2013年5月5日 埼玉県
川越城2013 100名城
埼玉県川越市
川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市にあった日本の城。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多い。現在、城址の大部分は市街地となっており、往時の姿を想像するのは難しいが、本丸御殿の一部(大広間と玄関)が現存している事は特筆に値する。本丸御殿大広間が現存しているのは、日本では川越城の他には高知城のみで、貴重な遺構である。本丸御殿南側には富士見櫓跡が残っており、郭町1丁目付近の住宅の裏には中ノ門付近の堀跡が現存しており、2008年(平成20年)より川越市による公園整備で堀や門の復元が行われた。中ノ門掘は西大手門側から本丸方向への敵の進入を阻むために巧みに配された堀のひとつであり松平信綱によって造られたものである。
川越城中ノ門堀跡
埼玉県川越市郭町1
室町時代(長禄元年/1457)、太田道真・道灌父子によって建てられた川越城は、江戸時代(寛永16年/1639)に川越藩主となった松平信綱によって、大拡張工事が行われました。それにより、約2倍の規模の近代的城郭になった川越城。しかしまだ天下が収まって間もない時代だったので、戦いを想定し造られたのか、この中ノ門と中ノ門堀です。中ノ門堀は、2種類の防衛戦略の役割を担っています。
川越城本丸御殿
埼玉県川越市郭町
川越城は、長禄元年(1457)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせています。
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