2013年5月14日 滋賀県
楽々園・玄宮園2013
滋賀県彦根市
▼楽々園
楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の下屋敷で、槻御殿と呼ばれていました。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。 ・・・・・・・・御書院の奥はしだいに渓谷の風情をなし、「地震の間」「楽々の間」などへと連なります。地震の間は耐震構造の建物であるため今日そのように呼ばれていますが、当時は茶の湯に用いる「茶座敷」でした。楽々の間も同様に数寄屋建築であり、12代藩主井伊直亮により、地震の間のさらに奥に増築されました。「楽々園」の名の由来ともなった建物であり、 煎茶の茶室として近年注目されています。
▲書院
▲「地震の間」地震の時に逃げ込む部屋とのこと
▼玄宮園
城の北東にある大名庭園で、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられました。4代藩主直興が延宝5年(1677年)に造営したとされています。
▲鳳翔台(茶室)
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