コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

香川県丸亀市塩飽本島の町並み

2017-04-30 05:55:54 | 町並み

2016年12月28日 香川県 

香川県丸亀市塩飽本島の町並み

昭和9年、国立公園として第1次指定を受けた瀬戸内海国立公園の中にあって、備讃海域に点在する塩飽諸島の中心島。秀吉以来、自治権を安堵(あんど)されていた人名(にんみょう)制度の中心島で、人名から選出された4人の年寄によって政治が行われ、江戸時代は天領として明治維新まで人名の自治が続いた。年寄衆が政務を執った塩飽勤番所(しわくきんばんしょ)をはじめ、歴史・文化財の宝庫としても有名で、笠島地区では町並み保存を進めている。

港から笠島地区へ。日の出はもうすぐ

大屋根が気になる、尋ねようと思うが誰もいない

  ▼惣光寺

 ▼八幡宮

  

 

咸臨丸水夫 平尾宮三郎 生家跡

▲塩飽(しわく)勤番所

朝陽に染まる

瀬戸大橋
   

瀬戸大橋

  

▼塩飽本島町笠島地区

 

塩飽本島町笠島地区から本島港へ(帰路)

▲地元も方によると足湯の施設だったとのこと

 ▼笠島・甲生(こうしょう)地区の埋め墓(うめばか)

死者の遺体を埋葬するための墓地である「埋め墓」と、石塔を建てるための「詣り墓」をそれぞれ別の所に設ける墓制を両墓制という。一般に「埋め墓」は山、川、海岸など集落から離れた場所に遺体を埋葬し、埋葬地点に木の墓標、土饅頭、自然石などを設ける。これに対し「詣り墓」は寺の境内や集落に近い場所に作られ、霊魂を祀り参拝をするために各種の石塔を建てるものである。ここにある墓地は笠島・甲生地区の「埋め墓」で、海岸に近いこの場所に遺体を埋葬し自然石を置いて「センゾ」と呼んで祀り、それぞれの集落に近い場所や寺院には石塔を建てて「詣り墓」としている。両墓制は古くは近畿地方を中心に広く分布していたが、火葬や石塔の普及により埋め墓に石塔が建ち始め、現在では島嶼(とうしょ)部や海岸部を除いては見ることができなくなった。ここでは自然石だけを置いた昔の「埋め墓」の姿がよく残っており、民俗学上貴重な両墓制の遺構といえる。 丸亀市教育委員会 現地説明板

    

 

▲塩飽勤番所
 

このV字のものは???反対側にはない
 

▲年寄り宮本家の墓 国の史跡

宮本氏は古くから塩飽の豪族で、水軍の統領として海外に進出したり、海上の征戦や海運輸送に活躍した。

寛永六年(1629)と刻まれた墓石がある

 本島港から丸亀港へ

関連記事:丸亀市塩飽本島町笠島(重要伝統的建造物群保存地区)

 

2017-04-30 05:55:54

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丸亀市塩飽本島町笠島(重要伝統的建造物群保存地区)~香川県丸亀市塩飽本島町

2017-04-29 05:46:08 | 重要伝統的建造物群保存地区

2016年12月28日 香川県

丸亀市塩飽本島町笠島 重要伝統的建造物群保存地区

塩飽水軍の本拠地で江戸時代中期から明治にかけた町屋形式の家が並んでいる。道は緩やかに傾斜し、丁字型、食い違い十字型に交わり、一部の道幅を変え、見通しできぬような組織的な構成がとられている港町である。

   

 

  

  

 

   

 

   

 

     

 

 

  

 

 

    

2017-04-29 05:46:08

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塩飽(しわく)勤番所~香川県丸亀市本島町泊

2017-04-28 05:48:16 | 建築物(洋館以外)

2016年12月28日 香川県

塩飽勤番所

香川県丸亀市本島町泊

勤番所は塩飽諸島の650人の船形を束ねた4人の年寄たちが交代で政務を執った場所で、四方を土塀と立派な長屋門で囲まれた役450坪の敷地に本館や朱印蔵があり、信長・秀吉・家康から与えられた朱印状や海路図をはじめ、塩飽の歴史を物語る史料が展示されています。

   

 

 

  

▲咸臨丸

咸臨丸の操縦にあたった乗組員50人のうち35人が塩飽島民でした。
 

▲朱印庫

日本の戦国時代から江戸時代にかけて、将軍・大名・武将などが、命令・承認などを目的とした公的文書に朱色の印章を用いた。その文書を朱印状と呼び、朱印状自体を略して俗に「朱印」と呼ぶこともあった。

▲朱印は更に、この石箱に収められていた。
    

 

 

 

2017-04-28 05:48:16

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丸亀港(香川県)⇒本島港(本島汽船)早朝編

2017-04-27 05:52:12 | その他

2016年12月27日 香川県

丸亀港⇒本島港(本島汽船)早朝編

夜明け前、この船に乗船し丸亀市塩飽本島町笠島(伝統的建造物群保存地区)に向かう。 

瀬戸大橋が見えてきた。夜明けはまだ。

  

   

 

 

 本島(泊港)
 

僕を乗せてきた船が丸亀港へ戻ってゆく

 

2017-04-27 05:52:12

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高松市(香川県)の町並み

2017-04-26 05:48:45 | 町並み

2016年12月27日 香川県

高松市(香川県)の町並み

高松駅

  

▲これは何だ!!しばし悩む

高松城(玉藻公園)へ

[高松城(玉藻公園)]

 

[ 披雲閣(玉藻公園)]


 

高松城城外へ

▼ことでん高松築港駅から栗林公園(駅)へ

▼栗林公園駅

 

 栗林公園駅から栗林公園へ

▼栗林公園

▼ことでん 栗林公園駅

 

 ▼ことでん高松築港駅

▼高松駅

次の目的地丸亀(駅)へ

2017-04-26 05:48:45

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栗林公園~香川県高松市栗林町

2017-04-25 05:45:12 | 庭園・公園

2016年12月27日 香川県

栗林公園

香川県高松市栗林町

栗林公園の始まりはまず16世紀後半、まず、「栗林荘」として当時の豪族佐藤氏によって築庭された。その後、讃岐領主の生駒氏によつて造園され、高松藩主松平家へと歴代藩主によって本格的な修築が始まり整備がされていきました。
面積においては全国に36ヶ所ある特別名勝のなかでも、日本最大の広さを誇り、敷地面積は、約75万平方メートルに及ぶ。
300年以上の歴史のある日本式の南庭と明治以降に整備された洋風の北庭に分かれ、自然美と造形美が融合した四国で唯一の回遊式大名庭園である。

  

▼栗林公園商工奨励館
     

   

  

▲梅林亭
 

▲日暮亭

 ▼掬月亭
 

        

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披雲閣(重要文化財)~香川県高松市玉藻町(玉藻公園)

2017-04-24 05:46:53 | 庭園・公園

2016年12月27日 香川県

披雲閣 重要文化財

香川県高松市玉藻町(玉藻公園)

披雲閣は、高松城跡の三の丸に所在する旧高松城主の松平家の別邸である。清水組の設計、施工により、大正6年に完成した。
三の丸の南面に開く桜御門を正門として敷地の中央に本館を建て、海に面した北側に庭園をつくる。本館は、接客、居住、家政などの機能をもつ各部を廊下で接続する。江戸時代の御殿を意識した伝統的な配置や意匠をもち、百四十二畳敷の「大書院」から複数の小座敷を配した「杉の間」まで、充実した接客空間を擁する。

  

▲月見櫓

    

▼大書院
 

   

 

 

 

関連記事:高松城

 

2017-04-24 05:46:53

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高松城(玉藻公園)100名城~香川県高松市玉藻町

2017-04-23 05:50:47 | 100名城

2016年12月27日 香川県

高松城(玉藻公園) 100名城

天正16年(1588)、豊臣秀吉の家臣生駒親正によって築城された水城である。生駒氏は親正以降4代54年居城したが、高俊のとき御家騒動が起こり、出羽矢島に転封された。その後、讃岐は高松と丸亀の2藩に分割され、高松城には水戸徳川頼房の子松平頼重が入城、修復増築を施し、12代つづいて明治に至った。3重の月見櫓や、艮櫓、天守跡などに往時の面影が偲ばれ、城跡一帯は玉藻公園として開かれている。園内には3つの築山を中心とする枯山水庭園、披雲閣、松平家家宝の一部を展示した玉藻公園陳列館がある。 じゃらん

水門:高松城は、北に海、三方に堀を巡らし海水を引き入れているので、堀の水位は潮の干満によって変わっています。当時はこの水門の操作で水位調節(干潮の時、堀に水がなくては要害が浅く見えることによって、常に海水を満たすよう)をしていたと言われています。

 

 ▲向かって左から月見櫓、手水御門、渡櫓
 

▲月見櫓:藩主が江戸から船で帰ってくるのをこの櫓から望み見たことから名づけられました。到着を見る」という意味の「着見櫓(つきみやぐら)」が本来の名称。1676年(延宝4年)に上棟したと考えられます。重要文化財

 

▲右から月見櫓、手水御門

▲手水御門と渡櫓

▲手水御門:海に向かって開いた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけました。重要文化財

▲渡櫓:渡櫓(わたりやぐら)は、水手御門の南に位置する総塗籠の平櫓である。南側3間分は北ノ丸の新造前に所在した海手門の部材を再利用しており、柱が細く、内壁も波型真壁となっている。重要文化財

▲月見櫓
  

天守台

鞘橋:本丸と二の丸をつなぐ橋で、“鞘橋”の名称は、橋上が露天ではなく屋根と側壁がある廊下橋の構造をしており、それを刀の

鞘に見立てたことによる。

  

▲二の丸跡から鞘橋へ

鞘橋

 

▲天守台

▲本丸跡から天守台へ

穴蔵
 

 ▼天守台より
 

 ▲水門方向

▲鞘橋

▲月見櫓

▲披雲閣

 

天守台から艮櫓へ 

   

▲ことでん高松築港駅
 

 

 ▲桜の馬場
 

 ▲艮櫓:艮櫓(うしとらやぐら)は延宝5年(1677)に東ノ丸の北東隅に建築された建物である。その名称は櫓が所在する場所が高松城の丑寅(うしとら)にあたることに由来している。三重三階の総塗籠で、初重には二重の屋根を貫く千鳥破風が見られ、城外側の隅には袴型の石落としが設けられている。昭和42年に現在地(太鼓櫓跡)へ移築されている。

  

  

▲埋門

 

▲旭橋を渡り旭門へ

艮櫓

  

関連記事:披雲閣(重要文化財)

 

2017-04-23 05:50:47

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引田の町並み~香川県東かがわ市引田

2017-04-22 05:47:15 | 町並み

2016年12月27日 香川県

引田(ひけた)の町並み

香川県東かがわ市引田

昔ながらの景観を今に伝える引田の古いまち並みは、引田の氏神である誉田八幡宮から本町通り沿いにかけて残り、大きな商家や赤壁の醤油醸造所、入り組んだ路地など、閑静な通りにはアンティークな趣きが漂います。特に松の下近傍には引田御三家といわれる旧庄屋の「日下家」、醤油業の「岡田家」(かめびし)、酒・醤油業の「佐野家」(旧井筒屋)の家屋敷が軒を並べています。  うどん県旅ネット

 

▲引田駅

▼積善坊(しゃくぜんぼう)

 

    

 

 

▼日下家住宅長屋門 建築年代江戸後期
  

 ▼(紀州)井筒屋敷

▼以前醤油醸造をしていたのか? 讃州笠屋邸
 

▲この煙突の由来は解らない・・・ 煙突広場
 

▼ 旧引田郵便局局舎

▲引田駅前

▼引田駅
  

 

▲駅舎内の正月飾り

  

  

特急「うずしお」で高松(駅)へ

▼車窓より

外はひどい雨! 車窓から見える山は讃岐七富士だろうか?

2017-04-22 05:47:15

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旧引田郵便局局舎・~香川県東かがわ市引田字畑方

2017-04-21 05:55:28 | 洋館

2016年12月27日 香川県

旧引田郵便局局舎 登録有形文化財

香川県東かがわ市引田字畑方

旧引田町中心街に立地し、東面して建つ。桁行12m梁間6.5m、寄棟造の木造平屋建。外壁はタイル貼及びモルタル塗洗出しで、頂部に「〒」マークをあしらう半円形ペディメントを付け、正面及び側面の三方に八角形の窓を左右対称に配す瀟洒な造り。1931年

 

 

 

2017-04-21 05:55:28

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(紀州)井筒屋敷~香川県東かがわ市引田

2017-04-20 05:46:37 | 建築物(洋館以外)

2016年12月27日 香川県

(紀州)井筒屋敷

香川県東かがわ市引田

讃州井筒屋敷は、江戸時代より醤油と酒造りを行っていた商家

  

 

2017-04-20 05:46:37

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日下家住宅長屋門~香川県東かがわ市引田字畑方

2017-04-19 05:57:37 | 長屋門など

2016年12月27日 香川県

日下家住宅長屋門

香川県東かがわ市引田字畑方

旧街道沿いに西面する。桁行20m梁間3.9mの木造平屋建で、中央に間口3.9mの門口を開き、両開戸と両脇に潜りを吊る。入母屋造本瓦葺。出桁造の軒まで白漆喰で塗り込め、正面側には腰下見板張とし、出格子などを付ける。風格ある屋敷構えを見せる。文化遺産オンライン

   

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積善坊(しゃくぜんぼう)~香川県東かがわ市引田

2017-04-18 05:43:23 | 神社・仏閣・教会

 2016年12月27日 香川県

積善坊(しゃくぜんぼう)

香川県東かがわ市引田

寺門の仁王像は江戸時代に造られ、四国第一といわれている。

2017-04-18 05:43:23

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徳島駅(徳島県徳島市寺島本町西)界隈散策

2017-04-17 05:56:10 | 町並み

2016年12月27日 徳島県

徳島駅(徳島県徳島市寺島本町西)界隈散策

徳島駅

▲徳島駅前

 ▼徳島中央公園(徳島城址)
 

 ▲(新)鷲の門 1989年(平成元年)復元
 

ラジオ塔

「JOXK」の銘板:徳島放送局のコールサイン

▼市立徳島城博物館
    

▲蜂須賀家政公銅像

 ▼8620形式蒸気機関車

 

 

徳島駅から次の目的地引田(駅)へ

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徳島城跡100名城~徳島県徳島市徳島町

2017-04-16 05:48:37 | 100名城

2016年12月27日 徳島県

徳島城跡 100名城

徳島県徳島市徳島町

1585年(天正13年)、領主として入国した蜂須賀家政が豊臣秀吉の命を受けて築城。明治時代までの約280年間、25万7千石の徳島藩主蜂須賀家の居城として使用された。廃藩置県後の1875年(明治8年)、老朽化した城の大部分は取り壊された。鷲の門は残されたが、1945年(昭和20年)の徳島大空襲で焼け落ちた。現在は庭園や石垣、堀の一部が当時の遺構として残されている。
(2006-02-11 朝日新聞 朝刊 徳島全県 1地方)

  

数寄屋橋

▲隅櫓跡
 

▲旗櫓跡

   

▲屏風櫓跡
  

▲月見櫓跡

  

 ▲武具櫓跡
    

▲太鼓櫓

(新)鷲の門 1989年(平成元年)復元

 

▲蜂須賀家政公銅像
  

▲手前:東二之丸跡 奥:天守跡

 

この階段を下ってきた

▲本丸跡
  

▲弓櫓跡

▲奥:帳櫓跡 向かって左:西二之丸跡
  

▲西三之丸跡

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