コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

白河小峰城(100名城)2015~福島県白河市郭内

2015-06-30 05:19:29 | 100名城

2015年6月20日 福島県

白河城2015 100名城

福島県白河市郭内

奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が興国・正平年間(1340~1369)に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、寛永9年(1632)に江戸時代の初代藩主、丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城です。その後、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城しましたが、慶応4年(1868)戊辰戦争白河口の戦いで落城。約120年の時を経て、平成3年(1991)に三重櫓、平成6年(1994)に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元され、市のシンボルとして親しまれています。平成22年8月5日に、その歴史的な重要性が評価され、国指定史跡となりました。 白河観光協会ホームページより

※ 震災による影響で修復工事中

▲復元中の石垣

▲ 桜之門

▲ 本丸御殿跡
 ▲ 多聞櫓跡 

▼ 三重櫓
白河小峰城の御三階櫓は1632年(寛永9年) に建てられた複合式層塔型3重3階の櫓で、当時は「三重御櫓」と呼ばれた実質的な天守であった[6]。三重櫓の建つ櫓台に余裕を持たせ付櫓や2階に出窓を付けた姿は、若松城天守に共通する。黒漆塗りの下見板張りで、風雨にさらされることを考慮して窓を小さく開いている。この三重櫓は、1868年に起こった戊辰戦争によって焼失し、現在のものは1991年に復元されたものである。Wikipedia




▲三重櫓内部

▲連子(れんじ)窓

 ▲三重櫓の3階部分 
  ▲棟札 
 
▲ 御前門(復元) 
 ▲ 御前門と三重櫓

 ▼ 三重櫓の反対側の石垣
 
 
 
 
 
 
 


▲白河集古苑▼
 
 
 ▲ 会津門跡:会津藩旧臣を召し抱えて住まわせた事に由来。

 
 
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茶臼岳(那須岳)~栃木県那須郡那須町

2015-06-29 05:47:32 | 山歩き

2015年6月20日 栃木県

茶臼岳(那須岳)

栃木県那須郡那須町

朝日岳、三本槍岳などからなる那須連山の主峰。現在も噴煙を上げる活火山で、標高1915mの山頂へは、中腹まで那須ロープウェイを使えば徒歩50分ほどで登れる。山頂の絶景はもちろん、登山コースの途中には白い噴煙があがる無限地獄があり、初夏に咲き乱れる高山植物、深紅に染まる紅葉などもみどころ。るるぶ.com

※ 温泉旅行のはずが、成り行きで茶臼岳(那須岳)へ登ることとなる。靴はウォーキングシューズだが・・ロープウェイで山頂駅へ。 山頂駅標高は1684mだ。山頂は標高1917mで230m位登ることになる。

 

茶臼岳(那須岳)がくっきりと見える。山頂の途中から噴煙(?)が上がっている。

ロープウェイの山頂駅から見る茶臼岳(那須岳)はガスの中

▲茶臼岳(那須岳)山頂

▲ 登山開始 歩きやすいぞ





▲ 山頂駅
 ▲ これは火口かも?
▲ 鳥居の先が山頂
▲山頂
▼下山



▲ 赤い地表はまるで火星のよう
▲ 決まったルートはない
▲ 隣の山 たぶん朝日岳



 
 
 
 

扇屋: 那須御用邸御用命舗 お土産購入


 
2015-06-29 05:47:32
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殺生石~栃木県那須郡那須町

2015-06-28 06:11:15 | その他

2015年6月19日 栃木県

殺生石

栃木県那須郡那須町湯本

殺生石は那須岳の丘陵が湯本温泉街にせまる斜面の湯川にそったところにあります。大昔、中国やインドで悪行をつくした「九尾の狐」伝説にまつわる史跡です。狐が化身したといれる大きな岩の周辺では、今なお独特な硫黄の香りが漂っています。 また、俳人松尾芭蕉もこの地を訪れ「奥の細道」には、「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。 石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ 真砂の色の見えぬほど重なり死す。」と書き、次の句を詠んでいます。

 石の香や 夏草赤く 露あつし  

平安の昔、帝(みかど)の愛する妃に「玉藻の前」という美人がいたが、これは天竺(インド)、唐(中国)から飛来してきた九尾の狐の化身でした。帝は日に日に衰弱し床に伏せるようになり、やがて、陰陽師の阿倍泰成がこれを見破り、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治したところ、狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼしました。やがて、源翁和尚が一喝すると石は三つに割れて飛び散り、一つがここに残ったと言われています。その石が「殺生石」と伝えられています。  那須町公式ホームページより

※ なんだか不気味なスポットだ!







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鹿の湯~栃木県那須郡那須町湯本

2015-06-26 05:38:26 | 温泉街

2015年6月19日 栃木県

鹿の湯

栃木県那須郡那須町湯本

開湯1300年の歴史を持つ立ち寄り温泉。女湯は41~46度の湯船5つ、男湯は41~48度の湯船6つと、湯船により温度が違うのが特徴。これらを3分浸かっては休み、を3回ほど繰り返すのが鹿の湯の楽しみ方。なお入浴前にヒシャクで熱湯を百回のかぶり湯が湯あたり防止のコツ。石鹸・シャンプー類は使用禁止。風情漂う木造りの湯船にサッと3分間・・が流儀 じゃらんnetより





湯船は6つ 粘りに粘って46度までは入ることができましたが、48度となると指先まで・・・・(湯船は撮影禁止。記憶で図面作成)


2015-06-26 05:38:26

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大谷磨崖仏(大谷寺/大谷観音)~栃木県宇都宮市大谷町

2015-06-25 05:25:07 | その他

2015年6月19日 栃木県

大谷磨崖仏(大谷寺/大谷観音) 重要文化財

栃木県宇都宮市大谷町

大谷寺は天台宗のお寺で、板東33霊場の19番札所となっています。この寺は大谷石の洞窟に建てられており、大谷石に包み込まれたかたちの本堂は大変珍しいものです。

磨崖仏とは、岩壁などに刻まれた石仏のことです。大谷寺には、凝灰岩でできた自然の岩窟を利用して掘り出された10体の仏像があります。本尊の千手観音菩薩立像は、高さが398cmです。面長の顔や切れ長の目線、左右対称にまとめた腕の配置、腹部から足元にかけての衣の表現は天平時代の作風であり、奈良時代から平安初期の作と考えられています。また、下から仰ぎ見る視線を意識したプロポーションや、磨崖仏には難しい四十二臂(ひ)の複雑な腕のまとめ方などから、かなり腕のある仏師の作と推定されています。本尊の他に、釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像と伝えられている9体があります。これらの磨崖仏は、仏像を岩からほぼ彫りだし、その上に粘土を塗って仕上げる技法でつくられています。 とちぎふるさと学習より

※ 大谷磨崖仏は残念なことに撮影禁止!!





 ▲大谷磨崖仏はお堂の内部からら見ることができるが・・・・



 

大谷平和観音

世界平和を祈願してつくられた観音。6年の歳月をかけて1954年に完成。自然の岩壁に彫られたもので、高さ27m、胴まわり20m、顔の長さ5m、足の幅1.5m、親指の長さ0.75m。屋外。戦没者の慰霊と世界平和を祈念して昭和23年より6年をかけ、総手彫りで製作された。上からは大谷の町が一望できる。じゃらん より







 

▼ 天狗の投石

天狗が投げてのせたという伝説が残る石。まるで本当に怪力の天狗が置いたように、絶妙なバランスで崖の上にのるこの不思議な石は、現在、落石防止のため補強されている。るるぶ.com より 




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大谷資料館~栃木県宇都宮市大谷町

2015-06-24 06:30:30 | 博物館・資料館等

2015年6月19日 栃木県

大谷資料館

 栃木県宇都宮市大谷町

大谷資料館の地下採掘場跡は、1919年(大正8年)から1986年(昭和61年)までの約70年をかけて、 大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間です。その広さは、2万平方メートル(140m×150m)にもおよび、野球場が一つ入ってしまう大きさです。 なお、坑内の年平均気温は8℃前後で、地下の大きな冷蔵庫といった感じです。  戦争中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用され、現在では、コンサートや美術展、演劇場、 地下の教会として、また写真や映画のスタジオとしても注目を集めています。 大谷資料館ホームページより

 

 

 

▼ 展示物
 

資料館前は石切り出しの跡が残っている。ひよっとしたらここは山だったかもしれない。。。。大量の石が切り出され谷のようになったのか?

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横浜山手~神奈川県中区山手町

2015-06-17 08:03:19 | 町並み

2014年11月24日 神奈川県

横浜山手

神奈川県中区山手町

横浜市中区にある、山手町とその外縁部を含む一帯で、幕末から明治32年まで外国人居留地であった。

 ▼ブラフ18番館

▼ 外交官の家

▼ 横浜・山手 テニス発祥記念館

▼ 山手公園管理事務所(旧山手68番館)

▼ ベーリック・ホール

▼ エリスマン邸

 ☆













 

 ▼ イギリス館

▼ 山手111番館

 

▲ 元町

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山手111番館(横浜山手)・~神奈川県横浜市中区山手町

2015-06-16 05:42:09 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

山手111番館

神奈川県横浜市中区山手町

J.H.モーガンの設計により、1926年にアメリカ人J.E.ラフィン氏の住宅として建築。スパニッシュスタイルの赤瓦と白い壁が美しい西洋館。

 








 
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イギリス館(横浜山手)・~神奈川県横浜市中区山手町

2015-06-15 06:27:47 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

イギリス館(横浜山手)

神奈川県横浜市中区山手町

1937年に英国総領事公邸として建築。明るく開放的な設計と高い天井や重厚なドア、美しい寄せ木の床面など、当時の王室の威厳を感じることができる。 1990年横浜市指定文化財に指定。 横浜観光情報

 

 






 

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エリスマン邸(横浜山手)・~神奈川県横浜市中区元町

2015-06-13 06:36:26 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

エリスマン邸

神奈川県横浜市中区元町

日本の建築界に大きな影響を与え「現代建築の父」と呼ばれたA.レーモンドの設計。絹糸貿易商エリスマン氏の私邸として1926年に127番地に建築された。異人館的要素を持ちながらも軒の水平線の強調など、レーモンドの師匠であるF.L.ライトの影響も見るこができる。現在の元町公園には1990年に移築復元。 横浜観光情報より

 

 

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ベーリック・ホール(横浜山手)・~神奈川県横浜市中区山手町

2015-06-12 06:18:56 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

ベーリック・ホール

神奈川県横浜市中区山手町

イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンの設計により1930年に建築。スパニッシュスタイルを基調とし、玄関の3連アーチやガーゴイルのある壁泉、四つ葉形の窓など見どころ満載。戦前の西洋館としては最大規模を誇る建築学的にも価値のある建物。横浜観光情報より

 













 













 
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山手公園管理事務所(旧山手68番館)・~神奈川県横浜市中区山手町

2015-06-11 06:40:18 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

山手公園管理事務所(旧山手68番館)

神奈川県横浜市中区山手町230(山手公園内)

当初は山手68番の奧まった位置にあり、震災後に建てられた外国人向け賃貸住宅のひとつであった。平屋建で下見板張りと開放ベランダを持つバンガロースタイルの源流をとどめる。現在は山手公園内のテニスコートのクラブハウス・管理事務所として再生・利用されている。

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横浜・山手 テニス発祥記念館・~神奈川県横浜市中区山手町

2015-06-09 06:00:11 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

横浜・山手 テニス発祥記念館

神奈川県横浜市中区山手町230

明治7年にイギリスで始まったローンテニスが、明治9年に横浜に伝わり、山手公園の中にテニスコートが2面つくられ、ここからテニスが全国に広まった。テニスの発祥の地を記念して建てられたのが「横浜・山手 テニス発祥記念館」。テニスウェアやラケットの変遷など、テニスの歴史を展示公開している。 横浜観光情報より

※ 当方はかつてテニスをしていた。そう マッケンローが活躍していたころ・・・・

 

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外交官の家(横浜山手)・~神奈川県横浜市中区山手町

2015-06-08 06:19:31 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

外交官の家 重要文化財

神奈川県横浜市中区山手町

1910年に明治政府の外交官・内田定槌氏の邸宅として、アメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台に建てられた。1997年この地に移築され、国の重要文化財に指定。今なお残るガスストーブやステンドグラス、サイドボード等の家具類が歴史を感じさせる。 横浜観光情報

 

 

   

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ブラフ18番館(横浜山手)・~神奈川県横浜市中区山手町

2015-06-07 06:51:06 | 洋館

2014年11月24日 神奈川県

ブラフ18番館

神奈川県横浜市中区山手町

大正末期に建てられた外国人住宅で、1991年までカトリック山手教会の司祭館として使用されていた。1993年にイタリア山庭園内に移築復元。館内は震災復元期の外国人住宅の暮らしを再現。ベイウィンドウ・上げ下げ窓・鎧戸・サンルームなど、当時の外国人住宅の特徴が見られる。

※ 横浜山手:横浜市中区にある、山手町とその外縁部を含む一帯で、幕末から明治32年まで外国人居留地であった。

 

   

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