「アメリカ的物質至上主義」と信仰2

2005-11-25 23:02:00 | 宗教分析
前回、同じ題でアメリカにおける信仰と「アメリカ的物質至上主義」について考察した。今回は本題となる日本人の「無宗教」と「アメリカ~」の関係を考えてみたい。だいぶ時間が空いたので、前回のまとめなどを簡単に提示しておこう。


①「アメリカ的物質至上主義」が、日本人に「無宗教」が増える一因となったことはおそらく間違いない。
②物質至上主義は、程度の差こそあれ世界の国々に見られる現象である。
③アメリカでは、宗教の世俗化や物質主義などに反発してキリスト教ファンダメンタリズムが興り、1970年代には幅広い支持を得るようになった。
④つまりアメリカでは、物質至上主義への宗教的反発・回帰という現象を経験している。


一方日本はどうか。本屋へ行って見ればわかるが、多くの宗教・精神世界に関する書籍が出版されている。そればかりではない。『日本仏教教育学研究』といった、宗教教育に関する雑誌すら刊行されているのである。またあるいは、半ば観光化されたとはいえ、「お遍路さん」がバスなどを利用しつつ未だに行われたりなどしている。

それらは果たして「無宗教」という状況を変えたりするような現象であろうか?答えはNoである。局所的な話はともかく、日本人にとって宗教が縁遠い存在と感じられていく趨勢は読売新聞の統計から明らかだ。今一度それを引用しよう[井上順孝『若者と現代宗教』より]。


◎読売新聞は79年~98年にかけてなかば定期的に簡単な意識調査を行っていた[現在も継続?]。その中で「宗教を信じていますか」という問いに対し「信じている」と答えた割合は次のとおり。

33.6[79]→29.1[84]→28.0[89]→26.1[94]→20.3[95]→20.5[98](数値はいずれも%[]内は年次)※1995年にはオウム事件があった

◎同じ調査の「幸せな生活を送る上で宗教は大切であると思いますか?」という問いに対し、「大切である」と答えた人の割合は以下のとおり。

46.2[79]→43.8[84]→38.0[89]→34.2[94]→25.6[95]→27.0[98](同上)

※つたない補足で恐縮だが、「9.11テロ」などに関連してこれらの数値は下がり続けていると私は推測している。

これを見れば、「無宗教」という社会状況がほぼ一貫して広がり続けていることが読み取れるだろう。要するに日本では、多くの宗教関係書籍の出版や(かなりの程度の)宗教的行為が行われているにもかかわらず、信仰や宗教への期待というものは全体として低下し続けていると言うことが出来る。この状況が、「アメリカ的物質至上主義」の原産地たるアメリカと異なっているのは言うまでも無い。

しかし最も重要なのは、その違いが何に起因するのか?ということだ。日本人の「無宗教」という状況の原因を考えるとき、多くの人が「(アメリカ的)物質至上主義」を挙げる[そしてそこで思考が止まってしまっていることが少なくない]。しかしそれなら、なぜアメリカでは「無宗教」が支配的にならないのだろうか?という疑問が生じてくる。そういった日本とアメリカとの間に生まれた差異に注目することが、日本(人)の「無宗教」という世界的に特殊な状況を解明する有効な手段となるに違いない。
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