コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

旧篠原家住宅(重要文化財)~栃木県宇都宮市

2015-08-30 05:32:17 | 建築物(洋館以外)

2015年4月29日 栃木県

旧篠原家住宅 重要文化財

栃木県宇都宮市今泉

宇都宮市を代表する旧家の一つである篠原家は、江戸時代(18世紀の終わり頃)から奥州街道口の現在の場所で、醤油醸造業や肥料商を営んでいました。現在の旧篠原家住宅は、明治28年(1895) に建てられたものです。第二次世界大戦の戦災により、母屋と石倉3棟を残して、醤油醸造蔵や米倉などの建物は焼失してしまいましたが、明治時代の豪商の姿を今日に伝える貴重な建造物となっています。黒漆喰や大谷石を用いた外壁や、商家を特徴付ける店先の格子などとともに、1・2階合わせて100坪という規模の大きさが、堂々たる風格を形作り、JR宇都宮駅前の歴史的シンボルとなっています。

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二荒山神社~栃木県宇都宮市

2015-08-29 07:23:12 | 神社・仏閣・教会

2015年4月29日 栃木県

二荒山神社

栃木県宇都宮市馬場通

約1,600年前に豊城入彦命と大物主命を祀ったのが始まり。宇都宮は、この二荒の杜を中心に栄えてきた街。今も昔も二荒山神社は宇都宮に住む人の心のよりどころ。お正月・七五三・受験祈願など、暮らしの節目ごとに多くの市民が参拝する。その歴史は古く、起源は約1,600年前。宇都宮の始祖・豊城入彦命をまつっている。この神社が下野「一の宮」と呼ばれていたことから、宇都宮の地名がついた、との説もある。社宝は鉄の狛犬と三十八間星兜で、どちらも国の重要美術品に認定されている。 じゃらん

本殿

   

神楽殿

 二荒山神社攝社下之宮

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旧影澤医院(洋館)・~栃木県佐野市金屋仲町

2015-08-28 06:19:59 | 洋館

2015年4月25日 栃木県

旧影澤医院 

栃木県佐野市金屋仲町

旧影澤医院は、佐野市の中心部、佐野駅の南およそ500メートルにあり、市内で最も初期の近代医療施設として1911年(明治44年)ごろに建てられた木造の洋風建築です。県文化財課によりますと、旧影澤医院は横板張りの外壁に上げ下げ窓を並べ、特に玄関ポーチ周りのデザインを凝らし、ペディメントに「KS」のイニシャルと「影澤外科院」の文字をあしらうなど、しゃれた外観で町並みの景観を引き立てているということです。 栃木放送ホームページより 

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佐野の町並み~栃木県佐野市

2015-08-28 06:19:59 | 町並み

2015年4月25日 栃木県 

佐野の町並み(栃木県佐野市)

▲佐野駅

  

 ▲佐野厄除け大師(春日岡山惣宗寺)

▲日本基督教団佐野教会

▼旧影澤医院 

旧影澤医院は、佐野市の中心部、佐野駅の南およそ500メートルにあり、市内で最も初期の近代医療施設として1911年(明治44年)ごろに建てられた木造の洋風建築です。県文化財課によりますと、旧影澤医院は横板張りの外壁に上げ下げ窓を並べ、特に玄関ポーチ周りのデザインを凝らし、ペディメントに「KS」のイニシャルと「影澤外科院」の文字をあしらうなど、しゃれた外観で町並みの景観を引き立てているということです。 栃木放送ホームページより 

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佐野厄除け大師(春日岡山惣宗寺)~栃木県佐野市金井上町

2015-08-27 06:22:44 | 神社・仏閣・教会

2015年4月25日 栃木県

佐野厄除け大師(春日岡山惣宗寺)

栃木県佐野市金井上町

栃木県佐野市にある天台宗の寺院である。山号は「春日岡山」、寺号は詳しくは「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺(かすがおかやま てんぼうりんいん そうしゅうかんじ)」と称する。一般には佐野厄除け大師の通称で知られる。
厄除け元三慈恵大師を安置して、厄除け、方位除けの祈願を続け、正月になると大祭を開催し、百万人の参拝者が訪れるなどの賑わいをみせています。また、徳川家康の遺骨を久能山から遷葬のさいには、一泊するなど徳川幕府との縁も深いところです。

▲金銅大梵鐘

▼銅鐘

  

▼本堂

  

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足利の町並み~栃木県足利市

2015-08-26 06:19:35 | 町並み

2015年4月25日 栃木県

足利の町並み

栃木県足利市

▲ 足利駅

▲ 足利学校

 ▼ 松村記念館

足利の歴史文化ゾーンに位置する松村家住宅(主屋等)は、1925年(大正14年)に建てられた木造建築の古民家です。この面積はおよそ330平方メートル(約100坪)です。

   

▲ 足利尊氏 像

 

▲鑁阿寺▼

  

 ▲織姫神社▼

▲八雲神社▼ 織姫神社のむかい。祠の彫刻は見事!立ち入り禁止でした。

▲からくり時計

  

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織姫神社~栃木県足利市

2015-08-25 05:32:10 | 神社・仏閣・教会

2015年4月25日 栃木県

織姫神社

栃木県足利市西宮町

『足利来るなら織姫様の 赤いお宮を目じるしに カラリコトントン カラリコトン 足利絵の街 機の街』と足利音頭に歌われた足利織姫神社。ここには、1,300年の歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神が奉られており、産業振興と縁結びの神様として足利市民に広く親しまれています。この神社は、明治12年に建てられましたが、翌13年に火災により焼失してしまいました。その後、昭和9年に社殿再建に着手、3年の歳月をかけて当時では珍しい鉄筋コンクリートで昭和12年、現在の社殿が完成しました。 足利市観光協会

歩道橋の手摺も朱色

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鑁阿寺(ばんなじ)100名城~栃木県足利市家富町

2015-08-23 05:45:26 | 100名城

2015年4月25日 栃木県

鑁阿寺(ばんなじ) 100名城

栃木県足利市家富町

鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山である。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定されている。日本100名城の一つ。寺号は詳しくは「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)」と称する。足利氏の氏寺。本尊は大日如来。鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。  Wikipedia

 太鼓橋と楼門

 

 

 楼門 栃木県指定文化財

足利幕府十三代将軍足利義輝の再建。両側の仁王像は桃山時代の作。

 ▼ 鐘楼 重要文化財

 

一、建久七年(1,196年)足利義兼建立
一、建築様式 形状簡古、手法稚撲 鎌倉時代の和様、
  唐様折衷の代表的禅宗様式、桁行三間、梁間二間、袴腰付、
  入母屋造、本瓦葺
一、明治四十一年、国宝建造物に指定さる。
一、大正五年 解体修理実施
一、昭和二十六年、国重要文化財に指定さる。
一、昭和三十六年 反解体修理実施
一、平成四、五年 半解体修理実施
・梵鐘は元禄時代の再鋳であるが戦時の供出は歴史資料としてまぬかれる。
真言宗 金剛山 鑁阿寺

 

 ▼ 本堂 国宝

本堂は鎌倉時代、建久7年(1197年)に足利義兼が持仏堂として建立したものを、その後足利義氏が方5間の大堂を建立したが、1129年の火災で失い、尊氏(たかうじ)の父・足利貞氏(さだうじ)により正安元年(1299)に再建したもの。
鎌倉時代に当時中国の最新の寺院建築様式の一つであった禅宗様(ぜんしゅうよう)をいち早く取り入れたもの。密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重な文化財である。平成25年(2013年)に国宝指定。ご本尊様は胎蔵内大日如来。申年、未年の守り本尊である。後方壇に弘法、興教の二大師、開基鑁阿上人(足利義兼)像をはじめ、明治維新まで、堀の外に祀ってあった塔頭十二支院の御本尊を安置している。鑁阿寺ホームページより

 

 

国宝 鑁阿寺本堂(大御堂)

鎌倉時代初期、建久七年(1,196年)足利義兼の建立。正安元年(一二九九)再建。本尊は源氏相伝の守本尊、大日如来。
建築は構造雄大、手法剛健、本瓦葺
唐様と和様を加味した折衷の代表的な建物で堂内の柱、天井、厨子等の価値は高い。明治四十一年 国宝に指定され昭和八年より二年間、解体修理を文部省の指導の下 実施した。戦後、法令の改正により重要文化財の指定を受く。境内に山門、鐘楼、不動堂、一切経堂、多宝塔、御霊殿等の七堂伽藍を備えた東国の 密教の代表的な寺である。創建以来、幸い火災にあわず多数の重要文化財を蔵している。開祖、義兼七世の孫は足利尊氏にして京都室町に幕府を構え、幕府は一五代二百三十年つづいた。大祭は五月三、四、五日、十一月三、四日 初詣、節分鎧年越等 厄除・開運の祈願寺として参拝者が多い。  真言宗大本山 金剛山 鑁阿寺

 

▼ 中御堂(不動堂)

鑁阿寺を開いた足利義兼により建久7年(1196)に建てられ、その後、文禄元年(1592)に再建されます。一山十二坊図[いちざんじゅうにぼうず]には護摩堂と書かれていて、大御堂[おおみどう]と屋根つきの廊下で結ばれていたことがわかります。今の建物はそのつくりから江戸時代中期以降の建造物と思われます。なお内部には平安時代作といわれる不動明王像が置かれています。足利市ホームページ

 

寺伝では開祖足利義兼公の創建とあるが、文禄元年(1,592年)生実御所国朝の再修になる。御本尊不動明王は往古千葉県成田山より勧請せるもので興教大師の作といわれ霊験あらたかな不動明王である。本堂が明治四十一年国宝に指定される迄は不動堂と廊下でつながっていて四度加行(しどけぎょう)の護摩法の道場として使用した堂宇である。昭和四十四年信徒の浄財により半解体修理を実施した。商売繁盛を祈念する堂であると同時に酉年守本尊なり。堂の右側に古井戸の跡あり八百年前足利氏が居住した時に使用したといわれる。  真言宗 大本山 鑁阿寺 

▼ 経堂 重要文化財

 

当山開祖、足利義兼が妻の供養の為 一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建したといわれるが、現在の建物は応永十四年(1,407年)関東管領足利満兼により再建された。足利家は鎌倉・室町の両時代に盛んに一切経会を営んだ事が当山古文書(国重文)にみられる。堂内に八角の輪蔵(経棚)があり一切経二千余巻を蔵するが、此の経棚は江戸時代宝永年間の大修繕のものなり。
昭和十一、二年 文部省技師阪谷良之進の指導の下、解体修理を実施した。
昭和五十九年 国重要文化財に指定さる。
平成十六、七年 屋根を主に文化庁指導の下、、大修繕を実施。
真言宗大本山 金剛山 鑁阿寺

 

▼ 校倉

宝庫、大黒堂とも称する。永享四年公文所奉行の再建をいわれているが現存の棟札では当山卅二世満慶上人が宝暦二年の再修となる。建築様式は校倉風(あぜくらふう)で元来当山の宝物を収蔵した。四十二世忍空上人の時、宝物は他へ移して足利家伝来の大黒天を祀った。昭和五十五年 市の助成を得て元文部技官安田昭二に依り半解体修理を実施した。 真言宗 金剛山 鑁阿寺

 
 向かって右より 校倉(大黒堂) 、大酉堂(おおとりどう)、御霊屋

▼御霊屋

足利大権現と称し、俗に赤御堂とも云う
正和年間(1,312年~)の当山伽藍配置図にも境内西北に描かれている。創建は鎌倉時代といわれるが、現在の建物は徳川十一代将軍家斉の寄進しよって再建された。本殿に源氏の祖を祀り拝殿に県指定文化財 足利一五代将軍像を祀る。昭和三十二年境内整備のため以前の位置より北へ十二間後退させた。本殿の裏に当山開基 足利義兼の父、義康 祖父、義国の墓あり。昭和五十七年、八年度 栃木県及び足利市の助成を得て(株)安田工務店に依頼して半解体修理を実施した。真言宗 大本山 鑁阿寺 


開祖足利義兼公創建と伝えられているが現在のは 元禄五年 徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院尼公の再建と伝えられていたが、相輪の宝珠を調査したところ、寛永六年(1,629)銘のものが発見され搭の再建年代がさかのぼる事が判明した。徳川氏は新田氏の後裔と称し、新田氏は足利の庄より新田の庄に分家したるが故に徳川氏は祖先発祥の地なるを以て、此の宝塔を 祖先の菩提供養のため再建寄進した。・本尊は 金剛界大日如来 本尊前に勢至菩薩(俗に二十三夜尊) 両側に十六羅漢像を祀る。
・奥に足利家の大位牌と徳川歴代将軍のお位牌を祀る。・多宝塔としては我国で一番大きい。 (これ以上大きいのは大塔という。) 平成七、八年半解体修理を実施した。 真言宗 金剛山 鑁阿寺 


▲ 大銀杏 樹齢550年前後

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足利学校~栃木県足利市

2015-08-22 06:26:32 | 建築物(洋館以外)

2015年4月25日 栃木県

足利学校

栃木県足利市昌平町2338

足利学校の創建については様々な説があります。平安初期に小野峯が創建したという説。ですがどれが正しい説であるかは現在も解明されていません。足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期です。上杉憲実が関東菅領になると学校を整備し、書籍の寄進や庠主(校長)を招き入れ、学生の養成をしました。16世紀の初頭には生徒は三千人を数え、フランシスコ・ザビエルによって海外にも紹介されました。現在の姿は落雷により消失してしまった江戸時代の姿を復元し、当時の学徒がどのようなところで勉強していたのかを、皆さんが見学できるように一般開放しております。 足利市観光協会

足利市観光協会より拝借




 
▲ 裏門




 
▲ 入徳門

 
 
▲ 学校門

  
▼杏檀門
 
  
 
 
 
 
 ▼ 大成殿
 
聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟です。建物の名称は「大成殿」で寛文8年(1668)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたものです。「大成殿」の様式は中国明代の古廟を模したものと伝えられています。
 
 
 
 
 
 
▲ 孔子坐像
 
 ▲ 小野 篁 像
 
 ▼ 衆寮
 
 
 
 

衆寮は、僧房又は学生寮です。学生が寄宿し、あるいは遠くから通う学生が写本をするために泊まったと思われます。桁行八間、梁間二間半、屋根は切妻造で板葺、外壁は上が土壁の漆喰仕上、下が板張です。内部は六畳の間に一間の土間がついて一部屋になり、それが四部屋続く長屋となっています。発掘調査の結果、塀の中から多数の灯明皿が出土していることから、夜の闇の中で灯明をともし、学問に励んだ様子をうかがうことができます。(宝暦年間の姿に復原) 説明版より

 

木小屋 (物置)

 
土蔵 
 
 
▲ 手前 「方丈」 奥 「庫裡」
 
  
  
 
▼ 方丈
 
日本最古の学校といわれる。堂中の中央には孔子坐像、右には、足利学校の創立者とされる小野篁、左に徳川家康の神位を祭っている。聖廟の左に足利学校遺跡図書館があり、多数の古文書が保管されている。創立については明らかではなく、平安初期に小野篁の創立などの説がある。その歴史が明らかなのは室町中期以降で、1439(永享11)年に関東管領上杉憲実が鎌倉の禅宗五山のうち円覚寺の僧快元を初代庠主として学校を整備し、学則を定め学生を養成した。憲実以後もその子憲忠などが学校の基礎をかためた。1668(寛文8)年には幕府の力で聖廟が修築された。廃校となったのは1872(明治5)年のことである。じゃらん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
▲宥坐之器(ゆうざのき)
 
自らの戒めとするために身近に置いてある道具のこと。「宥坐」は身近や身の回りという意味。桓公の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。これを見た孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心をもち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」と説いた故事から。四字熟語辞典オンライン
 
 
▲ 北庭園 ▼
 
  
 
 
▲ 方丈からの大成殿
 
▲ 南庭園
 
 
 
▲ 裏門
 
 
 
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足利駅~栃木県足利市伊勢町

2015-08-21 05:54:32 | 鉄道・駅

2015年4月25日 栃木県

足利駅  東日本旅客鉄道両毛線

栃木県足利市伊勢町







 

▼ EF60 123形直流電気機関車

 

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黒部渓谷・立山黒部アルペンルート2015

2015-08-19 06:30:51 | 旅行

2015年8月3・4日

黒部渓谷・立山黒部アルペンルート2015

▲ 東京駅にて 「はくたか」 で黒部宇奈月温泉駅へ
 

▲黒部宇奈月温泉駅

 ▲宇奈月温泉街

黒部渓谷(黒部渓谷鉄道)
 

▲宇奈月温泉駅にて 山彦橋と新山彦橋

▲ 万年雪(鐘釣りにて) 

-------

▼ 宇奈月温泉早朝散歩

 ▼ 立山駅から美女平へ

▼美女平から室堂へ

▲立山連峰

▲剱岳

▲雪の大谷(積雪4m)

▼室堂
 

▼室堂から大観峰、黒部平、黒部ダムへ

▼ 関電トンネル無軌道電車(黒部ダムから扇沢)

▲扇沢

▼扇沢から上田駅へ(バス)

▲上田駅 「あさま」で帰宅

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黒部ダム2015

2015-08-18 05:54:32 | その他

2015年8月4日 富山県

黒部ダム2015

7年の歳月と延べ1,000万人の努力により、昭和38年に完成した日本最大のアーチ式ダムです。その建設は世紀の大事業として語り継がれ、中でも破砕帯との格闘は石原裕次郎主演の映画『黒部の太陽』に描かれたことでも有名です。日本一の高さ、186mのダムからものすごい勢いで水煙をあげながらの放水は必見です。 とやま観光ナビ 

 

 

戦後の深刻な電力不足に挑んだ黒部ダム建設。最も急がれた工事が、大町トンネル(現在の関電トンネル)の開通でした。北アルプスの黒部川上流のこの地に資材運搬のために掘ることになり、厳冬中も休まず掘り続けられ、工事は順調に進んでいました。ところが昭和32年5月、入り口から2,600mの地点で毎秒660リットルもの地下水と大量の土砂が吹き出しました。大破砕帯に遭遇したのです。掘り進められず工事は中断。一時は開通が絶望視されましたが、当時の最新技術と土木工学の英知を結集し、苦闘の末に7ヶ月の期間を要し、ついに破砕帯を突破したのです。その模様は小説や石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」に描かれ、現在に伝えられています。ダムえん堤東側の一角には世紀の大工事と言われる黒部ダム建設の殉職者慰霊碑が建設され、犠牲となった殉職者171名の名前が刻まれています。黒部ダムホームページより

   

黒部ダムカレー:昭和40年代初頭から「アーチカレー」という名称で始まり、現在までほとんど形を変えることなく続く、人気商品

 

▼ 関電トンネル無軌道電車(黒部ダムから扇沢)

破砕帯

掘削を進めていたトンネルの2,600メートル地点で大破砕帯に遭遇。毎秒660リットルもの大量の水と土砂が噴出し、7月にはとうとう掘削作業が不可能な状態になってしまった。破砕帯の全長は80メートル、湧水量は480万トンに及び、また多数の犠牲者を出した。当時の最新掘削技術を導入、持てる知識と経験を集結し、破砕帯に挑み続けること7ヶ月。同年12月に破砕帯を突破した。

 

2015-08-18 05:54:32

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室堂~大観峰~黒部平~黒部ダム駅

2015-08-16 05:59:58 | 自然

2015年8月4日 富山県

室堂~大観峰~黒部平~黒部ダム駅

室堂から立山トンネルトロリーバスで大観峰へ。

大観峰から立山ロープウェイで黒部平へ。

黒部平から黒部ケ-ブルカーで黒部ダム駅へ。

▼大観峰より
 

▲立山ロープウェイ

▼立山ロープウェイ内から

  

   

▼ 黒部平

▼ 黒部ケーブルカー
   

 

2015-08-16 05:59:58

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室堂(立山黒部アルペンルート)2015

2015-08-15 07:35:20 | 自然

2015年8月4日 富山県

室堂(立山黒部アルペンルート)2015

標高2,450mに位置する、アルペンルートの中心地であり観光の拠点。 眼前には有名な剱岳、立山三山をはじめ、3,000m級の雄大な山々が迫ります。日本アルプスで最も 深い高山湖である「みくりが池」や、火山活動を目の当たりにすることができる「地獄谷」を見ることが出来ます。自然の素晴らしさを大迫力で感じることができます。

※みくりが池を巡る

▲立山連峰
   

▲ 劒岳が見える。劒岳の標高は2999m あと1mあれば・・・・
 

  

 

 ▼みくりが池

室堂のシンボルといえる美しい火口湖です。最大水深15メートル 周囲約630メートル。青くすんだ池面に立山三山を映して 静まりかえっているさまは、まさに神秘的です。 室堂ターミナル屋上から徒歩数分で行けます。周囲600m、水深15mの火口湖。北アルプスの中で最も深い高山湖です。池の周囲には、雷鳥や伝説の花クロユリをはじめ、各種の動植物が数多く見られます。 立山への旅より

 
▲ 奥の山は立山連峰
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
地獄谷
 
 
 
▲劒岳が顔をのぞかせている
 
 
 
血の池
 
火□跡が池になったもので、酸化鉄が多く含まれ赤い色をしています。昔の人々が、立山地獄の一つとして「血の池地獄」と呼んたのが「血の池」の名前の由来です。写真を見ていただければ判るように池と言うよりは水溜りです。
 
 
 
 
 
みくりが池
 
  
 
 
 
 
 
みどりが池
 
 
▲ 立山連峰
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
▲引き上げ直前晴れ上がっていた空に雲がではじめる
 
 
雄山神社峰本社旧社殿(室堂ターミナル)
 
 
 
 
2015-08-15 07:35:20
 
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立山駅~美女平~弥陀ヶ原~天狗平~室堂

2015-08-14 06:34:14 | 自然

2015年8月4日 富山県

立山駅~美女平~弥陀ヶ原~天狗平~室堂

▼立山駅(立山黒部貫光立山ケーブルカー)~美女平駅

▲熊王の水

 

▲材木石(材木の様な石と言うことなのだろう。柱状節理)

このロープウェイには貨物車が連結されている。珍しいね

 

 

美女平~室堂 立山高原バス

※以下の写真はバスの窓越しで撮影
 

 ▲称名の滝

迫力満点!落差日本一の称名滝です!水煙を上げながら一気に流れ落ちるその落差は350mにもなります。立山連峰の雪解け水が多く流れ込む春には、称名滝の右側にハンノキ滝が現れて2つの滝が流れ落ちます。とやま観光ナビ

※かろうじて撮影することができました。

 

    

▲立山連峰が見えてきたぞ

▲天狗平の観光施設

▲ 剱岳(標高2,999 m)

 

  

 ▲雪の大谷 この時の雪壁は約4m

▲ 室堂 天気は最高!

2015-08-14 06:34:14

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