きで
その猫たちのことは頼まれなくたって猫かわいがりしているから
彼らに頼んでもだめだった、というのでは違う。」
「でも、ただ、かわいがるのと本当に日々世話するのは別でしょ」
自身も猫を6匹も飼っている彼女の言葉に
そうかなあと、半信半疑でうなずき、
なんとなく、それで忘れてしまった宿題の答。
あれから、託されていたはずが
時が変わり、子どもが小さいあいだは頼もしかった姉さん女房は
人生をまたまた方向転換したいとの彼からの申し出から
御用済みと相成ったので
いったいあの7年の年月は何だったろうと
心の底からぬぐえない謎がずーっと残ってしまっていたけれど
ふと、気がついた。
私に託されたものは
彼の心の成長、魂の成長、気づき、のためのお役だったのかもと。
亡くなった方もふくめて
それまでの、彼がたくさんつきあってきた女性や友人
入れ込むときは凄く入れ込むけれど、
ある日突然、「違う」と思ってしまうと
ばっさり切ってしまうことを繰り返してしまうという
もったいない癖のため
当時いつも、僕には友達がいないんだ
あなたには友人がたくさんいてうらやましいと
いつも言っていた人に
深い因縁なのか、そういう星回りなのか、
何もかも見えすぎてしまう相手との
ウソの通らない初めての体験をすることで
それまでのようにただ強引にまくしたてるだけで
ごまかしたり、ねじ伏せたり、蓋をして、
逃げ切れてしまえないこともあるのだと
気づいてほしかったのでは、
成長してほしかったのでは
生前に気づいてもらえなかった自分の思いもわかってほしかったのではと
思うようになった。
気に入ったものや人の考えや言葉を
上手に組み合わせて取り込んでしまうことのできる器用さ、賢さを、
みずからの体験と、本当の自分と向かい合う機会で裏打ちできるよう
人様の前で話したり書いたりもはじまった彼の
話す言葉と実際とが分離し過ぎて、手遅れにならないよう。。手遅れにならないうちに。
そうか、それも愛だね
あっちにいってまで
伴侶だった人にホンモノになってほしかったんだ
でも、わかる
私も同じに想うから。
そうか、姉妹だったから似ているのかもね。
いまでは、人生ではじめて
たくさんの支持者や友人と持続した関係を作り
また新しい相手もも見つけて幸せになってくれているのは
きっと、奮起して、意識してがんばったからではと思うと
体験は無駄ではなかったのじゃないかなっておもう。
だとしたら、託されたことは無駄ではなかったね。
先生、忘れかけていた
先生からの宿題の答えが
ようやく時を経て、私にもわかってきた気がいたします。
初出版の寿ぎ。
『すべては今のためにあったこと』
人生に無駄なんて、本当に何ひとつないです。
弥栄!