支配と被支配:民衆意識のダイナミズム

2005-11-26 00:57:50 | 感想など
支配構造というものを考える際、「支配者vs被支配者」という二項対立的視点はあまりに一面的である。特に、「虐げられる被支配者」といった近代以降の市民観念や権利思想から導き出された見方は、支配者に対する民衆意識の複雑さを見えなくしてしまいかねない。

というのも、政府と政治的・経済的に結びつこうとする者や、積極的に支配下へ入ろうとする者は存在するし、そういった人々は現代でも見られるからだ。であればこそ、神格化や権威化というものが頻繁に行われる。あり難がる民衆がいなければ、それらの行為は成立しないものだ。これもまた現代にも共通する現象と言える[そもそも、領域などに依拠する近代国家や民族主義、国民国家といった現代を根本的に規定する枠組自体が近代以降に創造された「神話」という側面を非常に強く持っている。その意味では、現代に生きる我々もまた政府や支配者の神格化・権威化の中に生きていると言えよう]。

また民衆の中においては、支配に抵抗する者への疎外という現象が起こる。それは、[源泉は様々であろうが]支配(者)をあり難がる群集心理から生まれた異端分子の排除作用と見なすことができる。これに似た現象としては、流行の創生[=流行に後れたくない、後れる者を異分子、異端扱いする]などが挙げられよう[そこには受け取る側の純粋な嗜好のみならず、メディアによる選択・扇動といった要素が連動していることに注意を喚起したい]。
 
そういった民衆の側の利益や支配への希求[=秩序創生の願望など]といった主体的要素を顧みることなく支配者側による武力行使などの抑圧[=負の要素]を強調するならば、政権交代や戦争、税制の施行といった様々な事象の研究において、多面的な見方ができなくなる弊害に陥ることであろう。
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