2011年7月17日 愛知県
清洲城
愛知県清須市
郷土の英傑・織田信長公の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ天下平定を目指す武将が重要拠点としていた清須城。平成元年に現在の場所に『清洲城』として再建整備されました。
以前より東海道線から見えるお城が気になっていました。清洲城だったのですネ
清洲城は当初、尾張守護所の下津城の別邸として築城されました。その後、下津城が戦乱で焼失したため1476年に守護所が清洲城へ移されたとされています。戦国の頃、尾張国は守護代の織田氏が実権を握っていました。尾張の上四郡を支配していた岩倉の織田氏と下四郡を支配した清洲の織田氏が争うなかで、清洲織田家当主の信友を那古野城主織田信長公は攻め滅ぼし清洲城に入城し、尾張の拠点としました。1560年の桶狭間の戦いで今川義元の軍勢を打ち破ったのを手始めに、美濃・近江等の近隣の国々を攻略して着々と天下統一へと歩みを進めていきました。しかし、1582年の本能寺の変によりその志は夢半ばで断たれてしまいました。このように天下統一の礎を築いた織田信長公は郷土の英雄として人々の尊敬を集めています。清洲城は、「関東の巨鎮」と称えられ、尾張はもとより東国の中心地として発展を遂げました。信長の長男の信忠、二男の信雄以降は名だたる武将が城主となりました。徳川義直の代の1610年、徳川家康は、清洲城の廃都と名古屋遷都を命じ、3年後には、「清須返し」が完了しました。清洲城は廃城となり、城下町から、美濃路の宿場町へと姿をかえていきました。
清洲城歴代城主
1.織田信秀 2.織田信友 3.織田信長 4.織田信雄 5.福島正則 6.徳川忠吉 7.徳川義直
清洲町が町制100周年を迎えた1989年(平成元年)4月、清洲のふれあい郷土館として清洲城天守閣を再建しました。平成17年7月に、西枇杷島町、清洲町、新川町が合併して清須市となった後も、清須市のシンボルとして人々の親しまれています。
▲天守閣から 名古屋市内方向
永禄3年(1560)織田信長が桶狭間出陣の途中、熱田宮に戦勝を祈願し、大勝したのでそのお礼として奉納された塀をモデルにしたものです。
▲清洲城の石垣(復元):「野面積み」という技法だそうです。
復元された本石垣は、平成8年に河川事業に伴い実施された遺跡調査により、清洲公園前の五条川右岸(現地は下流200mに銘板で標示)で発見されたもので、清洲越直前の本丸南側の石垣と考えられる。石垣の基礎は、軟弱な地盤に耐えられる様に松材を用いた「梯子胴木」と呼ばれる構造になっており、石材はこの基礎の上に「野面積み」と呼ばれる戦国時代にかけて用いられた技法により積まれている。
車窓から▼
「清洲城 はかなき夢の 忘れ物」
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