コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

金刀比羅宮②(2/2)~香川県仲多度郡琴平町

2014-10-31 06:16:54 | 神社・仏閣・教会

2014年10月7日 香川県

金刀比羅宮②  

香川県仲多度郡琴平町 

※参道の石段は本宮まで785段

▲始めの一段

▲こんな感じの階段が続きます。

▲100段目▼

▲備前焼の狛犬

▲灯明堂と釣燈籠:釣燈籠は良く見えない

▲200段

▲294段

▲大門が見えてきた

▲大門▼

▲大門からの見晴らし

▲奉納が桁違い!当方、祭りの時の奉納は5000円・・・

▲神馬(しんめと読むようだ):月琴号

▲こんぴら狗の銅像

江戸の昔「こんぴら参り」の袋を首に飼い主にかわって犬がこんぴらへ首に巻いた袋に初穂料と道中の食費を入れて飼い主が旅の人に託した犬 無事代参をすませるとふたたび旅をして家族のもとへ いつの頃からかこんぴら参りのこの犬を「こんぴら狗」と呼ぶようになりました。

▲奉納されたスクリュー:直径6メートル、重さは19.2トン

▲回廊 休憩所?

▲旭社 重要文化財:金刀比羅宮の旧神宮寺の金堂として建立された。下重が方五間の大規模な二重仏堂で、明治に仏壇を廃して神座に改めている。意匠や細部手法がきわめて近世的で、上重の彫刻化した尾垂木や板軒、随所に嵌め込まれた彫刻等は、よく江戸時代末期の特徴を示している。 

▲賢木門 (さかきもん)

▲この階段を登ると御本宮

▲御本宮

▲御本宮の蒔絵

▲南渡殿

▲御炊舎

▲神楽殿

▲讃岐富士

 

金刀比羅宮①(1/2)

2014-10-31 06:16:54

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金刀比羅宮①(1/2)~香川県仲多度郡琴平町

2014-10-30 08:35:09 | 神社・仏閣・教会

2014年10月7日 香川県

金刀比羅宮①

香川県仲多度郡琴平町 

象頭山にあり祭神は大物主命と崇徳上皇をあわせ祀る,海の守護神として崇敬を集め参詣者が多い。建物は何度か改築、増築、改修、再建を繰り返して現在の形状になっている。古くから「さぬきのこんぴらさん」として親しまれている海の神様。参道の石段は本宮まで785段、奥社までの合計は1368段にも及ぶ。広い境内には由緒ある御社や御堂が点在し、宝物館や書院には第一級の美術品や文化財が陳列する。参道両脇には土産物や讃岐名物のうどん店、周辺も旧金毘羅大芝居(金丸座)や高灯籠など見どころが多い。

 ▲金毘羅宮はこの山「像頭山」の中腹にある




モチーフは階段と籠


 古い造りの土産屋が並ぶ

▲階段を上り始める

 

金刀比羅宮②へ続く

2014-10-30 08:35:09

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大歩危~徳島県三好市

2014-10-29 05:45:35 | 自然

2014年10月6日 徳島県

大歩危

徳島県三好市

大歩危は、吉野川中流域に位置する渓谷。 吉野川西岸の徳島県三好市山城町西宇地区の歩危茶屋付近から高知県長岡郡大豊町大久保地区の一部までと、その対岸となる徳島県三好市西祖谷山村の一部を指す総称でもある。峡谷そのものを指す場合は大歩危峡と呼ばれることが多い。Wikipediaより 





名物?大歩危だんご 

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かずら橋~徳島県三好市西祖谷山村善徳

2014-10-28 05:21:59 | 

2014年10月6日 徳島県

かずら橋

徳島県三好市西祖谷山村善徳

平家一族の哀話を秘める、秘境“祖谷”にあるかずら橋。シラクチカズラ(重さ約5トン)で作られたもので、長さ45m・幅2m・水面上14m。 昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設であった。3年毎に架替えが行われる。(国指定重要有形民俗文化財)。日本三奇橋の一つ 三次市観光サイトより

日本三奇橋:山口県錦川の錦帯橋,山梨県桂川の猿橋,富山県黒部川の愛本(あいもと)橋。 大辞林より

※かずら橋なんて入っていません!

日本三奇橋と称する橋:神橋(栃木県大谷川)、愛本橋(富山県黒部川、非現存)、木曽の桟(長野県)、錦帯橋(山口県岩国市)、かずら橋(徳島県祖谷)がある。Wikipediaより

※かずら橋は入っているが日本三奇橋は3っ以上ある。つまり自称ということか?

※かずら橋は一歩通行で、まずは「いやけいおおはし」を渡ります








※かずらが切れている!!

※橋の下は渓谷

※多くの人がかずらにつかまり、へっぴり腰で渡っている。当方もだけど



▲びわの滝

かずら橋の少し上流側にある、高さ50mの滝です。平家の落人達が古都の生活をしのび琵琶を奏で、つれづれを慰めあったと伝えられたという美しい滝


「でこまわし」:でこまわしは、ほどいも(じゃがいも)、豆腐、こんにゃくを竹串に刺し、みそだれをつけて炭火で焼く田楽です。回しながら焼くようすが「でこ(人形)」に似ているので、この名がつきました。

重伝建「三好市東祖谷山村落合」(徳島県三好市)はこのようなところだろう



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桂浜~高知県高知市浦戸桂浜

2014-10-27 06:18:09 | 自然

2014年10月6日 高知県

桂浜

高知県高知市浦戸桂浜

知県を代表する景勝地の一つ。浦戸湾口、龍頭[りゅうず]岬と龍王岬の間に、弓状にひろがる海岸で、背後に茂り合う松の緑と、海浜の五色の小砂利、紺碧の海が箱庭のように調和する見事な景勝地。よさこいネットより

※ここは5色の石で知られている。もちろん当方も拾い集めました。その石は今、メダカの水槽の中

※ここにも竜馬像!!

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高知城(100名城)~高知県高知市丸ノ内

2014-10-26 05:52:48 | 100名城

2014年10月6日 高知県

 高知城 100名城

高知県高知市丸ノ内

高知市の中心にある典型的な平山城。初代土佐藩主山内一豊とその妻千代が礎を築いた土佐二十四万石の歴史ある城。関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊が,慶長6年(1601年)新城の築城工事を始め整備しました。三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっています。高知市ホームページより

 

追手門

追手門から天守閣が見えるぞ
 

▲詰門

※ 美しい天守

▲山内一豊像

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高知市の町並み②~高知県高知市

2014-10-25 05:54:40 | 町並み

2014年10月7日 高知県

高知市の町並み② 高知県高知市

10月7日 早朝

 

▲高知城
 

▲東京 885.5キロメートルの柱と高知市道路元標

※まさかの道路元標!今までに数個見ているだけ

▲旧山内家下屋敷長屋

出雲大社 土佐分祠

大国主命とうさぎ これって因幡の白兎だよね

竜馬郵便局

郵便局名が面白そうだったので 訪れてみたが・・・普通の郵便局

※ 竜馬像があるが普通の郵便局

ポストの上にも竜馬像があるが普通の郵便局

ホテル南水は坂本竜馬誕生地  ここにも竜馬像

高知城下本丁筋1丁目,現在の高知市上町1丁目上町病院前に,誕生地の碑は建っています。父坂本八平直足,母幸の次男として,1835年天保6年11月15日,この地で誕生した坂本龍馬は,1867年11月15日の奇しくも自らの誕生日に,京都近江屋で凶刃に倒れるまでのわずか33年の生涯にあって,類まれなる行動力と,勝海舟や松平春嶽など素晴らしい出会いを重ねることで,薩長同盟の締結や大政奉還など数々の功績を残し今も根強い人気を誇っています。龍馬の誕生日であり命日でもある11月15日には,毎年ここで龍馬誕生祭が行われています。

 

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はりまやばし~高知県高知市はりまや町

2014-10-24 22:08:50 | 

2014年10月6日 高知県

はりまやばし

高知県高知市はりまや町

よさこい節の中で、竹林寺の僧侶純信が鋳掛屋[いかけや]の娘お馬のためにかんざしを買ったと歌われているはりまや橋。その始まりは江戸初期、堀川を挟んでいた御用商人の播磨屋と櫃屋[ひつや]が架けた私設の橋だった。藩政時代、町屋の中心であったはりまや橋は現在、はりまや橋公園西側に太鼓橋が、東側には明治期の親柱をそのまま使用した橋が再現されている。高知一の名所で、市の中心地。るるぶ.com

※ 前回訪れた時と 橋の状況が明らかに違う!以前は道路にそってあったと記憶しているが・・・・

▲親柱

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高知市の町並み①

2014-10-22 06:20:55 | 町並み

2014年10月6日 高知県

高知市の町並み①

 高知県高知市

▲高知駅

▲坂本竜馬らの像 (J R高知駅南口) このあと竜馬像を沢山見ることになる。

「龍馬伝」幕末志士社中

JR高知駅前にある土佐旅の玄関口「こうち旅広場」内のパビリオンとしてオープンした。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の撮影で使用した龍馬の生家が再現されているほか、幕末ムードたっぷりの展示も多数。武市半平太や中岡慎太郎、ジョン万次郎らを紹介するコーナーもある。 おでかけガイド

※NHK大河ドラマ「龍馬伝」は見ていません。興味が湧きませんでした。

 

 はりまや橋

▲はりまやばし商店街
 

▲豊穣祭 興味なくパス

▲高知城

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旧山内家下屋敷長屋(重要文化財)~高知県高知市

2014-10-21 05:52:17 | 建築物(洋館以外)

2014年10月6日 高知県

 

旧山内家下屋敷長屋 重要文化財

高知県高知市

国指定重要文化財建造物 16代藩主・山内豊範により慶応元(1665)年完成。幕主に元藩主・山内容堂が下屋敷としたものの一部。桁行十七間半、染問二間半の二階建。下屋敷で警固番を勤めた足軽の詰所であったとみられる。近世の長屋建築で、これだけの規模を持つものは少なく、全国的にみても貴重である。よさこいネット

※何故かこの建物はホテルの敷地内にある。ホテルのオーナーは山内家の末裔かとふと思う。

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四万十川

2014-10-18 11:53:49 | 自然

2014年10月6日>四国>高知県>四万十町

四万十川

四国最長の大河、不入山(1,336メートル)の東斜面に源を発し、主な支流35、支流総数319、四国西南地域を大きく蛇行しながら、落差のない流れとなって、四万十市下田で太平洋に注ぐ。長さ196キロメートル

生命を育み、流域住民によって支えられてきた「四万十川」は、広大な汽水域とともに200種類もの水生生物が生息し、今もなお、アユ漁やアオノリ漁、ゴリ漁など、人と川との関わりの文化が残されている貴重な川です。

屋形船のクルーズ。お弁当付き!

※ 四万十川といえば「沈下橋」

※ この日は、台風後ではありましたが曇天で景色はイマイチ。青い空と清流が見たかった

※ 橋を歩いてみたい

※ 増水で流された木材が木に引っかかっていた。

▲笹は水流で倒れている

※ 特に珍しいおかずはないが、ご土地のアユが1匹。鰻は蒸さず焼いたもので、東京で食べる鰻とは食感が異る(硬い)。

※ ぶっきらぼうに話す船頭さん「四万十川は何もありませんよ」だってアヘ

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伊佐爾波神社(重要文化財)~愛媛県松山市

2014-10-18 05:45:03 | 神社・仏閣・教会

2014年10月6日 愛媛県

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ) 重要文化財

愛媛県松山市道後温泉

135段の石段を登り切ると、目に飛び込んでくる鮮やかな朱色の建物は、日本三大八幡造りの一つに数えられ、国の重要文化財に指定されるほどのもの。豪華絢爛な楼門をくぐり抜けると、金箔をはった支柱や彫刻を抱いた蛙股(かえるまた)、海老虹梁(えびこうりょう)などを見ることができ、社殿の壮大な美しさに圧倒される。また、回廊には奉納された和算学の資料が数多く残されており、松山でも和算学が盛んであったことを今に伝えている。

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円満寺湯の大地蔵~松山市道後湯月町

2014-10-17 05:39:47 | 神社・仏閣・教会

2014年10月5日 愛媛県

円満寺

愛媛県松山市道後湯月町

812年の建立と言われる阿弥陀如来が本尊の寺院。本堂の手前にある仏堂には、一寸ニ尺(3.67m)の大きな白塗りの地蔵尊がある。鮮やかな彩色されたこの地蔵尊は、道後温泉に来た行基がクスノキの大木に彫ったものと伝えられてる。1855年に道後温泉の湯が止まった時には、この地蔵に祈願し再び湯が湧き出たことから湯の大地蔵尊として信仰されている。いよネット

※ 早朝でまだ扉はあいていない。

※ 引き上げて歩き始める。地元の人に扉が開く時間を聞いたところ、「開けましょう」。ここを管理する方だったのです。ラッキー

 

2014-10-17 05:39:47

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湯築城址(100名城)~愛媛県松山市道後町

2014-10-16 06:28:18 | 100名城

2014年10月5日 愛媛県

湯築城跡 100名城 

愛媛県松山市道後町

湯築城は、風早郡河野郷から出た、伊予の豪族河野氏が道後に築いた城である。源頼朝と結び勢力を伸ばしたが、承久の変(1221年)で没落した河野通信、弘安の役(1281年)の活躍で勢力を回復した河野通有と浮枕を繰り返した河野氏は、通盛の代に伊予国守護に任じられ、全盛期となった。この通盛が、建武年間(1334年~1338年)に築城した湯築城は、江戸時代の『湯築古城図』によれば、内堀と外堀をもち、丘陵頂部の「本壇」と北方の「杉の壇」、東方の「中壇」の郭や家臣居住空間等を構えた、堂々とした平山城である。築城後も、河野氏は諸国との戦いや内紛をくりかえし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、城もやがて廃城となった。

※ 残っているのは堀と土塁

▲土塁

▲復元された武家屋敷

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松山城③(3/3)~愛媛県松山市

2014-10-15 05:56:06 | 100名城

2014年10月5日 愛媛県

松山城③

愛媛県松山市

天守閣

▲野原櫓?▼

▲天守閣最上部

▲???

▲ロープウェイの駅で見かけた鯱 松山城天守閣に置かれていたもの。作成時期1925年4月

※ 大満足の松山城でした。さすが現存12天守を持つお城で見事な姿でした。

関連記事:松山城①  松山城②

2014-10-15 05:56:06

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