「頂き女子」の求刑に対する反応を見て思う事

2024-03-21 17:47:26 | 感想など
 
 
 
いわゆる「頂き女子」渡邊真衣に対し、検察が懲役13年と罰金1200万を検察側が求刑した。殺人並の懲役+罰金ということで、一見ぎょっとするような重刑にも見えるが、この動画はそのような求刑となった背景とその妥当性を法律とその運用に基づいて説明している。
 
 
動画内でかなえ先生も言っていることだが、何より興味深かったのは、求刑そのものよりもむしろ、それへのハレーション(反応)である。そこでは性犯罪への刑罰の変化に対する無知や、あるいは政治家を引き合いに出して脱税を正当化するような言説も見られたが、何かに疑問を持ったり反発したりするのはいいとして、なぜ書いてみる前に一度調べようとしないのかは実に不思議である。Xに限らないことではあるが、そこで述べられるものの多くが意見表明というより「鳴き声」とも評される所以だろう。
 
 
とまあ表面的な批判だけしてもしょうがないので、もう少し掘り下げてみよう。
性犯罪とその摘発については、例えば『アスリート盗撮』などでも指摘されているように、まだまだ道半ばであって、様々改善すべき点がある(この問題は、性被害の訴えを「忍耐=美徳」として我慢させることの欺瞞性や、行為者が欲情したことを正当化するため被害者に瑕疵を見出そうとする正当化のロジックなどと合わせて、いずれ別途扱いたい)。しかし、動画内でも指摘されていることだが、不同意性交や同性間での強姦罪など、罪の捉え方の変化は様々な点で見られるのであり、この事件に絡めて性犯罪の問題を訴える程度には問題意識があるのなら、せめて書く前にもう一度確認したらいいのでは?と思う(例えば同性間の強姦罪が適応されるようになったタイミングは2023年にジャニー喜多川の性犯罪が告発された際にも指摘された事項であり、比較的記憶に新しいのではないか)。
 
 
また、詐欺に関しても興味深い反応が見られた。ありがちと言えばありがちだが、「騙された方も悪いでしょ」というものである。ここでは、渡邊が言わば自分の命を脅し文句に使っていたこと(による支配を試みていたこと)などを等閑視しているのも問題ではあるが、何よりその発想は、性犯罪において「襲われた方にも隙があった」というセカンドレイプと一体何が違うんだろうか?
 
 
動画内でも注意喚起されているが、思考のユニバーサリズムがないと、自分に近い側については「被害者叩きだ!」と批判しながら、自分の側でなければ平気で同じことやるんだよね(まあ「『頂き女子』への課税で思うこと」や「告発の交換可能性」という記事を書いたのは、要するにこういう欺瞞への気付きを促すって理由なのだが)。これについてかなえ先生は、法律の運用実態として「男性優遇」の事例を問題視するなら、男性側は母親が子供を殺害した場合と父親が同様の行為をした場合の量刑が違うといった実態を取り上げるだけだと述べているが、要するに自身の都合の良いケースばかり挙げるのは、同じ手法で反駁されるだけということである(親権は八割がた母親方にいく、とかね)。都合のよい案件ばっか持ち出す輩は、男女問わず反吐が出ますなあ(・∀・)
 
 
また、「政治家は脱税が許されるのに何で渡邊はこんな風に罰せられるんだ?渡邊も許されるべきだろう!」といった主張も実に奇妙である。つまり、法を犯していることが等しく問題なのであって、渡邊が放免されるべきということではなく、むしろ政治屋どもをどのように罰していくかを考えていくべき、という話なのだ。
 
 
渡邊が「パブリックエネミー」として厳罰に処されるなら、政治屋たちがこぞって裏金や脱税に手を染めたこともまた、それと類似の行為である。よって、「奴らの政治生命を終わらせるべし!」と落選運動などを展開すればよい(この期に及んで「でも自民党以外が政権を取ったら・・・」とかぬかして投票行動を変えられない人間たちは、それならどうやってこの状況にメスを入れるおつもりなんですかね?少なくとも、票が大きく動くことによって、自分たちのなしたことが政治家生命を脅かすこと=実害を自らにもたらすこととして実感されなければ、連中が変わるわけないじゃん、て話である。一体何を政治屋どもに期待しているんだか)。
 
 
まあ要するに、「政治家たちは許されているのに渡邊真衣だけ何で?」と思うなら、両方とも地獄に叩き落として差し上げればよいのではないかね??てことである。
 
 
こういうのって、「どうすれば再発防止ができるか」が重要なんだから、これを奇貨として徹底的に非難や取り締まりを展開・拡大することこそ是だとなぜ思わないんだろうか?年端もいかない10代の鼻垂れ小僧が言っているならまだしも、いい年した大人が平気でそれ言ってるのが、論理的思考力が欠如していてヤバいと思いましたマル。
 
 
ちなみに、「助命嘆願」に関する話も興味深かった。
ある意味で「悪意がない」からころっと騙されるというのは、やや驚かれるかもしれないが、私には首相が暗殺され他にも複数の負傷者や器物破損などを伴った五・一五事件との類似性を感じる。というのも民衆は「革命の捨て石」たらんとした襲撃者たちに同情して多くの助命嘆願がなされたからで、そうして「首相暗殺」という凶行にもかかわらず、首謀者ですら求刑死刑に対し禁錮15年という非常に軽い刑となった。そしてそのような経緯が、二・二六事件の背景ともなったことは磯部の獄中日記などにからよく知られている通りである(念のため言っておくと、当時助命嘆願が広がった背景の一つは憲政の常道以降の不毛な政治闘争の数々と、それにもかかわらず金融恐慌や昭和恐慌といった社会的危機で人々が苦しんでいたからで、その意味では当時の昭和戦前の世相と令和の現在の世相には100年の懸隔があってもそれなりの類似性があると言える)。
 
 
まあ要するに、「世間の同情心」なるものは所詮その程度であって、目先の感情で沸騰し、先々の影響など考えもしないのである(ここで「善意をもって政治を行えば善き結果がもたらされるはずだ、などというのは政治的未熟児の発想」という趣旨のマック・ウエーバーの箴言を想起するのも有益だろう)。
 
 
これは別途記事を用意しているが、今後の世界では「人間関係の契約化」が進んでいく可能性が高いと私は考えており、その一旦をなすパパ活行為とその広がりは、贈与税の適応などにも当然影響してくる可能性がある。またそのような形態をビジネス化して、(そう言えば中学生のものが話題となっているが)詐欺や美人局といったものが行われるリスクは当然存在しており、その意味でも今回の事件をきちんと裁いておくことは、それらの抑止力・判例として重要であると述べておきたい。
 
 
 
なお、切り抜きだけでなくフル動画も以下に挙げておく。
 
 
 

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