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コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

楽々園・玄宮園2013~滋賀県彦根市

2013-05-17 11:40:46 | 庭園・公園

2013年5月14日 滋賀県

楽々園・玄宮園2013

滋賀県彦根市

▼楽々園

楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の下屋敷で、槻御殿と呼ばれていました。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。 ・・・・・・・・御書院の奥はしだいに渓谷の風情をなし、「地震の間」「楽々の間」などへと連なります。地震の間は耐震構造の建物であるため今日そのように呼ばれていますが、当時は茶の湯に用いる「茶座敷」でした。楽々の間も同様に数寄屋建築であり、12代藩主井伊直亮により、地震の間のさらに奥に増築されました。「楽々園」の名の由来ともなった建物であり、 煎茶の茶室として近年注目されています。

 

 ▲書院

 ▲「地震の間」地震の時に逃げ込む部屋とのこと

▼玄宮園

城の北東にある大名庭園で、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられました。4代藩主直興が延宝5年(1677年)に造営したとされています。

 

 ▲鳳翔台(茶室)


 

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彦根城2013③(表御殿/彦根城博物館)

2013-05-17 07:55:35 | 100名城

2013年5月14日 滋賀県

彦根城2013③(表御殿/彦根城博物館)

彦根城は、国宝の天守や重要文化財の天秤櫓など、江戸時代の建築物を今に伝え、一帯が国の特別史跡に指定されています 。その城域内に彦根藩庁として建っていたのが表御殿です。彦根城博物館は、この表御殿の復元と博物館機能の一体化を目指し、構想・建築されました。能舞台・御殿・庭園が現代によみがえり、大名道具の展示とあわせ、近世大名文化を実感できる博物館となっています。

▲薫革威段替胴具足▼

▲能舞台▼

彦根城博物館の中央に建つ能舞台は、江戸時代の表御殿の中で現存する唯一の建物です。明治以降、他の場所に移されていましたが、博物館の建設にあわせてもとの場所に戻されました。

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埋木舎2013~滋賀県彦根市尾末町

2013-05-17 06:11:40 | 建築物(洋館以外)

2013年5月14日 滋賀県

埋木舎2013

滋賀県彦根市尾末町

「埋木舎」は、のちに13代藩主となる井伊直弼が17歳から32歳までの16年間を過ごした屋敷です。直弼は第11代藩主・井伊直中の14男として生まれましたが、17歳で父親が死去するとともに槻御殿(玄宮楽々園)からここに移されました。直弼は屋敷を「埋本舎」と名づけました。

▼いろは松

▼駅前お城通り

▲ お土産購入を楽しみにしておりましたが、当日は休店日!!和菓子の老舗「糸重」

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彦根城2013①(二の丸佐和口多聞櫓・馬屋)100名城

2013-05-17 06:11:36 | 100名城

2013年5月14日 滋賀県

彦根城2013①(二の丸佐和口多聞櫓・馬屋)

滋賀県彦根市

二の丸には四つの城門、京橋口・佐和口・船町口・長橋口がありました。その中でも佐和口は、表門に通じる彦根城にとって主要な城門のひとつでした。本来、佐和口では、枡形をかこむように正面には高麗門が置かれ、右手に二重二階の櫓門を設けていました。今に残る多聞櫓の北端が切妻屋根で終わっているのは、ここにあった二重二階の櫓門を明治初年に撤去した名残りです。



 ▲内部の壁:壁の膨らみが特徴的であるらしい

 ▲天守閣を望む

▼馬屋

佐和口多聞櫓の奥には、藩主の馬を常備した馬屋が残っています。この馬屋は、全国の近世城郭内に残る大規模な馬屋としてほかに見られないものです。建物内には、21もの馬立場・馬繋場が設けられ、東端には馬を管理する小部屋が付けられています

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