2011/02/26
<ジョナサン談義>
サッカーか何かで決めればいいじゃないか。高校時代の友人が本気で怒ったらしいが、それは理解できる。そんなことを言うなんて真面目に考えてない証拠だ、そういったものをネタにするな!ということだろう。それはとても誠実、良心的、真面目な態度に見える。しかしこいつが真に言いたいのは、そういう真面目さこそが実は戦争か否かという状況を生み出しているんじゃないか?というものと受け取った。波状言論における無限の応答責任や「降りる自由」の話とつながった。良心的であれば良い結果が生まれる。誠実に応える要求の全面化。
<あの季節が始まった>
いい日和。中央線。高幡不動まで歩く。これが東京なのかと訝るに違いない。三月人事異動してどう人を配置するか。仕事のことしか頭にない。今年も花粉症。喉のいがらっぽさや鼻づまり。職場は空気清浄器があるから楽。寝起きがつらい。漢方、鼻詰まり系…青花湯、根湯川きゅう加辛夷。辛夷清肺湯、小青竜湯は違う。
<アドルノ的>
京都の三月書房で購入した「奇憚クラブの絵師たち」を読む。マニアとは~というものだという定義は煩わしいがなかなかにおもしろい。須磨の縛り女が好きな理由を聞かれた時の作り話。からかうのとか創作すること自体が好き、というのもあるだろうが、結局相手が「混沌」など求めておらずわかりやすい物語を要求してるだけなのを熟知してる部分もあるだろう(偶然性→「神の罰」)。このような相手の傾向に抵抗するとアドルノ的になる。あとは真性のSは少なくて、ムードマニアがほとんどというのも興味深い。悦ぶ姿に悦楽を感じる。
<倫理>
が実在するか否かは些末な問題で、それがあると信じられた方が社会を運営する上で合理的か否かが重要である。
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