コスモのフォトアルバム

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唐招提寺・金堂(国宝)~奈良県奈良市五条町

2022-01-31 05:30:01 | 神社・仏閣・教会

2021年12月15日 奈良県

唐招提寺・金堂(国宝)

奈良県奈良市五条町

南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。奈良時代(8世紀後半)

堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。

▼盧舎那仏坐像(左)奈良時代、薬師如来立像(右)平安時代 共に国宝

(注)内部は撮影禁止 下記写真は唐招提寺HPより転写

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唐招提寺(世界遺産)~奈良県奈良市五条町

2022-01-30 05:29:53 | 神社・仏閣・教会

2021年12月15日 奈良県

唐招提寺(世界遺産)

奈良県奈良市五条町

唐招提寺は、苦難の末に来日を果たされた唐の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう)が、759年戒律を学ぶ人々の修行の道場として創建されました。当初は講堂や経蔵・宝蔵があるだけでしたが、8世紀後半、弟子によって金堂が完成。その荘厳な美しさは奈良時代の代表的な建築物として広く知られています。

▼南大門

唐招提寺を訪れた人がまず目にする建造物。昭和35年(1960)に天平様式で再建されたもので、五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。現在掲げられている扁額は複製で、実物は新宝蔵に収蔵しております。

▼金堂 国宝

南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。

外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。奈良時代(8世紀後半)

▼鐘楼 

▼鼓楼

金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿」とも呼ばれています。鎌倉時代 仁治元年(1240)

▼経蔵(国宝)

礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。奈良時代(8世紀)

▲手前が経蔵 奥が宝蔵

▼宝蔵(国宝)

経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きいその堂々たる姿は、校倉の典型といえます。奈良時代(8世紀)

▼礼堂 重要文化財

鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり、僧房として使われていました。礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重文)・日供舎利塔(重文)を安置しています。鎌倉時代

▼東堂

▼講堂(国宝)

平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもの。外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。国宝 奈良時代(8世紀後半)

▼鑑真和上御廟

▼御影堂

▼開山堂

開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立。

▼醍醐井戸

井戸は奈良時代に唐招提寺が創建される際に創建者である鑑真和上が自ら掘った井戸であると伝わるもの。

▼戒壇

金堂の西側にある戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1978)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。石段は鎌倉時代

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薬師寺(玄奘三蔵院伽藍)八角堂~奈良県奈良市西ノ京町

2022-01-29 05:29:30 | 神社・仏閣・教会

2021年12月15日 奈良県

薬師寺(玄奘三蔵院伽藍)八角堂

奈良県奈良市西ノ京町

玄奘三蔵院伽藍は白鳳伽藍の北側にあり、1991年(平成3年)に建てられた。

八角堂には玄奘三蔵の頂骨が納められている。薬師寺(玄奘三蔵院伽藍)八角堂と玄奘三蔵の関係には物語があるがここでは省略します。また、伽藍内では平山郁夫氏が30 年かけて描いた「大唐西域壁画」が展示されている。

▲この門の先に八角堂があるが、門をくぐることは出来ず左に回り込み伽藍内に入る。

 

このあと唐招提寺へ

薬師寺からノンビリ歩いて15分程で唐招提寺に到着

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薬師寺東塔(国宝)白鳳伽藍~奈良県奈良市西ノ京町

2022-01-28 05:55:39 | 五重塔・三重塔など

2021年12月15日 奈良県

薬師寺東塔 国宝 (白鳳伽藍)

奈良県奈良市西ノ京町

東塔は薬師寺創建当時より現存する三重塔で、各層の大屋根の下に裳階(もこし)を付けているため、一見して六層に見え、羽を広げた鳳凰が連続して舞い上がる姿を思い起こさせる壮麗な構えは、白鳳時代を象徴する威容を誇ります。
 東塔の組物を建築史の形式では三手先組みといいますが、大屋根の深い軒を支える機能面のみならず、塔全体に伸びやかな優美さを響かせる役割も担っています。内陣には心柱がそびえ、白鳳文化の精華を守っています。

この薬師寺東塔は自分が見た塔の中でナンバー・ワン!!!

ナンバー・ツーは京都の東寺の五重塔!!

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薬師寺東院堂(国宝)白鳳伽藍~奈良県奈良市西ノ京町

2022-01-27 06:01:01 | 神社・仏閣・教会

2021年12月15日 奈良県

薬師寺東院堂 国宝 (白鳳伽藍)

奈良県奈良市西ノ京町

東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王[きびないしんのう]が元明天皇[げんめいてんのう]の冥福を祈り、建立されました。奈良時代は現在地の東側に建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失しました。現在の建物は正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、弘安8年(1285)に南向きで再建されましたが、享保18年(1733)に西向きに変えられました。高い基檀の上に建つのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例です。堂内には、白鳳仏を代表する国宝 聖観世音菩薩が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護しています。

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薬師寺(白鳳伽藍)~奈良県奈良市西ノ京町

2022-01-26 05:56:10 | 神社・仏閣・教会

2021年12月15日 奈良県

薬師寺(白鳳伽藍)

奈良県奈良市西ノ京町

710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われます。遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷りました。当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、 その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失しました。そのなかで唯一創建時から現存するのが東塔【国宝】です。

白鳳伽藍復興は平成30年で50周年を迎えました。西塔さいとう、中門、回廊、大講堂、食堂じきどうと白鳳伽藍の主要な堂塔はおおよそ復興され、いにしえの大伽藍がよみがえっています。

▼南門 重要文化財

薬師寺「南門」は、薬師寺の金堂や東西塔が位置する「白鳳伽藍」の南端に設けられた薬師寺の山門です。

▼中門

昭和59年(1984)再建

▲中門と国宝の東塔

▲中門と東塔

▲▼二天王像 平成3年(1991年)再建

▼東院堂 国宝

8世紀当初(奈良時代)に、吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り建立されたものです。当初のお堂は焼失し、1285年(弘安8年)、鎌倉時代に再建された和様建築の建物が現存しています。
穏やかな佇まいを見せる堂で、日本最古の禅堂として国宝に指定されています。

▼東塔 国宝

東塔は薬師寺創建当時より現存する三重塔で、各層の大屋根の下に裳階(もこし)を付けているため、一見して六層に見え、羽を広げた鳳凰が連続して舞い上がる姿を思い起こさせる壮麗な構えは、白鳳時代を象徴する威容を誇ります。
 東塔の組物を建築史の形式では三手先組みといいますが、大屋根の深い軒を支える機能面のみならず、塔全体に伸びやかな優美さを響かせる役割も担っています。内陣には心柱がそびえ、白鳳文化の精華を守っています。

▼西塔

薬師寺西塔は、1528(享禄元)年の兵火により焼失、礎石のみが残されていたものを昭和56年に453年ぶりに再建。国宝の東塔とほぼ同じ形で、白鳳様式を用いて建てられています。昭和56年(1981)に再建

▼金堂 昭和51年再建

白鳳伽藍の中心、西廻廊、東回廊に囲まれ、西塔、東塔を従えて建つのが金堂です。
手前には中門、背後には大講堂と食堂(じきどう)が並ぶ、まさに「薬師寺式伽藍」です。薬師寺縁起に二重二閣、五間四面、瓦葺きとあるものを、東塔の意匠に統一させて見事に復元しています。
龍宮造りと呼ばれるエレガントな造りで、堂内に白鳳時代作の国宝・薬師三尊像(薬師瑠璃光如来・日光菩薩・月光菩薩)が安置されています。

▼大講堂

▼食堂

▼西僧坊

東塔の水煙が特別公開されていた。

▼東塔水煙

▼東塔相輪擦銘

▼鐘楼

▼與樂門

薬師寺玄奘三蔵院伽藍へ

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法隆寺三重塔(国宝)~奈良県生駒郡斑鳩町岡本

2022-01-25 05:29:57 | 五重塔・三重塔など

2021年12月14日 奈良県

法隆寺三重塔(国宝)

奈良県生駒郡斑鳩町岡本

太平洋戦争末期の昭和19年(1944)7月21日、法輪寺の三重塔は落雷によって焼失しました。
仏舎利や塔内の釈迦如来像、四天王像は救い出されましたが、塔はまさに火柱となり、身をよじるように燃え落ちました。
焼失前の塔は、最大最古の三重塔として明治時代より国宝指定を受けていましたが、全焼してしまったために、その指定は解除されました。

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法起寺(斑鳩三塔)(世界遺産)~奈良県生駒郡斑鳩町岡本

2022-01-25 05:29:49 | 神社・仏閣・教会

2021年12月14日 奈良県

法起寺(斑鳩三塔)(世界遺産)

奈良県生駒郡斑鳩町岡本

法起寺は別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺と呼ばれており、平成5年に法隆寺とともに、世界文化遺産に登録されました。この寺は、推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮を寺に改めたものと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つにかぞえられています。

慶雲3年(706)完成の三重塔(国宝)(高さ約24m)のみであり、現存する三重塔の中ではわが国最古のもの。現在の本堂、鐘桜、金堂などは江戸時代の再建。

▼聖天堂 文久3年(1863)建立 

▼講堂 元禄7年(1694)3月 再建

▼三重塔 国宝

この建物は、現存最古の三重塔で、創建は慶雲3年(706)です。建立後は、再三にわたる大修理が行われたため、建立当初の形式が明らかでないところもありますが、昭和45年から50年にかけての解体修理の際、それまでの研究成果を踏まえた復元がなされ、現在に至っています。

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法輪寺(斑鳩三塔)~奈良県生駒郡斑鳩町三井

2022-01-24 05:29:57 | 神社・仏閣・教会

2021年12月14日 奈良県

法輪寺(斑鳩三塔)

奈良県生駒郡斑鳩町三井

法輪寺は三井に所在し、三井寺とも呼ばれています。創建については2つの説があり、『上宮聖徳太子伝補闕記』の記述に基づくと670年以降、『聖徳太子伝私記』に引用された「御井寺勘録寺家資材雑物等事」の記述に基づくと622年頃の建立となります。昭和25年(1950年)の発掘調査で、西に塔、東に金堂が建つ法隆寺式伽藍配置であることがわかりました。
 法隆寺・法起寺とともに「斑鳩三塔」として知られる三重塔は、昭和19年(1944年)に落雷で焼失し、現在の塔はその後、宮大工の西岡常一棟梁によって再建されたものです。

▼南門

▼講堂

▼金堂

▼三重塔

太平洋戦争末期の昭和19年(1944)7月21日、法輪寺の三重塔は落雷によって焼失しました。
仏舎利や塔内の釈迦如来像、四天王像は救い出されましたが、塔はまさに火柱となり、身をよじるように燃え落ちました。
焼失前の塔は、最大最古の三重塔として明治時代より国宝指定を受けていましたが、全焼してしまったために、その指定は解除されました。

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中宮寺(国宝木造菩薩半跏像)~奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北

2022-01-23 05:31:16 | 神社・仏閣・教会

2021年12月14日 奈良県

中宮寺(国宝木造菩薩半跏像)

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北

中宮寺は、聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の宮殿を、皇后崩御のあと太子がお寺としたものです。建物は目をひくものはありませんが、見どころは本堂に安置されている「三大微笑像」といわれる国宝の木造菩薩半跏像

▼表御門

▼本堂

国宝の木造菩薩半跏像が安置されている。

▼国宝の木造菩薩半跏像

半跏思惟のこの像は、飛鳥時代の最高傑作のひとつであると同時に、わが国美術史上、欠かすことの出来ない存在です。半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先をほのかに頬に触れ、人の悩みをいかにせんかと思惟される清らかな気品をたたえています。

(注)本堂内は撮影禁止!!次写真は中宮寺HPより転写いたしました。

本堂内:日本最古の刺繍遺品として知られる天寿国曼荼羅繍帳(模写)

上記写真は中宮寺パンフから転写

中宮寺は法隆寺夢殿に隣接しており、夢殿の屋根が見える。

このあと徒歩で法輪寺へ

法輪寺が見えてきた

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法隆寺(関連記事まとめ)~奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内

2022-01-23 05:30:49 | 神社・仏閣・教会

2021年12月14日 奈良県

法隆寺(関連記事まとめ)

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内

法隆寺(南大門、三経院・西室、西円堂)

法隆寺・西円堂(国宝)

法隆寺・西院伽藍(中門・五重塔・金堂・大講堂・回廊他)

法隆寺・中門(国宝)

法隆寺・五重塔(国宝)

法隆寺・金堂(国宝)

法隆寺(聖霊院・東室・妻室・食堂・東大門他)

法隆寺・東院伽藍(夢殿・絵殿・舎利殿・鐘楼ほか)

 

法隆寺駅(世界遺産法隆寺へ)

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法隆寺・東院伽藍(夢殿・絵殿・舎利殿・鐘楼ほか)

2022-01-22 05:33:04 | 神社・仏閣・教会

2021年12月14日 奈良県

法隆寺・東院伽藍(夢殿・絵殿・舎利殿・鐘楼ほか)

▼四脚門 重要文化財

建築 鎌倉前期 切妻造、本瓦葺

奥に夢殿の宝珠が見える

▼夢殿 国宝

聖徳太子を追慕して創立された法隆寺東院の中心建物で、著名な救世観音を本尊とし、あわせて東院の創立と再興とに尽力した行信・道詮の像を安置する。建立は天平11(739)年頃

▼(東院)鐘楼 国宝

この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされています。鎌倉時代前期

▼絵殿・舎利殿 重要文化財

殿の北側、夢殿を中心に向かいの南側にある。舎利殿と絵殿で1棟。創建 鎌倉前期 1219年(承久元年)

▼伝法堂 国宝

聖武天皇の夫人であった橘古那可智の住居が東院伽藍に移築奉納された建物

切妻造本瓦葺、桁行七間、梁行四間の建物で、内部は床を張り、天井を張らない化粧屋根裏とします。奈良時代の住宅遺構としても貴重。

 

法隆寺8 cosmophantom

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法隆寺(聖霊院・東室・妻室・食堂・東大門他)

2022-01-21 05:28:43 | 神社・仏閣・教会

2021年12月14日 奈良県

法隆寺(聖霊院・東室・妻室・食堂・東大門他)

▼聖霊院 国宝

聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。鎌倉時代

▼東室(国宝 飛鳥時代)

西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。この東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物です。

▼妻室(重要文化財 鎌倉時代)

聖霊院・東室のすぐ東側に建つ細長い建物です。東室と同様に僧坊としての建物です。

▲妻室の左に見えているのが東室

 

▼綱封蔵 国宝

この倉は当初は綱封蔵ではなかったが、十二世紀の始めにそれまでの綱封蔵が破損顛倒したために、その時から綱封蔵になったものと考えられる。部材の材質や手法から、建立年代は平安時代中ごろと推定される。

▼食堂 国宝

もともと政所という法隆寺の寺務所でありましたが、平安時代に入って、僧が食事をする食堂(じきどう)として使われるようになりました。奈良時代

▼大宝蔵院

法隆寺に伝来する数々の名宝が安置されています。

▼東大門 国宝

法隆寺西院伽藍の東面築地に開く門で、これを抜けさらに東に進むと、夢殿を中心とする東院伽藍に達する。門の形式は、桁行を三間に分かち、棟通り中央間に扉を吊り、前後に八本の控柱を並べる一般的な八脚門である。しかし、細部をみると、随所に奈良時代の建築の特色を発揮していることがわかる。奈良時代

東大門を抜けて夢殿へ

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法隆寺・金堂(国宝)~奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内

2022-01-20 05:31:14 | 神社・仏閣・教会

2021年12月14日 奈良県

法隆寺・金堂(国宝) 西院伽藍

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内

金堂は西院伽藍最古の建築で、軒の出の深い安定した姿が美しい。入母屋造り二重の瓦屋根と下層の裳階(もこし)の板葺きの対比、これに奥深い軒下の垂木(たるき)や雲斗・雲肘木が調和して快いリズムを奏でています。飛鳥時代

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法隆寺・五重塔(国宝)~奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内

2022-01-19 05:51:01 | 五重塔・三重塔など

2021年12月14日 奈良県

法隆寺・五重塔(国宝)

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内

日本最古の塔である五重塔は、五重目の軸部が初層の半分の大きさになっており、これに深い軒の出が相まって安定感を与えています。その軒を雲肘木が優しく支えて、見る人を飽きさせません。
心柱の下にある心礎には、仏舎利が納められています。飛鳥時代

法隆寺5 cosmophantom

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