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そう見寺(滋賀県近江八幡市)重要文化財

2013-05-18 14:45:46 | 神社・仏閣・教会

2013年5月14日 滋賀県

そう見寺 重要文化財

滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371

織田信長が安土城築城に伴い創建した。開山は正仲剛可。織田家の菩提寺として,代々織田家ゆかりの者が住持となる。1571年(元亀2)仁王門(重要文化財)が建てられ,ついで天正年間(1573‐92),甲賀郡より1454年(享徳3)建造の三重塔(重要文化財)が移築された。本堂に信長,信忠の像がまつられ,また近くの安土城址のかたわらに信長の墓がある。安土山の中腹にあり,琵琶湖が望見できる。

▲三重塔

▲仁王門

 

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安土城跡(100名城)~滋賀県近江八幡市安土町

2013-05-18 14:43:46 | 100名城

2013年5月14日 滋賀県

安土城跡 100名城

滋賀県近江八幡市安土町

JR安土駅の北東、標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。国指定の特別史跡です。天正4年(1576年)から織田信長が約3年の歳月をかけて完成しました。安土・桃山時代の幕開けとして築城されましたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。安土山の南側には、堀が巡っていて往時の名残りを留めています。天主跡と本丸跡には礎石が、また二の丸跡には、豊臣秀吉が建立した織田信長廟が残っています。天主閣跡から東へ少し下った黒金門跡(くろがねもんあと)付近には、壮大な石垣もあります。また、山の中腹には家臣団屋敷跡があり、山の尾根づたいに北へ行くと八角平や薬師平があります。城山の中心部への通路は、南正面から入る大手道のほかに、東門道、百々橋口道、搦手道などがあります。 城の外面は各層が朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色だったといいます。内部は、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあり、当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたといわれています。わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡です。滋賀県観光情報より

 

▲復元天守閣
 

▲本丸までは厳しいぞ!
 

▲前田利家邸址
 

 ▲仏足石:安土城に由来するものではないだろう~
 

▲二の丸址

▲織田信長公本廟

 

 総見寺

織田信長が安土城築城に伴い創建した。開山は正仲剛可。織田家の菩提寺として,代々織田家ゆかりの者が住持となる。1571年(元亀2)仁王門(重要文化財)が建てられ,ついで天正年間(1573‐92),甲賀郡より1454年(享徳3)建造の三重塔(重要文化財)が移築された。本堂に信長,信忠の像がまつられ,また近くの安土城址のかたわらに信長の墓がある。安土山の中腹にあり,琵琶湖が望見できる。

▲仁王門

 

2013-05-18 14:43:46

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彦根城2013②(天守閣)100名城~滋賀県彦根市金亀町

2013-05-18 06:36:24 | 100名城

2013年5月14日 滋賀県

彦根城2013②(天守閣) 100名城 

滋賀県彦根市金亀町

姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。

 

▲登り石垣

彦根城には全国的にも珍しい登り石垣が、5ヶ所に築かれています。登り石垣は、豊臣秀吉が晩年に行った朝鮮侵略の際、朝鮮各地で日本軍が築いた「倭城〔わじょう〕」において顕著に見られるもので、高さ1~2mの石垣が山の斜面を登るように築かれています。斜面を移動する敵の動きを阻止する目的で築かれました。

 

▼天秤門

天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要(かなめ)の位置に築かれた櫓です。この櫓は、上から見ると「コ」の字形をしており、両隅に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く構造となっています。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名があります。

 

▼時報鐘

 お山の鐘として、市民に親しまれている彦根城の時報鐘。 この鐘、当初は鐘の丸に設置され、ご城下に時を知らせていましたが、幕末期に、より遠くまで音色の美しいときを知らせるようにと、多量の小判を投入した鐘に造り直され、太鼓門近くの高台に移されました。

▲自然の石をそのまま使用したもの


 
太鼓門櫓

本丸にそびえる天守を目の前にした最後の門が重要文化財の太鼓門櫓です。門櫓の南には、「く」の字に曲がった続櫓が付設されています。この門櫓は、建物の背面の東壁面が開放され、柱間に高欄(手すり)を設置して1間通りを廊下にしています。

  

▲佐和山か?(石田三成の居城があった)


 

▼矢狭間

 琵琶湖を望む

▲西の丸三重櫓

 

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彦根城2013①(二の丸佐和口多聞櫓・馬屋)

彦根城2013③(表御殿/彦根城博物館)

 

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