2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
報恩寺・五百羅漢 岩手県盛岡市名須川町
曹洞宗の古刹、本尊は釈迦如来。羅漢堂に納められる羅漢像は、京都の九人の仏師の手により、享保16年(1731)から4年を費やして作られた。全て寄せ木造り、漆塗りで、像の中にはマルコポーロ、フビライなども見られる。 盛岡市指定の文化財。
関連記事:盛岡の町並み①
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
報恩寺・五百羅漢 岩手県盛岡市名須川町
曹洞宗の古刹、本尊は釈迦如来。羅漢堂に納められる羅漢像は、京都の九人の仏師の手により、享保16年(1731)から4年を費やして作られた。全て寄せ木造り、漆塗りで、像の中にはマルコポーロ、フビライなども見られる。 盛岡市指定の文化財。
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
三ツ石神社(鬼の手形) 岩手県盛岡市名須川町
名須川町の東顕寺の裏に、注連縄(しめなわ)が張られた3個の苔むした大石があります。いつの頃からか「三ツ石様」と呼ばれ人々の信仰を集めていました。その頃、盛岡城下には羅刹(らせつ)という鬼がいて、その悪行に苦しめられていた人々が、この三ツ石神社に祈願したところ見事鬼は退治されたといいます。その時、二度と悪さをしない、もうここには来ないという証として、鬼に手形を押させたのがこの三ツ石であり、「岩手」の地名伝説になっています。
(注)鬼の手形は薄くなって見えなくなったとのこと。
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2017年8月22日 岩手県
旧井弥商店
岩手県盛岡市上ノ橋町
本町通りから上ノ橋を渡ると、左側に豪壮な黒漆喰の土蔵造りの家がある。明治の盛岡大火後に建てられた土蔵造りで腕の良い職人が手間暇をかけて造った建物である。窓や屋根の表現が豊かな印象を与え、呉服問屋の豪商の名残りをとどめている。
この建物は、明治末期に井弥商店店舗として建てられたもので、明治時代を代表する土蔵造りの建物である。
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
紺屋町番屋 岩手県盛岡市紺屋町
この建物は、大正2年、消防番所として建てられた洋風木造建築でその望楼が往時の雰囲気を伝えるとともに、消防組織の変遷を伝える建築物でもある。
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
茣蓙九(商家)
岩手県盛岡市紺屋町
江戸末期から明治にかけての燈明用の「燈心売」や藁工品を取り扱った豪商の面影を今に伝える貴重な商家。母屋と裏側の土蔵7棟、川べりの土蔵は盛岡を代表する景観となっている。現在も竹製品などの日用雑貨の老舗として親しまれており、昭和54年4月5日に盛岡市保存建造物に指定された。
お土産はタワシのこれ↑
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
盛岡信用金庫本店
岩手県盛岡市中ノ橋通
この建物は昭和2年に旧盛岡貯蓄銀行が銀行店舗として建てたもので花崗岩の壁面や石彫のアクセント等昭和初期のモダンな表現と近代デザインの面影を伝えている。
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
岩手銀行中ノ橋支店(岩手銀行赤レンガ館)
岩手県盛岡市中ノ橋通
岩手銀行赤レンガ館は、1911(明治44)年に盛岡銀行の本店行舎として落成し、1936(昭和11)年に岩手殖産銀行(のちに行名を岩手銀行に変更)がこの建物を譲り受け、本店として利用しはじめました。その後、1983(昭和58)年に岩手銀行新社屋完成に伴い中ノ橋支店となりました。
設計は東京駅でも知られる、辰野・葛西建築設計事務所によるもので、辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品です。
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2017年8月21日 【ぐるり東北2017】 岩手県
桜山神社
岩手県盛岡市内丸
社殿が盛岡城三の丸跡にあり、江戸時代中期の寛延2年に創建され南部藩の総鎮守として信仰されました。国の重要文化財に指定される南北朝時代初期の国長作の刀が所蔵されています。
▼おもかげ地蔵
▲南部氏の家紋
▼烏帽子岩
盛岡城で見た烏帽子岩の裏側となる
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
岩手県公会堂
岩手県盛岡市内丸
岩手県公会堂は、皇太子であった昭和天皇の御成婚を記念して建設が計画され、1925年(大正14年)9月の着工から1927年(昭和2年)6月の竣工まで、約2年の工期と総額43万8000円の建設費を投じて建設された。設計は、東京の日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂の設計で知られる佐藤功一博士で、近代コンクリート建築の先駆け。創建当時の公会堂は、県会議事堂、大ホール、西洋料理店、皇族方の宿泊所と、4つの用途を備えていた。
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
彦御蔵 盛岡市指定有形文化財
岩手県盛岡市内丸
当建物は,江戸時代に「彦御蔵」と呼ばれた,旧盛岡城の土蔵である。平成元年(1989年)3月まで,現在地から西100メートルの地点の市道「下ノ橋更の沢線」西側に存在していたが,同年(1989年)3月,道路拡幅に伴い,都市整備部公園みどり課が主管課となり,現在の位置へ曳家された。
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
盛岡城 100名城
岩手県盛岡市内丸
盛岡城は,三戸から不来方(こずかた)に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が,1597年(慶長2年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ,翌1598年(慶長3年)の正式許可の後,築城工事が本格的に進められました。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ,北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪などを配し,それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(御城内)としています。
石垣が見所だ~
▲腰曲輪
▼烏帽子岩
盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。この場所が、場内の祖神さまの神域にあったために、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
▲三ノ丸
▲本丸
▼彦御蔵 盛岡市指定有形文化財
当建物は,江戸時代に「彦御蔵」と呼ばれた,旧盛岡城の土蔵である。
関連記事:盛岡の町並み①
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2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
盛岡の町並み①
岩手県盛岡市
▼盛岡駅
▼開運橋(北上川)
▼盛岡城
詳しく見る:盛岡城100名城
▼彦御蔵
詳しく見る:彦御蔵(盛岡市指定 有形文化財)
▼岩手県公会堂
詳しく見る:岩手県公会堂
▼ 桜山神社
詳しく見る:桜山神社
▼盛岡城跡公園にて
▲もりおか歴史文化館
▼時鐘
この時鐘は,4代盛岡藩主南部重信の子,行信の発願により1679年(延宝7年)11月に設置されたもの。
▼下の橋(中津川)
▼岩手銀行中ノ橋支店 重要文化財
詳しく見る:岩手銀行中ノ橋支店(重要文化財)
▼盛岡信用金庫本店
詳しく見る:盛岡信用金庫本店(洋館)
▼釜定 明治時代から続く盛岡の鋳物屋
▼茣蓙九
詳しく見る:茣蓙九(商家)
▼紺屋町番屋
詳しく見る:紺屋町番屋
▼菊の司 酒造創業1772年
▼旧井弥商店
詳しく見る:旧井弥商店
▼上の橋
上の橋は南部藩主利直公が盛岡城を築くと同時に中津川に架けた橋。欄干を飾る青銅製の擬宝珠のうち、慶長14年(1609)の銘が刻まれているものが8個、慶長16年(1611)の銘が刻まれているものが10個ある。これほど多数残っているのは大変珍しく、昭和20年、国の重要美術品に指定された。
▼三ツ石神社
詳しく見る:三ツ石神社(鬼の手形)
▼報恩寺・五百羅漢
詳しく見る:報恩寺・五百羅漢
▼蛭子屋(小野染彩所) 寛永時代に始まった老舗染物店。岩手県盛岡市材木町
当地らしい手ぬぐいを購入。雨ニモ負ケズ・・・・・
関連記事:盛岡の町並み②
2017-09-17 06:06:48
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2017年8月21日 【ぐるり東北2017】 岩手県
金ケ崎町城内諏訪小路 重要伝統的建造物群保存地区
岩手県胆沢郡金ケ崎町
保存地区は北上川に面する台地上に広がり、伊達藩の家臣大町氏の屋敷であった要害を中心に構成された武家町である。敷地境には、イグネと呼ばれる屋敷林と生垣が連なり、茅葺の武家屋敷が景観を特徴づけています。
▼旧坂本家侍住宅
▲金ケ崎神社
▼白糸まちなみ交流館
▲金ケ崎城跡
▼金ケ崎橋(北上川)
▼侍屋敷大松沢家
伊東家侍住宅
▼金ケ崎駅
2017-09-16 05:47:43
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2017年8月21日 【ぐるり東北2017】 岩手県
水沢の町並み③
岩手県奥州市水沢区
吉田家の門
▼高野長英旧宅
▼高橋家 重要文化財
旧高橋家住宅は旧水沢城下に所在する住宅である。明治21年に建てられた主屋は、唐破風造の式台玄関を構える豪壮な外観をもつ。
▼日高橋
▼水沢駅
関連記事:水沢の町並み①
次の目的地金ケ崎(駅)へ
2017-09-15 05:46:25
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2017年8月21日 【ぐるり東北2017】 岩手県
水沢の町並み②
岩手県奥州市水沢区
▲安倍家 留守家の大番氏を務めた家臣の屋敷
▲高野長英先生生誕之地 石碑
▼後藤新平旧宅
留守家御小姓頭を勤めた後藤佐伝治の屋敷。後藤新平はこの家で生まれた。
▼内田家住宅(奥州市武家住宅資料館)
この屋敷は、大番役・内田勘之丞のもので、禄高 は96石2升で家中代2位とあり、市内でも格式のある武家屋敷のひとつに数えられています。 閉館でした・・・・
▼八幡家
代々留守氏に仕え、幕末には八幡市之丞が留守家の御小姓頭を勤めていた。
▼水沢城跡
室町時代後期に佐々木氏によって築かれたと云われる。(奥州市役所本庁)
▼黒門 水沢城の遺構
▼姥杉
推定樹令約400年以上。水沢城跡にそびえ立っており当時のおもかげを残している。(奥州市役所本庁)
▼後藤伯記念公民館
昭和16年(1941)11月に建設され寄贈されたもの。寄贈者は後藤新平と親交があった当時の読売新聞社社長正力松太郎
後藤新平(左)と正力松太郎(右)の胸像
▲朝陽館:旅館のようである
▼めがね橋(長光寺橋)1929年建設
関連記事:水沢の町並み①
2017-09-14 06:40:23
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